2017-03-01から1ヶ月間の記事一覧

「彼らが本気で編むときは、」感想文 ― トランスジェンダーと母性 ―

「追い出して」と、サラはアブラハムに近づきながら声をはりあげた、「あの奴隷と子どもを追い出してください」 アブラハムは妻のほうをむいた。 彼女は夫の返事も待たず、しゃべりつづけながらやってきた。「あのエジプト人の荒々しいけもののような子が、…

『騎士団長殺し』の考察 ― 二重思考と二重メタファーについての考察 追加 ―

人生は意図せずに始められてしまった実験旅行である。 フェルナンド・ペソア 『断章』107 二重思考と二重メタファーについて、先の文章では少し誤魔化していた部分があるので、ここで追加させていただきます。それは、二重メタファーは自身の中にあるもので…

『騎士団長殺し』の考察 ― 3. 二重メタファーと本当の悪である男のこと ―

詩人はふりをするものだ そのふりは完璧すぎて ほんとうに感じている 苦痛のふりまでしてしまう フェルナンド・ペソア 『断章』 1 二重メタファーについて …心 が〈 二重 思考〉 の 迷宮 へと さまよい こん で いく。 知っ て い て、 かつ 知ら ない で い…

内省するサイコパスと夢の儚さについて

霜草蒼蒼蟲切切 村南村北行人絶 独出門前望野田 月明蕎麦花如雪 村夜 白居易 サイコパスと内省するサイコパス 自分はサイコパスという人の話を今日は二度聞きました。 私はふーんと考えながら、サイコパスには夢があるんだなぁと思っていました。 国会はまさ…

『騎士団長殺し』の考察 ― 2.メタファーについて(2)芸術と存在 ―

いまの私は、まちがった私で、なるべき私にならなかったのだ。 まとった衣装がまちがっていたのだ。 別人とまちがわれたのに、否定しなかったので、自分を見失ったのだ。 後になって仮面をはずそうとしたが、そのときにはもう顔にはりついていた。 フェルナ…

『騎士団長殺し』の考察 ― 2.メタファーについて(1)『ねじまき鳥クロニクル』との比較―

人為的なもの、それは自然なものに近づくための道である。 フェルナンド・ペソア 『断章』16 村上春樹と暗くて深い穴について 村上春樹の本が好きなひとにとって『ねじまき鳥クロニクル』はおそらく特別な一冊になっていることと思います。私も、彼の本は勧…

『騎士団長殺し』の考察 ― 1.イデアについて ―

イデアとは何だったのか 『騎士団長殺し』の一番難解なところは、騎士団長であるところのイデアとはいったい何者なのかということに尽きると私は思っています。「私は(私の)イデアだ」というときのイデアだったとしたら、「私は私たらしめるもの自身だ」と…