番外編 エンデ『AだからBという関係性を超えて』ブログの向こう側 ―いぶりぃさんに質問!―(2)

前回の続きになります。

 

Ponkichi②続き

 さて、いぶさんのご指摘のあったアトレーユが命の水を飲むことで愛を知ったことについてですが、アトレーユとフッフールは眠っている間に泉に連れて来られた。冒険を続けてもバスチアンがファンタージエンに来ないかもしれないと虚無の事実を知ったアトレーユが絶望を感じ、そのことを幼ごころのきみに話した後、とうとう幼ごころの君がさすらいの山の古老をお尋ねになった時です。そして、命の水は誰かの心の中から湧き出るものですね。私が知りたいのは、幼ごころのきみがアトレーユに与えた命の水は誰から沸いたものかという事です。私自身は既に幼ごころの君に名を与え物語を読み進めているバスチアンのものであろうと思っているのですが、いぶさんのご指摘から想像すると、それまでにファンタージエンを訪れた人々が残してった僅かな残りだと考えることもできそうです。いぶさんはどのようにお考えでしょうか?

 それと、この部分からもう一つ。グモルクのことです。ファンタージエンのことにも現実世界のことにも精通した破壊者であるグモルクはいったい何者であって、グモルクの依頼主は誰なのかという問題です。事典には依頼主は灰色の紳士かその親戚とありますが、グモルク自身は独立した誰の想像にもよらないものなのか、それとも敵役として狭間に住むものとして想像された生物なのかということです。それは、悪に対するエンデの立場も表明される部分であるとは思うのですが、エンデが物語の中には善も悪も両方とも必要だということから、物語からはみ出している分該当しないところが生まれてしまいます。しかし、灰色の紳士ほどの全体悪の象徴と言うのとも違うように思うのです。罠にかかる人の好さやアトレーユとのやり取りを見ても、人狼は本当の悪からは一歩引いた存在であるように思います。エンデはなぜそのような悪をアトレーユの敵にしたのか、いぶさんのお考えをお聞かせいただけたらと思います。

 愛の段階について、いぶさんのご説明でエンデの立場についての理解を深めることができました。ありがとうございます。ここはいぶさんから頂いた文章をもう少し深く読んで、エンデの考えと自分の考えの相違を把握し、混同しないようにできたらと思っています。また疑問点が生まれた時には質問させてください。

 マックス・ムトの物語、私もずいぶん端折って書いてしまったのでご迷惑をおかけしました。いぶさんのおっしゃられていること、最後に旅を続けるのに疲れたムトが考え及ぶところですね、そこは私もなるほどと思いました。ムトがそう思って旅を続けるところで終わりますが、実は私には悶々としたものが残りました。それは、ムトがどう思ったところで周囲の反応によってその道筋が変えられてしまう可能性について、何も払拭できないところで終わったからです。このままでいけば、ムトはずっと悩み続けながら旅をしていくことになるでしょう。そういうことすべてを含めて仕事論のように見えると言わせていただきました。創造的な仕事をしているつもりで、使役されているような場面は、仕事をしていれば日常的に私たちに起こる出来事のように思います。ここのところは、私が穿った見方をしているのかもしれません。

 先日お伺いしたお話を自分なりにまとめて、エンデの本を読み解くヒントにしながら更にまとめていけたらと思っています。またよろしくお願いします。

 

いぶりぃさん③

ご質問を頂いたことを含め、3点書かせて頂きます。

まず、生命の水についてです。ぼく個人の見解ということですが、ぼく自身はまずポンさんの前提そのものに疑義があります。「命の水は誰かの心の中から湧き出るものですね。」とのことですが、このことを指し示す箇所はあったでしょうか?一応、該当しそうな箇所を少し探して見ましたが、見つかりませんでした。もし、ぼくの見落とし等であれば、ご指摘頂きたいと思います。

さて、上記の箇所をお示し頂ければ再検討致しますが、ご質問についての今のところのぼくの見解を書かせて頂きます。まず、生命の水とは誰か特定個人に属するものではないと思います。もし、バスチアンが飲んだ生命の水がバスチアン自身の内面から湧き出るものであれば、またもやバスチアンは自身の内面世界を旅し、自身の内面の深みから生命の水を汲み出すことになってしまうでしょう。前回のお返事にも書きましたように、それは宇宙的な力、コスモス的な力であり、超越的な人間外的な力です。だからこそ、生命の水は幼心の君の力の源泉足りうるのだと思います。補足的なお話になりますし、あまり他作を引き合いにだすべきではないかもしれませんが、比較のために『モモ』の時間の花の描写と比べて見てください。特に、純粋な金(モモ)あるいは金色の光(はてしない物語)でできた丸天井Kuppelという描写は注目に値します。このような描写はエンデ作品においてはしばしば超越的な、彼岸的な場所に用いられています。一方で、『モモ』ではモモは外的な道を通って、自身の内的なもの(時間の花)に触れます。バスチアンは逆に内的な道を通って、外的なもの(生命の水)に触れているのだとぼくには思えます。エンデは子安先生との対談で、シュタイナーを引用しながら、自己を認識したければ自身の外、世界に目を向けなさい、世界を認識したければ、あなた自身に目を向けなさいということを言っていることを付言しておきたいと思います。

2つ目の問題に移りたいと思います。グモルクのことです。実に興味深いご指摘だと感じました。グモルク自身が言うように、グモルクはファンタージエンの存在でも人間でもない、デモーニッシュな存在だと思います。彼が仕える力が灰色の男たちかその親戚だというホッケの解釈はよくわかるものです。というのは、彼らの目的は人間がファンタージエンを存在しないと思わせることであり、それは結局のところ、エンデ的な言い方をするならば、計算・計測・計量できるものだけが現実だと思わせること-唯物主義-だからです。そして、灰色の男たちというのはまさにそういう存在として描かれています。とはいえ、グモルク自身は灰色の男たちと同じ存在ではないことも確かなように思えます。グモルク自身の発言からそう解釈できます。では、グモルク自身がどういう存在なのか、これについてはグモルクについての描写が余りに少ないためにほとんど推測できないと言わざるをえないように思います。

