恋愛を語るあれこれ


 

 そうだ。わたしたちがまた会ったとしても、同じことだろう。会わなかったとしたって。使いものにならない、身のほどをわきまえた愛(本物じゃないと言う人もいるだろう、くびり殺されたり、悪い冗談になってしまったり、哀れにも摩滅してしまう危険を、決して冒さないのだから)。危険はひとつも冒さないけれど、それでも甘い滴りとして、地下資源として生き続ける。その上に、この新たな沈黙の重みを乗せて。この封印を。


アリス・マンロー作 小竹由美子訳 『イラクサ』より


 





 
 「恋愛を語るのに哲学を出してくるのは、あまりにも人の生き方を型にはめすぎてやしませんか?」って思います。

それは、まったく哲学を馬鹿にしているわけではなくて、恋愛感情があまりにも個人的で、自分でもコントロール不可能な不可解な現象であると思っているからです。

理性や個性の枠だけではなく、野生や遺伝の継承と言った生物学的なことと感情が相まって、人としても一番扱いに困る、それでいて私自身のうちに確固として君臨する何かを、抽象的な表現を取り除いて現すことの困難を深く感じるからです。

 例えば『イラクサ』の主人公の恋愛はまったく褒められたものじゃないし、夫や子供たちを犠牲にしてまで欲しがったわりには、本当に欲しがっていたものかよくわからない。そんな主人公にとって残しておきたいと願う一つの思い。

 大人になれば誰だって、ラブストーリーの結末が幸せじゃないかもしれないことは知っている。ただそれをどう受け入れるかがその人の恋愛の価値であろうと思うのです。
 表面は紳士的・淑女的になれても熱情に浮かされる心のうちを打ち消すことは困難で、でもそれがただ肉欲に左右されるものなのか否かは自分ではよくわかっていて、はてそれならこの気持ちはいったいどこから生まれているのかと戸惑ったり、そういう恋愛が人に及ぼすあれこれは、とても一筋縄で理解できるものではないでしょう。

 マンローでさえそこのところはどうのこうのと断言せずに、汚らしい部分は一切否定せず、それでもなお純粋にいとおしくなる部分のために、主人公を最高に貶めながらも表現しているのですから。

 恋愛を語るあれこれは一筋縄ではいかないのです。

実験1 (2)

 

論理哲学論考 (岩波文庫)

論理哲学論考 (岩波文庫)

