Perfume 3rd Tour 「JPN」に行ってきました!

 昨日 Perfume 3rd Tour 「JPN」 に行ってまいりました!

 http://www.perfume-web.jp/cam/JPN/

 極寒のさいたまスーパーアリーナではありましたが、「スタジアムモード」なる最強座席数も満席。中の雰囲気は熱い熱い!

 個人的にじんときたのは、MC2でのあーちゃんの音楽への思い。ネタバレになっちゃうのであまり言えませんが、去年は音楽活動していた人たちみんなが抱えてきた思いを、どうしようもない気持ちを、いつものようにまとまりなく、ごめんなさいと言いながら話す彼女をかわいらしいなと思いながら、今年はいい年に成りますようにといっしょにお祈りするのでした。

 レーザーとディスコ感は昨年の東京ドームに負けない迫力。

 全員参加型のあれももちろん!

 MCでいつも感じるのですが、あーちゃんのかわいらしさ、かしゆかのやさしさにのっちの強さって感じで、コンサートに行くとのっち強いなって印象が強くなりますが、のっち役回り乙!って、君がまとめてるんだよねって、思いましたよ。

 うちでは家族の年中行事に成りつつありますが、家族で楽しんでいる方も周りにたくさんいらっしゃいました。
 しかもみんなで踊りまくり!

 ツアーもこれからどんどん地方に行かれますし、沖縄の野外も武道館も、きっときらきらの笑顔でいっぱいになると思います。
 
 みなさん楽しんできて下さいね!

 Perfumeもがんばれ!

 

 
 

きのう、怖かったこと

 きのう、久しぶりに怖い目にあった。

 地下鉄の改札で別れたので、ひとりきりで帰路についた。私の前にはひとりの少女が歩いていた。
 紫色のロングコートにポニーテール。淡い紫のタイツにビーズの刺しゅう入りの黒いバレエシューズ。ずいぶんと大人っぽい恰好をしている小学生だなっと思った。そう思ったのは140センチくらいの華奢な体とポニーテールを結うゴムにラメ入りの透明なプラスチックの飾りがついていたから。

 変だなと思ったのは、自分と同じ方向を行く彼女の動きが子どもらしくないと気づいた時だ。どことなくぎこちない動きながらも、小学生のそれとは違い重い感じがした。ちらりと見えた横顔にしわのようなもの。
 私の中で疑念がどんどん膨らんでいく。

 彼女に続いてエスカレーターで地上に出る。出る直前、すごく冷たい空気に押され、寒っといって思わずダウンジャケットの襟を立てた。

 外に出ると、そんなに寒いことはなかった。むしろ冬にしては穏やかな宵で、私の心は一瞬で緩んだ。

 私鉄の踏切が閉まっていたので彼女のうしろで開くのを待つ。キキララの少しくたびれているがかわいらしい紙袋。やっぱり、老けて見える小学生なのかな。
 急に何が入っているのか気になった。

 覗き込む隙があったのだ。

 中には大きな紙コップと四角い包み。そして、紙コップの中にはどすっとした茶色い液体が固まったようなものが、底に、周囲に、こびりついていた。
 私には糞に見えた。

 いや、人糞だった。

 ああ、やばい。

 きっと私は青ざめていたのだろう。
 踏切を越えて自宅に向かう道はあまり人が来ないほうなので、彼女が大通りに行ってくれることを願ったが、彼女は私と同じ方向に曲がった。仕方がないので私は彼女の横を急ぎ足で通り過ぎる。
 彼女は贔屓目に見ても20代後半だった。

 何も考えずに家に向かってひたすら早足で歩く。
 途中、狭い道を双子用のベビーカーを押してゆっくり歩く親子が前を歩いていた。
 なんということ。ここで止まれない。
 私はこの幸せな家族を追い抜いて一目散に逃げ帰らなければ・・・。

 親切そうな父親が「邪魔だよ〜。」といって避けてくれた。

 帰る。帰る。

 あっという間に玄関のオートロック。ひとつ、ふたつ。
 エレベーター。
 部屋のロック。

 部屋に入ってやっと一息つく。


 別に彼女が私に危害を与えるはずがない。
 でも、私は知っているのだ。
 大人であって大人でない体の人たち。
 糞を持ち歩く人たち。

 昼間差別のない国に住む私の夜の恐怖。

 私は私の想像に恐怖したのかもしれない。
 でも、久しぶりに怖い目にあった。

 

 