悪について、もう少し付け加えたいと思います。まず、グモルクは「アトレーユの敵」と言っていいのかについて、ぼく自身は疑問に思えます。確かに、グモルクの標的はアトレーユかも知れませんが、グモルクはファンタージエン全体の、人間の、幼心の君の敵対者(の手先)だと言ったほうが適切ではないかと思います。ポンさんがおっしゃるような「本当の悪」とはおそらく「灰色の男たち」のような悪のことを指していると思うのですが、彼らとグモルクの違いは上述したようにグモルクと彼の仕える力が同一ではないということが一つの理由であるように思います。エンデ作品で言えば、『魔法のカクテル』のマーデ氏、『サーカス物語』のアングラマインなどがポンさんの言うような「本当の悪」、冷酷で非人間的で計算合理的な灰色の男たちのような存在だと言えそうです。一方で、『魔法のカクテル』で言えばマーデ氏に仕えるイルヴィッツァーやティラニヤはどこか人間的でユーモラスです。あるいは、『ジム・ボタン』の海賊たちもそうかもしれません。この違いは、前者は人間を唯物的なものに導く力であり、後者は間違ったところに置かれた善であるというところにあるかもしれません。『魔法のカクテル』では永遠の相の下で見れば、悪も善にとって必要であると言われています。いずれにしても、『はてしない物語』内の描写だけでは、グモルク自身について明確に何かをいうことはできないように思いますので、ご参考までに他作品との比較を通して、一つの見通しを示唆するだけに留めさせていただきたいと思います。

最後に、マックス・ムトについて少し触れさせて頂きます。まず、補助線として先日お話させて頂いた『有限ゲームと無限ゲーム』に触れたいと思います。Carseは(かなり端折った言い方をすれば)この二つのゲームのタイプを有限ゲームは勝利条件に合意するゲーム、無限ゲームはゲームを続けるためにルールを変えることに合意するゲームと特徴づけています。ムトにとって、それまでの旅はゲーム(=旅)を終わらせるためのもので、Carse的に言えば有限ゲームでした。ムトの転換は有限ゲームを無限ゲームへと変えること、つまり旅を続ける(ゲームを続ける)こと自体を目的としたゲームへと変化させたという点にあります。彼の倦怠は目的を達成すること、つまり旅を終わらせることへの絶望感にあります。ですが、彼は旅の終わりを前にして、自身がそれを望んでいないことに気づきます。そこが彼の転換点であり、ゲームそのものを変化させる転換点です。ポンさんはムトが「旅を続けることに疲れた」と書いておられますが、ムトが旅を続けることに疲れたのであれば、彼は旅を終わらせることができました。ポンさんが書かれたことを読む限りでは、ポンさんはムトが単に考え方を変えたのだと見ているようですが、実際は彼の行為の本質がそもそも変化しているのだというのがぼくの考えです。

以上、あまり問題を複雑化しないように、あえて触れていないところも多々あるので、言葉足らずな部分も多いかもしれませんが、よろしくお願いします。

 

Ponkichi③

 ありがとうございます。実はいぶさんにご指摘を受けてから自分がなぜ生命の水が人の内面から湧き出すものと思っていたのか考えていたのですが、やはり、バスチアンが来ることでしかファンタージエンが虚無を逃れる方法がなかったからであろうかと思います。もしも生命の水が何もかもの源泉(=愛を与えられるもの)であり得るならば、当然ファンタージエンは今ある人間の想像力が死んだところで未来のために維持されるべきですし、そうであれば生命の泉が枯れることがなければ、幼ごころの君は死ぬことなどないと思えるからです。ファンタージエンが虚無で侵されることが、人間界にも影響をもって、人間が目に見える真実(比べられる事実)しか信用できなくなる相互関係を持つならば、余計にファンタージエンは聖なるものとして保護されるべきです。でも、バスチアンがいなければファンタージエンのすべてが虚無に飲み込まれてしまい無くなってしまうということを目の当たりにすると、ファンタージエンそのものは人の想像力によって作られるものであり、その源泉である生命の水自身がその源である想像力の結晶であるであろうと考えたのです。だからこそ、現実世界に戻るためにファンタージエン創造のために使い果たした現実より持ち込みし想像力(=記憶)を飲み込んで記憶が戻ったというのが私の考えです。

 でも、いぶさんのお話を伺って、なるほど命の水自身は永遠のものであり、命の泉は永遠なるものから引き込まれていると考えることが妥当なのかもしれないという気もしてきます。確かにバスチアンがファンタージエンにやってきたとき、モンデンキントがバスチアンに渡した砂の正体がなんであるか、砂の正体はファンタージエンのわずかに残った一粒の砂なのですが、大切なのはその砂を想像力によって目に見えるものに変える働きをする何かですね。それが〈魔法の力〉、人間界とファンタージエンを結ぶ世界の架け橋、そして『はてしない物語』で常に皆を縛る決まり事です。この力こそ聖なるものの正体であり、それは生命の水であるという考えは合理的であるように思えます。

 ただ一つ納得いかないのは、そこに介在する人間の想像力自体は何の具現化もされていないのかということで、目に見えないものとして強調されているのかもしれないとも思われますが、魔法を叶える唯一の方法でありながらぼやけている感じが私はしてしまうのです。本という媒体を通じて行くときには簡単に行けました。しかし、帰りは水を飲まなければ帰れません。それは帰れる要素がないからです、というのはあまりにおかしく感じてしまうのです。だから単純に、失ったものを返してもらって帰ることができたという判断をしたのだと思います。

 しかし、ファンタージエン(=想像世界が具現化したもの)と現実世界を行き来できる水の存在があって、さらにそれを飲むことによって行き来が可能になるというのは、村上春樹も『騎士団長殺し』の中でメタファー通路から帰る方法としての川の水という形で採用していたりもするし、ファンタージエンを彼岸にするというような考え方にするのなら、そちらの方が正しいような気もします。

 要するに、本という媒介を使用したことが私の混乱を招いているのだと思います。そう感じて『モモ』についても再読してみました。

 『モモ』の中には池が出てきますね。美しい花が次々と生まれては消えていく場所としての池です。その池は、モモの心の中心にあります。そこには光の柱がまっすぐに降りてきていて、水面のすぐ近いところに振り子がある。まさに、この表現にあるように、水はモモの心の奥底で湧き出ているもの(=想像力)であり、そこに刺す光の作用(永遠なるもの・聖なるもの)によって自分自身の身の内に時間である花が誕生し、振り子(星々の声)の作用によって時間を得て成長し時間の経過によって枯れていき、また繰り返し咲いては枯れていく。灰色の男たちによって人々から盗まれた時間は花として保管されていましたが、本当の目的は、花を得て自分たちの命を長らえながら、自分たちの世界に変えるために人間から想像力を奪い、致死的退屈症に至らしめることです。あんなにマイスター・ホラに執着したのは、花を直接的に手に入れたかったからとホラは言いますが、同時に人間の池の水が枯れたら、いくら光と振り子があっても花を作り出す装置としての人間がいなくなるからではないかと考えられます。私にはマイスター・ホラがどのような方法で時間の花を作り、人々に分け与えていたかは、私には分かりませんでした。でも、それはきっと彼が永遠の泉だからできることかもしれません。時間の管理者だからとなるともう作れるからということになりますが。