5・11  いくつかの命題に共通な真理根拠のすべてが、ある一つの命題の真理根拠にもなっているとき、後者の命題が真であることは前者の諸命題が真であることから帰結すると言われる。
5・12  特に、命題「q」の真理根拠のすべてが命題「p」の真理根拠である場合、「p」が真であることは「q」が真であることから帰結する。
5・121 「pがqから帰結する」とは、一方の真理根拠が他方の真理根拠に含まれているということにほかならない。
5・122  pがqから帰結するならば、「p」の意味は「q」の意味に含まれている。
5・123  神がある命題を真とする世界を創造するならば、同時に神はまた、その命題から帰結するすべての命題が真となる世界をも創造するのである。同様に、命題「p」が真となる世界を創造しておきながら、命題「p」に関わる諸対象の全体を創造しないなどということもありえない。
5・124  命題は、そこから帰結するすべての命題を肯定する。
5・1241 「p.q」は、「p」を肯定する命題の一つであり、同時に「q」を肯定する命題の一つでもある。
        二つの命題は、双方を肯定する有意味な命題が存在しないとき、互いに対立の関係にある。
        ある命題と両立不可能な命題はすべて、その命題を否定する。
5・13  ある命題の真理性が他の諸命題の真理性から帰結することは、それらの命題の構造から見てとられる。
5・131 ある命題の真理性が他の諸問題の真理性から帰結するとき、そのことはそれら諸命題の形式相互の関係によって表現される。すなわち、その関係を規定するのに、それらの諸命題の相互関係をあらためて一つの命題のうちに表す必要はない。この関係は内的であり、関係する諸命題が立てられれば、それと同時に、そしてそれによって、関係は成立しているのである。
5・1311 われわれがpVqと〜pからqを推論するとき、「pVq」と「〜p」の命題形式の関係は、ここではその表現方法によって隠されてしまっている。他方、われわれがたとえば、「pVq」の代わりに「p|q.|.p|q」と書き(「p|q」は「pでもqでもない」に等しい)、「〜p」の代わりに「p|p」と書いていたとすれば、そのとき内的関係は明らかになっていただろう。
    (人は(x).fxからfaを推論しうる。この事実が「(x).fx」というシンボルに一般性が存していることを示している。)
5・132 pがqから帰結する、そのとき私はqからpを推論することができる。―「pがqから導出される」とは、つまりそういうことである。
     推論の仕方はただ二つの命題〔pとq〕からのみ、見てとられる。〔それに加えて「pがqから導出される」のような命題を立てる必要はない。〕
     それら二つの命題、それ自身だけが、推論を正当化しうるのである。
    「推論法則」、すなわち―フレーゲとラッセルがそうしたように―推論を正当化するものとして立てられた命題は、無意味であり、立てたところで余計なものでしかない。
5・133 すべての導出はア・プリオリに成立している。
5・134 ある要素命題から他の要素命題が導出されることはない。
5・135 ある状況が生起していることから、それとまったく別の状態の生起を推論することは、いかなる仕方も不可能である。
5・136 そのような推論を正当化する因果連鎖など、存在しない。
5・1361 現在のできごとから未来のできごとへと推論することは不可能なのである。
      因果連鎖を信じること、これこそ迷信にほかならない。
5・1362 未来の行為をいま知ることはできない。ここに意思の自由がある。因果性が、論理的推論の必然性のごとき内的必然性であったとすれば、その場合にのみ、われわれは未来の行為を現在知りうることになる。―実際に何ごとかを知っていることと、その何ごとかが事実であることは、論理的に必然的な関係にある。〔それゆえ、未来の行為を知りえたならば、その行為は実際に起こるのでなければならない。〕
    (〔他方、〕「Aはpが成立していることを知っている」は、pがトートロジーのときには、無意味となる。)
5・1363 ある命題がわれわれに明らかに真であるように思われようと、そのことからその命題が真であることは帰結しない以上、この明らかさもまた、真理性に対するわれわれの信念を正当化してはくれない。
5・14  ある命題が他の命題から帰結するならば、後者は前者よりも多くのことを語り、前者は後者よりも少ないことを語っている。
5・141 pがqから帰結し、qがpから帰結するとき、両者は同一の命題である。
5・142 トートロジーはあらゆる命題から帰結する。つまり、トートロジーは何も語らない。
5・143 矛盾が諸命題と共有するものは、どんな命題も他の命題と共有していないものである。他方、トートロジーは、互いに共有するものをもたないすべての命題に共有される。
     矛盾はいわば全命題の外側に消え去り、トートロジーは全命題の内側に消え去る。
     矛盾は諸命題の外側の限界であり、トートロジーはその空虚な中心点である。

 このところ『多様化』とはなにかということを考えさせられることが多く、そんな時にヴィトゲンシュタインをよく思い出します。

 原子命題は帰結の帰納法では到達できない。
 否定の連続で本物が見えてくる世界。
 自己同一などありえない。なぜなら、自己こそが見えない底と見えすぎる遠景にある世界なのだから。

 このことを思うとき、多様化する世界は本当によい世界なのかという疑問に追いつかれます。
 
 私の中心は虚無であるのか原子命題そのものであるのか。
 はたまた原子命題が虚無なのか。
 そんなことを考えると、結局は何もないところからは生まれることのできなかった私と
 何もないところから生まれたであろう私の中の私を重ね合わせてふっと翳してみたくなります。

 結局はそれらが私の肉体と魂と定義されるものであり
 それを繋ぐ無数の言葉の線と
 言葉の線では補うことのできない部分を結ぶその他のものを
 繕うことで人は生きているのではないか。
 