男の子と女の子

 私の職場には小さいお子さん連れの方も多いので、お子さんが飽きないようにおもちゃが置いてあります。5分以上かかりそうなお客様で、お子さんが3〜4歳の方の場合に、私はたいてい一つが7、8センチくらいの木でできた動物の形の色も付いた積み木をお勧めしています。(ちなみに年齢がそれ以上の方の場合は紙と筆記用具を出して「こちらにご記入ください」というし、それ以下の方でしたらぬいぐるみやブロックを用意させていただきます。)

 最近はこの積み木の使い方の男女差がすごく面白くて、仕事をしながらお子様の行動に目が行ってしまうことがしばしばあります。

 もちろん、どのような使い方をしていらしても、おとなしくなさっていればこちらは一向に構いませんし、親御さんは手続きのほうに忙しいので、干渉する大人は一人もいない環境で、お子さんはそれぞれに楽しんでいらっしゃいます。

 女の子はふつうウサギとかゾウとか言いながらお母さんに見せたり、ご自分でごっこ遊びをしています。お気に入りの動物をずっと眺めたり動かしたりしながら、アクティブな方でも両手で動かしながら鳴きまねをしたりするくらいです。
 男の子も、小さい方はそんな感じです。でも4歳くらいを境に、男の子は圧倒的にこの動物の形をした積み木を高く積み上げ始めるのです!
 初めてこの光景を目にしたとき、正直私は驚きました。動物の形をしているのですから、積み上げにくいと思います。それを器用に大きさ順に足のほう下にしてどんどん積み上げます。そうして一番上に二本足のサルを積んで満足げに眺めるのです。

 しかし、ここに書こうと思ったのは、昨日家族で来られたお客様で、お母さんが書類の処理をなさっている間に、お父さんがまさにそのようにしてお子さんを遊ばせるように先導しているのを発見した時です。

 私が今まで目にしていた「男の子だからこうなんだ」は、ひょっとしたら男の子がお父さんと遊ぶうちに身についたのか、お父さんも男の子だからそうなのか。
 とにかく、動物の形をした積み木を「これは動物」という意識で見るのか、「これは積み木」という意識で見るのかという点において、男女差はあるのです。
 そしてこの発見は案外重要だぞ、って私は思ってしまうのです。

 

 

ハクスリーと麻薬

 ハクスリーは『すばらしい新世界』という有名な小説を書いた作家です。

すばらしい新世界 (講談社文庫)

すばらしい新世界 (講談社文庫)

 それと同時に彼は神秘主義研究の分野でも有名で、そのために自らに幻覚剤を注射して、ヨガや禅による修行と麻薬による幻覚の違いについて(それが同等のものであると)説いていたり、サイケデリックという言葉の生みの親のひとりと言われていたりする人なのです。

 彼についていろいろ調べていると、彼の言葉の麻薬に人がいかに影響されているか知ることができます。というより、言葉の麻薬性について考えさせられます。

 幻覚を体験することは神秘的であるのだろうけれど、それが素晴らしいことなのか、怖ろしいことなのか。もし、ある種の麻薬が私たちの感覚の箍を外してしまうのだとして、それが素晴らしいことなのか、怖ろしいことなのか。
 そういった判断を排除することのできる力を、彼の言葉たちは持っています。
 そして実際に、彼の言葉に従って幻覚剤を注射した人が大勢います。

 どうして人はそれほどまでに言葉に操られてしまうのでしょうか?

大雨降りの午前中には

 今日は朝からすごい雨で、家でできるだけ好きなことをしようと思ったんだけど、こういう日は掃除と洗濯したらだらだらテレビを見てしまったりします。

 朝の連ドラの後、国際ニュースを見てからチャンネルを何気なく変えていたらジャニーズ・ジュニアの番組をしていて、わりと良い歌を歌っていたのでびっくり。特にA.B.C-Zの「砂のグラス」がいい曲で、こんな歌を歌っていながらCD化はしてもらえないのかぁとびっくり。帰宅した上のに聞くと誰かの曲を歌ってるんじゃないのって言うのだけれど、ほんとにそうなんだろうか・・・。
A.B.C-Z新曲『砂のグラス』歌詞|Dear....

 そのあとうちのものが録画している「グッド・ワイフ2」と「赤と黒」を見てから「ブレードランナー」の見直し。ちょっとテレビの前に居過ぎかな。
 「グッド・ワイフ」は久しぶりに裁判モノ。私はどうも主演女優と夫役が「ER」と「セックス・アンド・ザ・シティ」なので裁判モノには眼がないものの戸惑ってしまいます。
 私の裁判モノの原点は若山富三郎が主演をした「事件」というドラマ。小学生だった私はバリバリの弁護士志望。いやこの番組からかもしれない!小学生が楽しみに見るような番組でなかったし、だれも語り合う友もなかったけれど、熱中して見ていた覚えがあります。原作大岡昇平だし、濃い人間関係や感情、犯した罪と量刑の重さ。すべて見応えがあった印象です。
 スタイリッシュな味のドラマって、いつからみんなが好きになったんだろう。重さを加えると「家政婦のミタ」みたいにパロディに走るほどの重さになるし。事実は本当に残酷で、その中で懸命に生きる人がいる一方で、そういったことを直接的に眼にすることを避ける傾向は、〈自分とは無縁な不幸〉と言うイメージがどこかにあって、〈私の隣の不幸〉だった頃とはきっとテレビドラマの質も違っているのでしょうね。
 

aikoと椎名林檎のなかの女の子

aikoの新曲『ずっと』

ずっと(通常盤)