 『はてしない物語』に引き続き、『モモ』の私の読み方はこうなりました。

 

 グモルクの話題、ご意見ありがとうございます。グモルクを敵としたのは、『「はてしない物語」事典』のグモルクの項目に、アトレイユの唯一のかたき役とあったからなのですが、確かに敵はおかしな表現だったと思います。私も敵とは思っていなくて、ただ、どうしてそこまで律義に悪者に忠誠を誓っているのか不思議に思うのです。それはひょっとしたら、事典にある「2つの世界どちらの世界にも属していないので、どちらの世界も愛せない」というところによるものなのかもしれません。でも、キャラクターの中でも私にとってはすごく重要なものになりました。

 

マックス・ムトについて、私が言いたかったのは、ゲームは一人で行われているわけではないので、他者の納得のいくルールに従わなくてはならないのではないかという事だったのですが、いぶさんのおっしゃられた通り、よく考えてみるとムトは自分のために無限のゲームをすることに決めたのなら、有限のゲームの理屈は通らないなということが分かりました。この部分は現実的に考えるのはやはり物語を台無しにするだけだとも思います。

 それと話題が逸れますが、先日『BLAME!』を鑑賞したのですが、育ち続ける都市の構図が全くムトと同じだったのでびっくりしました。増大し続けるムトの都市は人をそのまま飲み込みましたが、増大し続けるブラムの都市はその自衛機能によって人を殺害し続けていました。そのどちらが現実的かを考えるのもおもしろいなと思います。もう人はとっくに飲み込まれていて、次に予測されるのは殺されることかとも思います。

 

 愛の段階については、私は他者的な段階についてはいぶさんに同意しますが、それを経ての自己的な段階ではなく、同列的に行われ、永遠的な何かは段階を経て初めて得られるものではなく、常に降り注いでいるものであろうと思います。

この点、いぶさんのお考えをきちんと理解していない可能性もあるので、ご指摘があればよろしくお願いします。

 

 いかがでしたでしょうか?

 毎回丁寧にお答え頂けるので、どんどん考えることが増えてしまっています。

さて、次回の転回はいかに!

  

番外編 エンデ『AだからBという関係性を超えて』ブログの向こう側 ―いぶりぃさんに質問!―(1)

 先日アップさせていただきましたエンデの著作を通じてエンデを知ろうとする試みですが、ブログにも書かせていただいた通り、元はいぶりぃさん(@iwri)の読書会でのお話からヒントを得、その後もいぶりぃさんにお話を伺ったり質問させて頂いたりして文章を書けている状態となっております。

 その際、文章をやり取りさせていただいたものを私だけが独占しているのはもったいないと感じましたので、ブログに掲載する許可を頂きました。それをここに掲載させていただきます。

 なお、やり取りはどんどん継続しておりますので、まとまり次第随時アップさせて頂きます。

 

いぶりぃさん①

原稿拝読させていただきました。 一点疑問点があります。共感と愛をイコールで結んでいいのかという点です。エンデが言 う、創造的力の最高の形式としての愛、というところで言えば、愛はもちろん共感ではある わけですが、共感より狭い、こう言ってよければ、高次のものだという気がします。先日も 少し引用しましたが、エンデは書簡の中で、人の嫌なところがまず目につくわけだが、その 背後に愛すべき点を見つけるのには創造的とも言える努力が必要だと言っていますが、そう いう意味では、反感/共感図式で言えば、反感を乗り越えた共感と言えるかもしれません。 ぼく自身は以前、最高度の共感と表現した記憶があります。 補足を含めて付け足しなのですが、「はてしない物語」に即して言えば、愛することへの道 は段階的だと読むことができます。初めに、イスカールナリたちの和合、自他の区別のない 融和があります。第二にアイゥォーラの母性的な愛、血縁に基づいた愛があります。第三に 愛の前提になる愛の対象の発見、同時にミンロウドでの自己自身への沈潜(ここの部分は議 論が複雑なので無視していただいて構いません)です。単に子どもの共感といったとき、お そらくイスカールナリやアイゥォーラ的なものも含むのではないかと思います。 ここからは付け足しですが、エンデは子安先生との対談(エンデと語る)で希望信仰愛を超 自然的な徳、「にもかかわらず」の徳だと言っていたのを、記事をよませていただいて思い 出しました。お読みになられたことがあるかわかりませんが、この点については『自由の牢 獄』所収「夢世界の旅人マックス・ムトの手記」が示唆的かもしれません。ご参考までに。

 

Ponkichi①

 ご意見ありがとうございます。

 共感を愛に持って行った部分は自分でも多少強引かとは思っていました。この部分には何か一つ書き加えたいと思います。そこの問題点は、私が必然性の鎖から解放される創造性についての文章を見つけられなかったからで、何かいいものがあったらご提示頂けると助かります。

いぶさんのご意見のとおり、バスチアンは物語の中で、イスカールナリたちのような並列的な存在ではなく特別な愛を受けた特別の存在になりたいと願う事、アイゥオーラによる無償の愛を授かることによって起こる誰かを愛したいという気持ちを持つこと、そしてヨルの採掘場で暗闇と沈黙の中で愛するものを見つける行為をすることという段階を経て、自らを取り戻していきます。

ミンロウドで自らの中に入る愛については、暗闇と沈黙の大切さを表したいい文章だと思います。人は自らの深みに入らなければ大切なものを得られないときもありますが、一人きりで深層心理に入り込むというのは精神的にも肉体的にも大変な苦痛を強いるし、それこそ帰って来られなくなる可能性がある。しかし、彼は採掘士見習いであり、ヨルという師匠を得て入っていますから、その辺りは導くとは何かという問題に繋がっていくように思います。