 繕う材料が多いほうがいいのか少ないほうがいいのか。
 それを人はもっと深く考える時期なのではないかと思うのです。

 能率を求めて少ない材料で深く大きく結ぶこと
 効率よりも多数の材料で細かく繊細に結ぶこと

 それはただ能率を求めてひた走ってきた人が到達した山なのかもしれないし
 それでいいのかという心からの問いなのかもしれない

 いずれにせよ、自分が自分でいられるために
 虚無なのか原子命題なのかではなく
 私を繋ぐ私を求めなくてはならないのだろうなと思うのです。

 そうです
 結局のところ私が思うに
 私は私を繋ぐ無数の関数の私であり
 関数の私が関数である限り
 私は死なないのです

 関数の私は関数であるがゆえに無機質なので
 無機質でなくなるための条件が
 ことばであり
 うたであり
 おどりであり
 いのりであり
 感情という生き物を飼っておくために
 無機質の私はがんばっているのです
 (無機質なのにがんばってるなんておかしいですが)

 

実験1 (1)

台湾、烏来(ウーライ)は昔首狩り族の原住民が住んでいた地域ですが、今は台北近郊の温泉地として有名で、台北市内から電車とタクシーで1時間以内で着く割には結構な山奥でした。
わざわざブログに写真を張ったのは、まるで正三角形のような山が面白くて、私は見飽きなかったからです。(この写真だと見にくいかも)

さて、こちらは実験用にちょっとだけメモしておきたいことを載せていきます。

自家中毒と甘い飴    ― 星野源考 ―

夜の歩み         リルケ
比較できるものは何もなく!それ自身で完全でないものがあろうか、
また、口に出して言えるものがあるだろうか。
われわれは何物の名も呼ばず、ただ耐えになうことができるだけだ。
そしてここかしこで、ひとつの光輝、ひとつの視線が
われわれをかすめたとき、そこにこそ
われわれの生命と呼ぶべきものが生きられたのかもしれぬと
悟るだけでいいのだ。逆らう者は
世界を得ない。そしてあまりに多くを理解する者のかたわらを
永遠なるものは素通りしてしまう。時として
このような偉大な夜、われわれは危険のそとにあるかのよう。
ひとしくかろやかな群れに分けられ、星々に
分配されて。満ちみちた夜空の星に。

Nächtlicher Gang
Nichts ist vergleichbar. Denn was ist nicht ganz
mit sich allein und was je auszusagen;
wir nennen nichts, wir dürfen nur ertragen
und uns verständigen, daß da ein Glanz
und dort ein Blick vielleicht uns so gestreift
als wäre grade das darin gelebt
was unser Leben ist. Wer widerstrebt
dem wird nicht Welt. Und wer zuviel begreift
dem geht das Ewige vorbei. Zuweilen
in solchen großen Nächten sind wir wie
außer Gefahr, in gleichen leichten Teilen
den Sternen ausgeteilt. Wie drängen sie.


 星野源の詩には、どんな自分であっても曖昧な自分や世界や他者を受け入れようという覚悟が見える傍ら、どんな自分や他者に対しても否定的な、〈外れている自分〉を感じることができます。
 それが歌に合わせて語られる時、私たちはどこか安心し、そうだよなと思う反面、孤独だよなと感じてしまう。
 ポップな音楽とは裏腹に、人の不安の根底にある〈私は独り〉を浮き彫りにする歌詞が、妄想でだって乗りきれればいいじゃないでさらっと解決したような強さで締めくくられるのは爽快さを感じる半面、何も解決できていない夜がまたやってくる恐れを打ち消せない、勝てない自分を露呈しています。アルバムStrangerの曲は病室で死に向き合った後の作品なのですから一層重くのしかかる。