ずっと(通常盤)


椎名林檎の新曲『カーネーション
カーネーション

カーネーション

で、二人のなかの女の子について考えていました。

 ふたつともドラマの主題歌ですが、『カーネーション』は言わずと知れた朝の連ドラの、『ずっと』は「蜜の味」という民放のドラマのもので、まったく違ったジャンルで違った女性像を目前においての制作です。しかし、『ずっと』の中の女の子が一途に求めるものは「あなた」で『カーネーション』で「欲しいものはひとつだけ」と言われているのはもちろん「あなた」と同じものでしょう。そして、一途に「あなた」を求めることは、女性にとって美徳でありながら業であり、人間として正しいことでありながら間違ったことでもある。このギャップに悩み涙しながらも、自らの生において強く求め続けるわたし。

 「生きている」ことは決して正しくない、美しくない。しかし人を惹き付けて止まない「蜜の味」はその中にある。そして、女性はその「蜜の味」をこの上なく愛しているのです。

 愛が人を育み、人を成長させ、人を貶め、人を絶望に追いやる。

 aiko椎名林檎もそこまでを楽曲に込めて歌うことのできるすばらしい女性歌手です。女性が歌を作る意味を理解している。

 ああすばらしいなぁと思いながらPerfumeの『JPN』

JPN(初回限定盤)(DVD付)

JPN(初回限定盤)(DVD付)

を聞いて完全なる作り物の女性像を楽しんでいる私ってと思いながら、ほんものと虚構を楽しむ芸能というものの奥の深さを実感するのでした。

赤ちゃんと私

 昨日仕事中9月に生まれたばかりの赤ちゃんを抱く機会がありました。そんなに小さな赤ちゃんを抱くのは本当に久しぶり。

 赤ちゃんはすぐに私がお母さんじゃないことを見破って訝しい顔をしました。「ごめんね。ちょっとだけ代わったよ。」と言うと私の顔をじっと見てまあいいかという顔。しばらくするとぐずぐず。そうかぁ、ぐずってたからお母さんがずっと抱いていたんだった。
 そうして、私の胸のあたりに顔を向けるとくんくんしてお口をんぐんぐ。「そうか!お腹がすいてるんだね。ごめんね。もう少し我慢してね。」少しだけ我慢してくれたものの、もう結構待たされているみたいで、ふんふんと今にも泣き出しそう。体をゆさゆさしてごまかす。
 そうこうしているうちに私も動かなくてはならずお母さんに赤ちゃんをお返しする。その間10分くらい。

 このほんの10分の間私はどれくらい赤ちゃんと会話しただろう。もちろん口のきけない人ですから、しゃべってるのは私一人。でも確かに赤ちゃんの声は聞こえるのです。私はそれに反応して答え、赤ちゃんはまたそれに答えて反応する。
 私にとっては懐かしい作業ですが、この濃密な関係の中で彼女の中にいったい何が生まれているのか、そんなことを考えていたのでとてもとても楽しい時間でした。

 言葉は自然に出てきました。でも彼女の言葉は言葉ではありません。その上彼女が身振り手振りで説明するわけでもないのです。わずかな動きと視線。泣き声。そして、触れる体。五感と五感で会話するのです。

 彼女はただ、生きるための要求を私にしてきます。私は彼女の要求になるべく副った行動をし彼女の満足を得ようと試みます。でもそれは単純に彼女を生かすためではなく、彼女を育てるため。彼女にできることが私にはこれだけあるよと提案している行動でもあるのです。
 彼女は自分の満足を計ります。そうしてこれは心地よい、これは心地よくないと選択します。

 このコミュニケーションの中で私の中は空想だらけです。でもそれはまんざら間違っていないようです。彼女の満足そうな様子でそれがわかります。

 昨日私が一番空想した瞬間はこの時だったろうと思います。本を読んだりゲームをしたり、映像を見たりもしましたが、この時が一番でした。
 それはなぜでしょう。
 赤ちゃんはお母さんの空想で育っているかしらとちょっと微笑んでしまいました。