ただ、一番大切なことは、アトレーユという、孤児でありながら、皆の息子として部族の皆が大切に育てた、すべての愛を持った人が常に側にいたということだと思うのです。そして、アトレーユはバスチアンが作り上げた希望的な私、自らが欲していても手に入らないと思っていたすべてを持つ私の中の私です。彼は常にバスチアンの傍らにいて、バスチアンにすべての愛を注ぎます。それは、前述された過程を経て実は何者になりたいのかという答えを示している。つまり、愛せる人です。バスチアンはアトレーユを拒絶して一人になった時に試練を受けられるようになりますが、これこそが、作中でエンデが言いたかった最大のこと、自らの中にある愛せる人を、ある時は愛し、ある時は助け、ある時は裏切り、拒絶し、自分自身を構築しなさいという示唆であると思うのです。これは、自分自身に対する感情のコントロールを意味しています。いぶさんが指名してくださった他者から受ける感情と、自分自身の感情。この二つの感情に対して同じように体験しなければ得られなかったものがバスチアンには必要だったのだと思います。アトレーユがすべてを持った人なので、私は敢えていぶさんのおっしゃったことに対して段階的な愛などと言うものは無くて、愛というものは全てにおいて愛なのだというお答えをしたいと思います。例えば子どもであっても深い愛は十分に持ち合わせているように思います。

「夢世界の旅人マックス・ムトの手記」読み直しました。私は自分をさ迷えるリドルマスターと位置付けているので(笑)彼の気持ちは非常によくわかります。しかし、彼は誰かのために働き、それを自分の生きる糧にしているのだから仕事論のようにも読めて切ないですね。哲学や科学を超えたところにある人間自身の徳について、深く考えていきたいです。

 

いぶりぃさん②

お返事ありがとうございます。

まず、ご質問の方ですが、先日引用させて頂いた愛は創造力の最高の形式であるとのエンデのメモは、ロマン・ホッケによる『はてしない物語辞典』の中で引用されている未公開遺稿からのものです。ぼくは原書しか持っていないので邦訳は確認していませんが、ご参考にはなるかと思います。なお、本の内容自体はエンデの未公開遺稿がかなり引用されているという意味で貴重ではありますが、基本的にはロマン・ホッケの見解によるところが大きいので、あくまでホッケの見解、あるいは二次創作と見たほうが良いかと思います。それ以外に、明確にこの点を示唆しているテキストは、ちょっと思いつきません。あえて言えば、こちらも先日引用させていただきましたが、遺稿集『だれでもない庭』に収録されているNさんへの手紙の中で少し触れられています。作品で言えば戯曲『サーカス物語』かなとも思いますが、作品の場合、それ自体が語られているわけではないので少しどうかなと思います。

さて、最初に少しぼくの書き方が悪かったようなので、一点訂正させていただきたいと思います。ぼくはイスカールナリから生命の水までの道のりを「愛することの段階」とは考えていません。「愛する」とは生命の水を飲むことで初めて可能になることであり、そこまでの段階はあくまで「準備段階」のようなものであり、ここまでの文脈に即してあえて言うならば「共感の段階」と言ったところです。ぼく自身のこの点に関する見解を厳密に言うとまた少し違ってくるのですが、これは話を簡略にするためにあえてあまり触れなかった第三の論点と係わるので、この点は後述させて頂きます。

アトレーユの存在をどう捉えるかについては、おそらく作品解釈を大きく分ける点だと思いますが、ぼく自身の考えで言えば、解釈そのものについては個々人に委ねられるべきだと思うので、その点についてはポンさんが納得の行く解釈をされれば良いのではないかと思います。かわりにと言ってはなんですが、作品内における事実的な点については一つ指摘させて頂きたいと思います。ポンさんの書き方ですと、アトレーユはそもそも「皆の息子」として愛することを知っている存在であるという風に読めますが、この点については、アイゥォーラのファンタージエンの生き物は愛することができないという言及について検討が必要かと思います。生命の水を飲むことが出来た少数のものだけが愛することができる、とアイゥォーラは語ります。アトレーユ自身、生命の水の場面で僕は前にここに来たことがあると言う趣旨のことをいいます。つまり、アトレーユが愛することができるのは生命の水を飲んだからなわけで、これはもともとアトレーユが愛することができる存在ではなかったことを示唆しています。この点については、ぜひご一考頂ければと思います。

もう一点、補足的な指摘をさせていただきたいのですが、ミンロウド、あるいはファンタージエンそのものの問題です。ぼくが読んだことがある多くの『はてしない物語』論ではあの世界をバスチアンの内面世界、深層心理的な世界と解釈しています。しかし、エンデ自身もどこかで指摘していたと記憶していますが、ファンタージエンは単にバスチアンの内面世界ではありません。これは作中で様々に示唆されています。例えば、三人の騎士が荒野で歌う歌はシェイクスピアリア王の道化の歌(だったと思いますが)であり、シェクスピアーとかなんとかいう旅人(邦訳だと少し分かりにくい言い方になっています)という言い方がされていたと思いますが、かつてシェイクスピアファンタージエンを旅したかのように書かれています。また、ミンロウドの絵についても、明確にダリの絵画や父エトガーの絵画を指していると見える描写があります。ヨル自身もそれは人間の忘れられた夢の層だと言っています。ノヴァーリスの有名な断章を引いて言うなら「内部へと神秘に満ちた道が通じる」わけです。いずれにしても、あの世界、単にバスチアンの内面世界・深層心理と考えるのは、少し単純化しているように、個人的には感じています。余談ですが、ミンロウドはとても興味深い舞台です。鉱山はドイツ・ロマン派の主要なモチーフの一つでした。ノヴァーリスはもちろん、ティークやホフマンらも鉱山を描いています。ロマン派においては、鉱山は神秘的で、魔術的(あるいは魔的)な、ある種の別世界のように描かれます。エンデがこのようなロマン派的伝統に対して、意識していなかったとはとても思えないところです。

最後に、少しだけ愛・創造力に係わる第三の軸について触れさせて頂きます。エンデは愛は創造力の最高の形式であり、それはカバラのセフィロトにおけるケテル(王冠)のセフィラだと書いています。重松禅師との対談の内容と合わせて考えると、ここでエンデはいわゆる高次の自我について触れていると考えられます。その意味で言うと、最初に書いたことに戻りますが、ぼく自身の解釈を厳密に言うならば、イスカールナリたちのところから、生命の水までの道のりは自我発展の道のりであり、自我の段階的発展の道のりだ、ということになります。ぼくの解釈が少しわかりづらくなっているかと思い書きましたが、今までの議論の流れで言いますと、この点についてまで話を広げると、少し広げ過ぎだという気がするので、この点については無視して頂いて構いません。