 しかし私には、それは飲みこんだ毒に勝とうとして身の内にさらに毒をため込んでは苦しげに吐き出す自家中毒の産物のような、そんな感じに思えてしまうのです。

 リルケは詩の中で、不完全なものなどなく、そのもの自体の名を呼ぶことは叶わず、一瞬だけ他者の光を浴びた時、生きられるかもと悟るだけでいいと書いています。そして、逆らうものは世界を得ないと。

 星野源は「くせのうた」で「知りたいと思うには 全部違うと知ることだ」と書いている。ここはリルケに通じるものがあると思います。ただ、同じ歌の中で「知りたいと思うこと 謎を解くのだ夜明けまで」とも言っている。知り得ない欲求は一晩中でも続くのに、知ることなどできない自己矛盾をぐるぐると抱え続ける。しかしリルケに言わせれば、その状態では世界は見えません。ここが自家中毒的だと。そして、〈君にある日常〉を飴にして乗り切ろうとしている。

 同じ夜に二人の詩人は永遠の闇と永遠の光を見ているように思います。

 一瞬の他者の視線に自らの生(精)を見ることでなければ悟れない〈世界〉
 
 君にある日常を見るのではなく、僕を見る君を見よう。

 それを理解した詩人と理解しない詩人のどちらが人間らしいかはさておき、悟りは知識ではないという理解は、生きやすさには必要かしらと。
 寂しいと叫ぶことに遠慮なんかいらない。

*1

 

*1: もう長いことツイッターでお世話になっている松浦達さんが、MUSIC MAGAZINEという雑誌の星野源特集でライターの一人として「もとより、ばらばらのみんなの意味を取り戻すために 星野源、再考―未分化の主体の濃密さ」という記事を書かれています。



そのレヴューを読ませていただいて刺激を受けた頭でこの文章を書かせていただきました。

ちょっとだけ怖い話

 この前の明け方、足の指を触られている感じがして目が覚めました。

 誰も足の指なんか触る人なんかいないし、しかも遠慮がちにそっと触っている感じ。それも目が覚めるとすぐになくなっていました。

 沖縄には幽霊の話はすごくたくさんあります。近くの公園には日本兵のお化けが歩いているので有名だし、たくさんの人が戦争で無念の死をなさっているので当たり前。私が小さい頃には、東京大空襲で亡くなった人の幽霊話なんかたぁくさんあって、そういうの好きな母から聞きたくないのにその場所場所で「ここはね・・・。」と聞かされたものです。

 最近はどこもぜんぜん違う場所になってしまったのでむこうではトンと聞かなくなりました。むしろ、変わらない話があってすごいなぁと思います。

 でも、この部屋に幽霊がいるとは思えないなぁと感じているところへ、向こうから答えがやって来ました。なんとはなしに覗いていた名嘉睦稔さんの『風のゆくへ』という画文集を見ているときに。

 干瀬の潮鳴りが静かになった。
 先程から、左足の親指を抓んでは離す者が居る。
 佐武留(サンルー)は、その感触からして、
 おおかた宿借(アーマン)であろうと、
 夢うつつの内に考えていたが、
 俄かにその爪の大きさに気付き、
 これは宿借のものではないと思い、飛び起きた。
 慌てて足を引いたものだから砂が目にかかり、
 一時目が良く見えなかった。急いで目を瞬き、
 口の中の砂を舌で集めながら、
 その赤い者の姿を認めて、佐武留は驚いた。
 大口が開いて驚いた。

 佐武留の指を抓んでいるのは、大変だ、
 あのアカカナジャーなのだ。
 口は耳元までは裂けていないものの、
 つり上がっているから微笑んでいるように見える。
 雨も吹き込む程の吊鼻と言われるが、そうでもない。
 山羊のように長いのだという耳も、
 確かに尖ってはいる。赤い髪は縮れて
 体を覆うかのようだと言うが、それはその通りで、
 蓑を被っているようだった。

 大方、謂われている通りであったが、
 ひとつだけ聞いた事のないものがあった。
 それは、アカカナジャーの瞳だった。
 輝く萌黄色をしているのだ。
 目蓋に包まれて、開き際に鮮やかな光線を放って、
 花のように際立ち美しかった。全体が赤い色の中で、
 そこだけ若葉のようにして精気立つのだった。
 ・・・

 名嘉睦稔『風のゆくへ −ボクネン画文集−』p19「アカカナジャー」より


 このお話は友達になりにサザエを持って来たアカカナジャーと友達になった気がするところで終わっています。
 版画で描かれたアカカナジャーはとてもかわいらしく、あ、会いたい!

