ちょっとだけ怖い話
この前の明け方、足の指を触られている感じがして目が覚めました。
誰も足の指なんか触る人なんかいないし、しかも遠慮がちにそっと触っている感じ。それも目が覚めるとすぐになくなっていました。
沖縄には幽霊の話はすごくたくさんあります。近くの公園には日本兵のお化けが歩いているので有名だし、たくさんの人が戦争で無念の死をなさっているので当たり前。私が小さい頃には、東京大空襲で亡くなった人の幽霊話なんかたぁくさんあって、そういうの好きな母から聞きたくないのにその場所場所で「ここはね・・・。」と聞かされたものです。
最近はどこもぜんぜん違う場所になってしまったのでむこうではトンと聞かなくなりました。むしろ、変わらない話があってすごいなぁと思います。
でも、この部屋に幽霊がいるとは思えないなぁと感じているところへ、向こうから答えがやって来ました。なんとはなしに覗いていた名嘉睦稔さんの『風のゆくへ』という画文集を見ているときに。
干瀬の潮鳴りが静かになった。
先程から、左足の親指を抓んでは離す者が居る。
佐武留(サンルー)は、その感触からして、
おおかた宿借(アーマン)であろうと、
夢うつつの内に考えていたが、
俄かにその爪の大きさに気付き、
これは宿借のものではないと思い、飛び起きた。
慌てて足を引いたものだから砂が目にかかり、
一時目が良く見えなかった。急いで目を瞬き、
口の中の砂を舌で集めながら、
その赤い者の姿を認めて、佐武留は驚いた。
大口が開いて驚いた。佐武留の指を抓んでいるのは、大変だ、
あのアカカナジャーなのだ。
口は耳元までは裂けていないものの、
つり上がっているから微笑んでいるように見える。
雨も吹き込む程の吊鼻と言われるが、そうでもない。
山羊のように長いのだという耳も、
確かに尖ってはいる。赤い髪は縮れて
体を覆うかのようだと言うが、それはその通りで、
蓑を被っているようだった。大方、謂われている通りであったが、
ひとつだけ聞いた事のないものがあった。
それは、アカカナジャーの瞳だった。
輝く萌黄色をしているのだ。
目蓋に包まれて、開き際に鮮やかな光線を放って、
花のように際立ち美しかった。全体が赤い色の中で、
そこだけ若葉のようにして精気立つのだった。
・・・名嘉睦稔『風のゆくへ −ボクネン画文集−』p19「アカカナジャー」より
このお話は友達になりにサザエを持って来たアカカナジャーと友達になった気がするところで終わっています。
版画で描かれたアカカナジャーはとてもかわいらしく、あ、会いたい!
佐武留は会いたくて夢に見るくらいだったようで、それがアカカナジャーと仲良くなると漁師には大漁が約束されるからなのか、それとも単に会いたいと思っていたのか。この文からはわかりませんが、そんな下心は一切なしで私は一目会いたいと夢見るのでした。
また出てきてね!
私の引用した本がなかったので、こちらをご紹介させていただきます。
- 作者: 名嘉睦稔
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作者の名嘉睦稔さんについては新潮文庫『オキナワなんでも事典』(池澤夏樹編)から。
「1953年、伊是名島生まれ。版画家、造形作家、詩人。三絃(さんしん)の名手にして、琉球空手の達人。海とともに生き、その美しさも怖さも神秘も知りつくした海人でもある。かと思えば、沖縄で最も有名なデザイン会社の経営者という顔も持つ。実に多才な人だ。
肩書きはさておき、名嘉睦稔は何より「見る人、感じる人」である。自然の美があふれる沖縄はもちろん、どんなにごみごみした都会の雑踏からも、何かしら美しいものを見つけてくる名人だ。ふと立ち止まって宙を見つめているときは、風の伝言(いやい)に耳を傾けているか、中空(なかべ)の神さまと話をしている最中。都会人、特にオキナワにはまっているナイチャーなどは、自然は旅に出なくちゃ見つからないと思っている。この人といると、そんな思いこみはウソだということがよくわかる。どこにいたって自然はあるし、いたるところに美しいものがある。まず、自分の足の下を見つめること。そんな当たり前のことを改めて考えさせてくれる人なのだ。(以下略)」