もう一点補足で、言葉が足りなかったのですが、マックス・ムトの物語で注目して頂きたかったのは、彼がA→B→C…という~だから~する(しなければならない)という振る舞いから、自らC→B→Aというルールを作り出す(創造する)という振る舞いへと転換した点でした。彼が旅を続けるのは旅をしたいから(原文を直訳すると私は好んで旅をするという感じになります)です。この自らルールを設定することで因果論的関係(~だから~する)を超えるという点は、エンデの遊戯論の重要なポイントで、『サーカス物語』で愛と自由と遊びという三つが並列され、この三重のものは結局一つのものなのだと言われることとも関わってきます。ですが、これもまた少し話を広げすぎたかもしれません。エンデの愛ということを深く考えようとすると、実際、かなり幅広いエンデの議論を抑えないといけないということと理解して頂ければと思います…。

 

Ponkichi②

丁寧にお答えいただいてありがとうございます。

 付け加える部分は「Nさんへ」をまるまる引用しました。多少分かりやすくなったかと思いますが、いぶさんのご指摘のとおりエンデの文章は多様性があるように思うので、これがすべてかというとやはり自信はありません。この前お話しさせていただきましたが、少し続けようという意思が生まれたので、芸術論と遊びのお話にして続けたいと思います。

 今回はここまで。ブログ掲載前の文書までです。

 本文より内容も濃く、きっとお楽しみいただけたのではないかと思います。

 次回もお楽しみに!

AだからBという関係性を超えて ―エンデの愛について―

 「遠い、遠い昔のこと、」と花咲くおばさまははなしはじめた。「わたしたちの国の女王幼ごころの君は、重いご病気で、もう死にかけていらっしゃいました。女王さまには新しいお名前が必要で、それをさしあげることができるのは人間世界のものだけだったのに、人間がもうファンタージエンにこなくなっていたからです。どうしてこないのか、だれにもわかりませんでした。もし女王さまがおかくれになれば、ファンタージエンはおしまいになってしまうのです。ところがある日、というよりある夜のこと、やっとまた人間がやってきました。小さい男の子でした。そのぼうやが、幼ごころの君に月の子(モンデンキント)という名をさしあげました。女王さまはそれでまたお元気になられ、お礼に、この国でぼうやの望みはなんでも実現させてあげると約束なさいました。—ぼうやが、真の意思を見つけるまで、なのだけれど。それからというもの、ぼうやは一つの望みから次の望みへと、長い旅をして、そのつど望みがみたされてゆきました。一つ望みがかなえられると、新しい望みが生まれました。よい望みばかりでなく、わるい望みもありましたが、女王幼ごころの君は全然区別なさいませんでした。幼ごころの君は何もかも等しくお認めになり、女王さまの国ではみんな同じように大切なのです。そして、とうとうエルフェンバイン塔が崩れおちることになったときでさえ、それを防ごうとはなさいませんでした。ところが、ぼうやは、望みが一つかなえられるたびに、自分の元いた世界の記憶を、一つずつなくしていったのです。といっても、ぼうやはもう帰る気持ちはなかったので、気にもかけませんでした。だから次から次へと望みを持っては進むうちに、とうとう記憶のほとんどを失ってしまいました。覚えていることがなくては、もう望むこともできません。こうしてぼうやは、もう人間というよりは、ほとんどファンタージエン人になってしまったのです。ぼうやはそれでもまだ、何が真の意思なのかわかりませんでした。今やそれが見つからないまま、残されたわずかな記憶までなくなってしまう危険が出てきたのです。もしそんなことになれば、ぼうやはもう自分の世界に帰れなくなるのです。そのとき、ぼうやは、やっと変わる家にたどりつきました。そして、真の意思が何なのか、それがわかるまでそこにいることになりました。というのは、この変わる家というのは、家そのものが変わるだけではなくて、家がその中に住む人を変えるから、そういう名前がついているのです。それは、ぼうやにはとても大切なことでした。ぼうやはそれまで、自分とはちがう、別のものになりたいといつも思ってきましたが、自分を変えようとは思わなかったからです。」

 

ミヒャエル・エンデ著 上田真而子佐藤真理子訳 『はてしない物語』 岩波書店 pp530~531

 

 先日いぶりぃさん(@iwri)のご厚意でエンデ読書会に参加させていただきました。その際にたくさんお話を聞かせていただけたのですが、ここでは私の関心事であった、エンデの作中で私たちが感じることができるにも関わらず実生活に生かしきれないなにか、そしてその何かが私たちを変えられる力であるということについて書かせていただきたいと思います。

 

エンデ (中略)

 ところがぼくのいう文化は、むしろね、タイフスタイル、価値観、—こういってよければ―生活態度の共通性のことだ。この共通性は、時代とか社会がもっているもので、この共通性において時代や社会が自分を再発見し、自分を表現したりもする。さて、こういう意味で文化を考えてみると、いまやぼくたちは世界史全体のなかでほんとうの跳躍点に立っていると思えるわけだが、ともかく文化は、マテリアリズム的な世界観のなかからは生まれてこない。ぼくたちの思考は―とりわけそれは自然科学的な思考でもあるわけだが―すべて、19世紀のマテリアリズムに染まっている。いま武器としてもちいている概念はみんな、ほんとうにあいかわらずマテリアリズム的色彩の濃いものだ。それは思考のかたちまで染めあげている。

 たとえば、純粋に因果関係の理論にしばられた思考が正当であるのは、いくらか決められた領域においてだ。物理学、それに化学だ。ところが人間というものを因果論的産物、因果関係にしばられた存在としか見ないとすれば、価値といったものがいっさい考えられなくなってしまう。文化とか、ライフ・クオリティについてのおしゃべりなんか、みんなむなしいきまり文句の行列になってしまう。

エプラー もしも、ハンネ・テヒルのいったことを真剣に考えるとすれば、新しい道がどこへ通じているかが精確にわからないにしても、若者は新しい道を歩きつづけようとしている、ということになるだろう。そのことをぼくは、「踏みかためられて自然にできた小道」(エアハルト・エプラー『危険から脱出する道』〔1981年、ラインベーク〕に出てくる概念)という言葉でいったことがある。カタストロフが待ちかまえているのはどの方角であり、どの道なのか、ははっきりしている。だから道のない別な方向に歩きつづけると、踏みかためられて自然に小道ができる。そのときズボンが破れたり、指から血をだしたりするわけだけどね。こういう手探りの時期をへてはじめて、新しい文化が生まれる。