 佐武留は会いたくて夢に見るくらいだったようで、それがアカカナジャーと仲良くなると漁師には大漁が約束されるからなのか、それとも単に会いたいと思っていたのか。この文からはわかりませんが、そんな下心は一切なしで私は一目会いたいと夢見るのでした。

 また出てきてね!

 私の引用した本がなかったので、こちらをご紹介させていただきます。

ボクネン―大自然の伝言(イアイ)を彫る

ボクネン―大自然の伝言(イアイ)を彫る

 作者の名嘉睦稔さんについては新潮文庫『オキナワなんでも事典』(池澤夏樹編)から。

 「1953年、伊是名島生まれ。版画家、造形作家、詩人。三絃(さんしん)の名手にして、琉球空手の達人。海とともに生き、その美しさも怖さも神秘も知りつくした海人でもある。かと思えば、沖縄で最も有名なデザイン会社の経営者という顔も持つ。実に多才な人だ。
 肩書きはさておき、名嘉睦稔は何より「見る人、感じる人」である。自然の美があふれる沖縄はもちろん、どんなにごみごみした都会の雑踏からも、何かしら美しいものを見つけてくる名人だ。ふと立ち止まって宙を見つめているときは、風の伝言(いやい)に耳を傾けているか、中空(なかべ)の神さまと話をしている最中。都会人、特にオキナワにはまっているナイチャーなどは、自然は旅に出なくちゃ見つからないと思っている。この人といると、そんな思いこみはウソだということがよくわかる。どこにいたって自然はあるし、いたるところに美しいものがある。まず、自分の足の下を見つめること。そんな当たり前のことを改めて考えさせてくれる人なのだ。(以下略)」

エウレカセブンAOと今のゆくえ

 エウレカセブンAOも少しずつ物語が進んでいっていろいろ感じてくるところも多くなってきました。

 とにかく神話の世界からお話をぐっと現在に引き付けて、今の問題に食い込ませていったところに賛否両論出てくると思います。とりあえず、エウレカセブンでの敵は未来少年コナンでいうところのインダストリアのような国家で、支配という明確な目的を持って存在していたこと。対してAOの場合は国家=権力という形に反旗を掲げたものの、中国と日本という国家=(軍事)力に挟まれ、連合軍と言う名のアメリカからの圧力をかけられ、トラパー輸出という産業しか持てないオキナワの自由と精神とはという、何だか初めからすごく難しいテーマを持って、敵の見えない戦いから始まっているところが今を象徴しているように思います。

 そして、〈自然〉=力の象徴であるコーラリアンエウレカセブンのどこかユーモラスな異生物の群衆であるコーラリアンと巨大で一つの兵器のようなコーラリアン。この二つの違いはとても大きいように思います。〈自然〉=力の脅威を表現しようとするときに、生物的であり私たちに接触しながら私たちを侵すものから、機械的であり私たちに触れもせずにただ破壊するのものに代わったこと。これには震災、そして原発事故の影響を考えずにはいられません。
 そしてコーラリアンとの戦うニルヴァーシュもまた私には兵器にしか見えず、それを操るアオもまた少年兵に見えてしまうのです。

 今を象徴すること。ここには芸術の大切な役割があります。そういう意味で、ここまでのエウレカセブンAOは現代芸術的な様相を呈していると感じますし、その点では成功しているように思います。
 さて、エウレカセブンの評価されるべきは、どうやって自然の持つ神秘性や私たちに必要な精神的な統一性を物語に持ってこられるかです。
 人型コーラリアンであるアオが、人間と自然との懸け橋としてどうやって活躍できるのか。それはひとえにそこにかかっていると思います。そして、その時ナルはどうするのか。レントンとナルの違うところは、ナルが女性であり、より自然と近しい関係にあるところです。悩むよりも信じる。しかし同時にナルは死に近い存在に設定してあります。自然に近い=死に近いというのもよくできた設定であると私は評価しているところです。ひとつ越してしまえばそこには死がある。そういう環境でこそ人は自然に人として生きることができるのだろうと思うからです。

 まだまだ5回。これからが楽しみです!