エンデ 現在も進行中だけど、ここ4,5年のあいだにはっきりしてきたこと。それはね、一般に考えられているよりはるかに深いところで進行している意識の変化なんだ。ぼくたちは、あるひとつの発達において、とうとう終点にきてしまったんじゃないか、というのが実感だね。とくにね、概念をもちいた抽象的思考にかんしてだが。現在ではまだ過激な発言ときこえるかもしれないけど、どうやらぼくの感じでは、ある種の思考、つまり、16世紀頃、ジョルダーノ・ブルーノやガリレオ・ガリレイニュートンなどとともにはじまった思考形態が、死んでしまったようなんだ。その種の思考は、単一の世界を引きさいて、客観的現実と主観的内面とにわけた。まるで、人間の意思なんかなくなったって事実の世界は存在するかのようにね。当時、「あたかも人間の意識などまったく存在しないかのように、やってみよう。そして、事物が『それ自体として』どうあるのかを調べよう」といわれたものだ。ところがその場合、見おとされていたことがある。「あたかも……かのように」式の発言には、すくなくともある種の人間の意識が必要なんだ。つまりね、人間の意識というものを排除して考えるなにかが必要だからね。リアリティというのはそれとはまるでちがう。ぼくたちの知っている唯一のリアリティというのは、人間をふくめたリアリティだ。16世紀はじめには、世界を客観と主観に二分するのは、なにか特定の研究をすすめるための、まったくのフィクションだということが、まだみんなの意識にのこっていた。ところが、時代がすすむにつれて、この二元論はフィクションにもとづいているという点が、すっかり忘れられてしまったようだ。今日ではほとんどの人が、客観的な世界と主観的な世界があるということを信じて疑わない。それどころか事態はもっと深刻で、「客観的」という言葉が「正しい」の同義語にされてしまっているんだ。新聞などでよくお目にかかる、なんとも結構な表現があるだろう。「それは客観的に正しい」というやつね。この表現が厳密にはなにを意味しているのか。これまでだれからも納得のいく説明をしてもらったことがない。逆にね、「主観的」というレッテルは、「錯覚」の同義語になってしまっている。というわけで、ぼくたちの思考は袋小路にはいりこんでいて、認識の発達などいっさい望めない状況だ。はなはだしくまちがった現実概念!このあやまった概念を克服できる方法は、ぼくの考えでは、ひとつしかない。つまり、二元論を捨てて、フィクションをフィクションとして再確認する。それから、人間の意識と世界とがわかちがたくひとつに結びついており、両者が一枚のコインの表裏でしかない、ということを理解する。それしか方法はないんだ。どんな認識だって、認識する意識というものを前提としている。いいかえれば主観が前提にある。そのことがわかれば、マテリアリストになんかなれないね。

エプラー それは反デカルトということだ。デカルトは「考えるもの(レス・コギタンス)」と「延長するもの(レス・エクステンサエ)」とにわけた。人間は「考えるもの」だが、動物は「延長するもの」であって、石ころとか金属とまったくおなじというわけだ。そういうふうに区別すると、もちろん、自然という概念がからっぽになる。今日、そういう区分が使いものにならないとわかれば、またひとつ別のことが指摘できるわけだ。現在ぼくらが直面している思考の激変は、いちばん手っとりばやいところでは、ルネサンスの思考の激変とくらべることができる。

エンデ そう、ぼくはときおりこんなふうに自問することがある。ソクラテスとともにはじまったヨーロッパの思考、いいかえれば、対話にもとづいた弁証法的な思考といったものが、いまや今世紀において終わろうとしているんじゃないか。と同時に、16世紀が経験したよりもはるかに鋭い変化が、はじまっているんじゃないか、とね。

 論証する思考というのは、じっさいソクラテスからはじまったわけで、ソクラテス以前の人たちはまだ知らなかった。彼らにとって重要なのは「すぐれたもの」つまり質のほうだった。ヘラクレイトスの思考は、今日の論理的な概念思考といったものよりは、アジア的思考、禅の思考にはるかに近いといえる。そもそもソクラテスの弟子たちの時代になってはじめて、論理的な論証で真理を手にいれることができ、手にいれたその真理をもちいて、なにか確かなもの、「客観的」なものをつかまえることができると考えられるようになった。こういう思想をへて、16世紀になって、すべてを量でとらえようとする思考が登場する。数えられるもの、計測、計量できるものだけが、正しいとされ、最後には、質にかんする現実までもがすっかり否定されてしまった。なにしろ質というものは、量的な思考ではとらえきれないからね。美というものは、たしかに測ることはできないが、にもかかわらず存在はしている。しかし美の知覚は、知覚する人と切りはなすことができない。とすると外もなければ内もないということになる。

 

M・エンデ E・エプラー H・テヒル 丘沢静也訳 『オリーブの森で語りあう』 岩波書店 pp36~pp40

 

 長い引用になってしまいましたが、ここでエンデは二元論的な存在論について否定的な意見を並べています。これはエンデが一貫して説いている言葉で、人間は自分から離れた自分にはなれないこと、つまり、自己が意識から離れて客観的な論理によって成り立つことなどあってはならない危険な行為であるという警鐘を鳴らし続けます。人が生きるということ、つまり存在を維持するということは、現実世界という自分でしか確かめられない何かを引き受けることであり、その際に必要なのは、自分の中にある世界と外の世界とを統合あるいは分割して考えられる力であって、決して現実的に測量できる何かと比較することではない。さらにそのような行為に至るには、ある種の抽象的な思考による(人間形成の)場が現実に作用する重要性を見落としてはならないというエンデの思想があります。このことは、人が自分で考えるというのはどういう事だろうという問いを私たちに突き付けます。

 

同じように教育論についても、子どもたちに対して正しいことを客観化して教え込むことに対して批判的に書いています。

 

 なにを学びとるにしても、子どもはあくまでも共感するから学びとる。学ぶ内容自体への共感か、それを教える者への共感である。どの子どもも、魂がまだ健全ならば、愛することも、感心することも、なにかを美しいと思うことも、大喜びすることもできる。端的に言えば、子どもは生きることの価値と、生きることの尺度をさがしているのだ。そして、教育者の課題はとどのつまり、この受け入れる姿勢を目覚めさせ、それを正しい道へと向けることにほかならない。ここで、重要な点に達したようだ。