 
 
 

『人間にとって科学とはなにか』

 湯川秀樹梅棹忠夫の1967年にされた対談をまとめたもので、もう一つのブログの方に上げるつもりで読んでいたのですが、対談って言うのはそこに重要事項が飛ばし飛ばし置いてあるもので、しかもそのひとつひとつを理解するためにまた読むべき本が増えてしまったりして、とても簡単には書けないなぁとため息が出たところで、こちらにちょっとだけ書いてみることにしました。

 

J-46 人間にとって科学とはなにか (中公クラシックス)

J-46 人間にとって科学とはなにか (中公クラシックス)

 どうしてこの本に手を出したかというと、私が科学を簡単に信じられる仕組みが知りたかったからです。新しい宗教はいろいろと怪しそうだと思う割に、新しい科学はそんなに抵抗なく自分に入っていく。それはなんか変じゃないかしら?

梅棹 その面からみると、科学は宗教に近いものだというように私は考えてきているんです。基本的性質としてよく似た点がある。というのは、科学もやはり、初めから好ききらいなく、だれでもわかるものと違うんです。それぞれの時代に固有の、ある種の観念の訓練の結果わかるものなんです。科学というものは教育しなければ納得できない。さっきは教育さえすればだれにもでも納得できるということでしたけれども、ひっくり返したら、教育しなければ納得できんようなたちのものです。科学には学ぶのに大変しんどい点がたくさんあって、一定の枠を決めて、あらかじめ受け手の方のネットワークをつくっておかなければ、そこへものを放りこんでもうまくはまらない。科学はそういうたちのシステムですね。そのかわり、行ったん受け手のネットワークをしっかり組み立てておけば、相当のものを投げこんでも受けとめられる。
 その点に関する限りは宗教でも同じなんです。高等宗教というものは、やはり一種の観念のネットワークを人間の心の中にきちんと組み立ててきたものです。そのネットワークをつねに強化するために、釣り返し繰り返し教義問答みたいなことをやって、心の中にきちんとした枠組みを確立していった。そこにいろいろなものを投げこんでも、すべては神の恩寵として非常に上手にはまる。あるいは仏の慈悲としての非常に納得がゆくんです。そういう体系をうまく組み立てたのが大宗教というものなんだと思うのです。だからその意味で、科学は宗教とたいへんよく似たものだというのです。納得の体系としてですね。それがどこかで歴史的に、宗教と科学との交代があるんです。神の恩寵、仏の慈悲という枠ではどうも受けとめられんぞということを考え出した。歴史的にはたしかにそういう交代があったと思うのです。しかし、ほんとに科学という枠組みの方がうまくゆくのかどうか。受け手の方の納得のための体系という方から考えてみたら、なお疑問があるように思います。
 湯川 宗教の話が出ましたが、ある意味では物理学でも似たようなことがある。物理学という学問を素朴に考えますと、これはあまり訓練を受けたり学んだりせんでも、自分でそう思うてしまう、各人がある年齢になったらそう思うてしまうという性格を持っているんです。というのは、ものがいろいろあって、それが三次元の世界―ユークリッド的な世界にうまいこと配置されているということはだれでもすぐにわかるわけですよね。これは人が教えないでもそうなるでしょう。
 数学は非常に普遍性を持っているというけれども、しかしその点では、かえって数学の方が物理学より、思考を間違いなく行うための意識的な訓練を要する。ところが、われわれが自分の周囲の世界をざっと眺めわたしてつくるイメージ―それは三次元の世界の中のものだけれども―これは何も意識していない。努力してつくったものではない。このことは非常にいちじるしいことであって、あたりまえのことなので、かえって気がつかないでなんとも思わないけれども、唯物論が素朴な意味でまずそこで成り立つ。素朴実在論です。
 それから先いろいろ研究してみるとむつかしいことが出てくる。前にいった二重構造、理論と事実が二重になっていて、両方はなかなかしっくりいかんぞというようなことが出てくるけれども、そのうち事実の世界というようなものは、実際だれでもわりあいたやすく納得できるようになっている。ニュートン力学はむつかしいようでも、微分方程式を使ったりせんで、少しあらっぽくいえば、これは納得しすい考え方です。動物がどこまでそういう知識を持っているかしらんけれども、おそらく高等動物は、もっとあらいけれども一種の素朴存在論みたいなものを持っているのではないでしょうか。
 梅棹 素朴実在論は動物にもあるでしょう。
 湯川 ところが人間は宗教というステージをいっぺんは通るわけでしょう。たいていの民族は通るわけですね。
 梅棹 大なり小なりかならず通ります。
 湯川 そういうことを考えれば、科学というのも一つのステージだとも考えられる。もちろん、われわれがいま問題にしている近代科学に到達するには、ある特殊のルートを通ってきているわけですけれども……。宗教の方は、どの民族からも自然発生的に出てくるわけですね。
 梅棹 その意味ではしかし、科学もみなそうですね。どの民族にも素朴実在論的な認識はもちろんあります。それからさらにもう少し観念化され、体系化したシンボル体系としての科学も、たいていの民族はもっていると思います。…
 どの民族も、素朴実在論から出発して、世界というものについての何ほどかの認識、あるいはシンボル体系をつくり出すようになります。これはやはり、広い意味で「科学」といってよいと思うんです。ところが、その科学のつくり方は、いろいろある。人類の頭脳の構造はどの民族においても同じわけですが、だからといって、同じ科学ができあがったりはしない。やはりそれぞれの文化的伝統の中で、固有のものができあがってゆく。その意味では科学というものも、非常に文化的なものだというのです。つまり、伝承の上に成立する。

 『人間にとって科学とはなにか』湯川秀樹梅棹忠夫 pp55〜59

 これでいうと、宗教と科学は大変似通っているのに私が科学を信用するのは、私が科学的な教育を受けているからということになる。そして、逆に宗教的な教育を受けていないから。
 そういわれれば、アメリカで進化論を受け入れられない人が多いのは、そういうアメリカ人が進化論的な科学よりも、宗教的な教育を受けているからという納得の答えが得られます。
 しかし一方で、私たち日本人がどんな高等宗教を持っている(持っていた)のかという疑問が残ります。私たちは仏教を信じている一方で、神道の伝統もある。それは生活にとても根ざしたものだったけれども、何か一つの価値体系のようなものを私たちに根づかしていたのだろうか。むしろそういったものを基本に置きながら、私たちの信じていたものは、そこらじゅうにいて私たちを見ているなにか。空間の中に見え隠れする、大勢の何者かの声だったのではないかと思うのです。
 むろんそのような声は私たちひとりひとりの中のものであり、個人個人で違うものなのかもしれない。でもそこは、私たちが知っている、父や母や祖父や祖母から聞いた物語の中に息づいているものによって細い糸で一つに繋がっている。
 そんなふうに思うのです。

 私が新しい宗教について違和感を覚えるのは、そんな何かとの繋がりを感じないからでしょう。そしてそれが、日本人の無宗教の最大の原因であるように思うのです。
 そのように考えると、確かに私たちは科学の教育を受けているけれども、これほどまでにすんなりと私たちに受け入れられてしまうのはそれだけではなくて、私たちの持つ宗教観のどこかの部分と科学とが合致しているのではないか。梅棹先生の言う伝承の上に成立するものなのではないかと思ったりしたのです。