 このことは、批判教育を提唱する誰もが避けている。おそらく、自分自身が愛せないことや、基準のなさを、程度の差はあれ、はっきりと感じていることが、その原因ではないか。なぜなら、純粋な主知主義は生きる価値も基準も生み出すことはできないからだ。だから、子どもたちに提供することでも、自分の人格をかけて責任を持つことができない。

 人は“正しいこと”を客観化したくてしかたがない。いわば個人ではなく、純粋な事実だけを、科学的に、価値観にとらわれずに伝えたいのだ。こうして致命的な矛盾におちいる。価値観にとらわれない生きる価値などないからだ。そこで、逆の道を試すことになる。子どもたちの目を”正しくないこと“へ向け、それに対して”批判的“であるように仕向けるわけである。だが、実際には自分の立場をしめせないから、真の否定をも与えられない。そのため、判断することを自分で学びなさいという言葉とともに、問題は結局、全部あっさりと教育の犠牲者、つまり子どもに押し付けられるのである。しかし、その判断する基準となるものは子どもに与えられない。その結果、そこから出てくるのは「子どもって、損だな」という、不平っぽい、ふくれっ面で、不機嫌な、あの、よくあるパターンだけなのである。

ミヒャエル・エンデ著 田村都志夫訳 『エンデのメモ箱』 岩波書店 pp155~156

 

 こちらの文章でエンデは主知主義批判と共感の重要性を説いています。主知主義については前述の引用文章からエンデの言いたいことが詳しくお分かりいただけると思います。そして、共感するということは、もちろん相手の気持ちになって考えることができるという事ですが、エンデの考えによれば、それはAだからBという思考の垣根を越えて相手のことを思うことができるということへの道筋なのです。そしてエンデはその到達点のことを愛と呼びました。

 

Nさんへ

 お手紙に示されたご信頼に、お礼申し上げます。ご質問にお答えするのは、たやすいことではありません。まずひとつ書いておきたいことがあります。それは、愛することができない、とあなたが思われる事実が、実はすでに、あなたのなかに愛する強い能力がひそんでいる、いちばんの証拠なのだということです。この能力をいかにしてめざめさせるかという問題は、簡単なレシピでお答えするわけにはいかないでしょう。「隣人を愛せよ」とか「人びとを愛せよ」と、説きつづけてやまない人たちは、わたしには、まるでストーブに対して薪や石炭を入れずに、「あたたかくなれ、あたたかくなれ」と呼びかけているように思えるのです。このたとえでわたしが言いたいのは、人のなかに、その人を愛したいと思うものを見ず、はっきりととらえることができなくては、言うまでもなく、ひとりの具体的な人間を愛することはできないということです。

 それには、たしかに少なからぬ努力がいります。もっぱら優越感にひたり、冷たいふりをする人間の仮面のうしろに、とほうにくれたさまや傷つきやすさを見るには、創造的な努力が必要なことだってあります。

 わたしたちの目に入るのは、まずは、人の悪い面であって、ほんとうの愛すべきものを見るためには、それを見ようとしなければなりません。このことはもちろん、その瞬間には自我を忘れなければならないことを意味します。

 宗教的な観念について、Nさんがどのようにお考えか、わたしは知りません(また、お手紙からもわかりません)。なぜそれをたずねるかと言いますと、「永遠という観点のもとで」人を見ないかぎりは、人のなかになにか愛すべきものを見つけられるとは、とても思えないからです。今日の自然科学が人間について言えることだけが、事実人間なのだとする人には、私見では、愛は不可能です。まったくとおりいっぺんの敬意でさえ不可能だと思うのです。

 人間の魂が、ほんとうに「脳と神経系における電気化学的プロセスの総和」にすぎないのでしたら、この「電気化学的プロセスの総和」のささいなちがいに注意をはらう理由はありません。

 しかし、この見方は、本とは実は紙と印刷インクでできた大量の複雑なしみにすぎないと主張するのと五十歩百歩のりこうさです。わたしにできる助言は、適切な読書か、あなた自身の思考を通して、あなたがあなた自身の心とあなた自身の魂のために必要とするものを、あなたのなかに知覚できるようにしてくれるような人間像をさがすようにおすすめすることです。

 

ミヒャエル・エンデ著 ロマンホッケ編 田村都志夫訳 『誰もいない庭』 pp384~386 岩波現代文庫

 この手紙には、愛することができないと感じている人こそ愛する力が隠されていて、愛するためには、自我を忘れて愛したい誰かのことをみようとしなければならないこと、そのためには永遠という観点が必要であると書かれています。そして永遠の観点を得るために必要なのは、自分自身の思考を通して心と体に必要な人間像を自身の中に知覚することだと言っています。

 

 エンデは『はてしない物語』の中で、まずアトレーユという〈心と体に必要な人間像〉をバスチアンに示します。エンデは「人は誰でも自分の探すものに変身する」(エンデのメモ箱p51)と言っていて、私はアトレーユはバスチアンの捜し求める自分自身の姿であると思っています(このことについては『「はてしない物語」辞典』においてホッケも言及しています)。上述の「Nさんへ」にある〈あなたのなかに知覚できるようにしてくれるような人間像〉です。作中バスチアンはアトレーユから様々な愛を受け取りますが、それを理解するためにはアトレーユと共に様々な試練を受け、彼を信頼し、友情を築き、いとしく思い、裏切り、傷つけなければなりませんでした。

 そして彼と別れ一人きりで愛を得るための経験を積み、やっとの思いで愛する人を思い出します。作中で、バスチアンが最後に父親に命の水を持ち帰りたいと願った気持ちは、相手が父親だからとか、自分の保護者だからという理由からではなく、彼を愛する気持ちを自分のなかに感じ、そして愛したいと欲した時に生まれました。〈愛したい〉というそのことこそが、バスチアンがファンタージエンを訪れた本当の理由であり、変わる家はバスチアンにそのことを気づかせて枯れていったのです。空想の世界と現実の世界の関係をエンデはそのように捉えていました。空想世界での経験は現実世界に生きる糧になるものです。しかし、空想世界を形作るものもまた、現実世界の持ち物でしかないのです。(この相互性の重なりについては次回詳しく書かせていただきます。)

 

 同時にエンデは、抽象的な思考と現実は別なものであり、そのことに本人が気付かない限り人は成長しないという事も説いています。現実の記憶を失い、抽象的な世界から出られなくなったファンタージエンの元王たちの行く末は惨憺たるものでした。

したがって、最後はいよいよ現実に戻らなくてはならないのですが、バスチアンはその前に自分の名も失った状態になってしまっていました。自らが現実世界のものをなにもかも失った状態では命の泉のある現実世界への門は開きません。さて、バスチアンはどのように現実に戻れたのでしょうか。この辺りが映画とはだいぶ違っています。ぜひ『はてしない物語』は本を読んでエンデの愛を感じとっていただきたいと思います。

 

〈参考〉

 二元論による存在論に異議を唱え、超えていこうという試みはいろいろなところでなされています。ここではモルによるそれを参考として載せさせていただきます。

 

 客体を様々な視点の焦点として理解することから、様々な実践において客体がどのように実行されているのかを追うことへの移行は、科学がいかに表象するかという問いから、科学がいかに介入するかという問いへの移行を示唆している。過去数十年にわたり、多くの哲学者が、知識を得るための近代における有力な方法としての、介入の重要性を強調してきた。認識論は、とうの昔に、思考のための妥協性を失っている。しかし、干渉が重視されたとしても、干渉することは論点ではなかった。客体と関連づけることについての重要な問題は、客体を知るようになるということだった。本書は、脱身体化された思考から離れて、さらなる一歩を進んでいる近年の研究潮流の一部である。これは、客体を見ようとするまなざしを追うことを止めて、代わりに客体が実践のなかでまさに実行されているさまを追うことを意味する。つまり、強調点が移行している。観察者の目の代わりに、実践者の手が、理論化の焦点になるのだ。

 したがって、本書は、知識を主に指示的なものとして扱うことを止めた哲学的な移行に貢献するものである。知識はもはや、実在についての言表ではなく、他の実践に干渉する一つの実践だとされる。こうして、知識は実在に参与する。これに続いて、様々な別の移行が生じる。その一つは、諸科学の間の関係の性質を再考しなければならないということである。19世紀以降、(物理学、化学、生物学、心理学、社会学といった)科学の様々な部門は、(それより前に考えられていたように)主に方法によってではなく、研究対象によって異なると理解されるようになった。そして研究の対象は、本質的に所与であるとされた。それらは実在において筋の通った形でつながっており、存在論は、この一貫性を明らかにする哲学の一部門であった。そのために、しばしばピラミッドのイメージが使われた。それぞれの対象の領域は、小さくて比較的単純なものから、もっとも大きくて複雑なものへと序列化された対象のピラミッドのなかの一層のようなものだとされた。そして、それぞれの科学には、そうした層の一つに位置づけられている存在を研究するという課題があった。こうして、ピラミッドの底では最小の粒子とその力場が物理学の対象領域を形成し、頂点における人間集団間の複雑な社会関係は社会学によって研究されるものだとされた。この存在論的一元論に付随した夢の一つは、結局のところ、最小の粒子の振る舞いについての完全な知識が、他のすべてのことを説明するというものだった。物理学が化学の法則を説明し、化学が生体に起こることを予測し、生物学が心理学的な気質と社会関係を説明することができるというわけだ。誰もがこの見取り図に同意したわけではなかった。二〇世紀を通して、この存在論的ピラミッドにおける敷居の存在を確立するために、少なからぬ努力が捧げられた。無機物と有機体との間の敷居。有機体は無機物とちがって病気になったり死んだりすることができる。さらには、性差、肌の色、疾病についての生物的事実と、そこから生じるのではない、社会的な出来事の間の敷居。したがって、後者は特別な、社会学的な用語、ジェンダー、文化、病い、を用いて説明されなければならない。

 

アネマリー・モル 浜田明範・田口陽子訳 『多としての身体 医療実践における存在論』 水声社 pp214~216

 モルは本書によって(動脈硬化症患者の)実在の多重性について、実践誌的アプローチを使用して説明する試みをします。とても興味深い試みで、私はまるでドキュメンタリーを見ているような印象をうけましたが、ここではモルが実在論的一元論について説明する部分を引用しました。

 この引用で実存への科学の介入が変化していることは理解できますが、実存が科学に対して変化している様は伺えません。そのことについて、エンデの文章を読み解くことは、おそらく私たちの未来に大きく貢献してくれるだろうという事を付け加えておきたいと思います。

 

 次回はエンデの芸術論と遊びについて書かせていただく予定です。

 ブログ掲載にあったて、いぶりぃさんに多くのことをご教授頂きました。引き続きご協力をお願いする予定です。更にエンデの詳しいことをお知りになりたい方はこちらのブログをどうぞ。http://d.hatena.ne.jp/iwri/

 こちらとは別世界の奥行きの深い世界が展開されています。

『翻訳と日本の近代』 未来の思考の足掛かりとして

 前の記事の最後に丸山眞男加藤周一著『翻訳と日本の近代』を足掛かりに翻訳について書いていきますと書いたのはいいものの、この本は実は非常に考えさせる箇所が多くて、どこを引用したらよいかもテーマによってだいぶ変わってきてしまうように思えるので、今回は簡単だと思っていた自分を今は殴り飛ばしたい気分でいっぱいです。

 

 私が学生の頃はこの本は大学一年生の教科書として使用されたりしたのですが、今はどうなのでしょうか。とにかく、近代に莫大な数翻訳された様々な著作は、現代日本の根幹として今も生きているし、その時どういう意図をもって翻訳されたかを考え直すことで、今私たちが置かれている状況について改めて考え直すことのできる良書だということは間違いありません。明治・大正期に〈哲学〉だとか〈教育〉だとか〈宗教〉という語がどんどん造語として作られ、あるいは漢文からの転用で西洋的な語や現代的な語としての変換をきたしながら、現代の用語として機能しているみたいな勉強をこれからしていく人たちにとって、この本を全部読んでみようと挑戦することはとても意味があることです。

 

 さて、前置きはこのくらいにしておいて、今回私はこの本をまずは近代の翻訳と日本での受容の姿勢について考え、次にそれを将来に生かすために私たちがどう考えたらいいだろうというスタンスで読んでいきたいと思います。古来中国から輸入された著作の翻訳も、実は各派によって翻訳の仕方が検討され議論されていたことなども大変興味深く面白く読めるのですが、その部分は省かせていただきます。

 

 

丸山 さて、さっきの矢野文雄の『訳書読法』にまた返るけども、あのなかで本の分類が非常に大事だといっていて、東洋の分類は粗(疎)であるというんだ。西洋の図書館の分類のように、もっと密でなければいけない。それでいろいろ図書を分類しているんですが、粗(疎)である証拠として、おもしろいことに、「仁・義・礼・智・信」があげられているのですよ。「仁・義・礼・智・信」というが、「仁・義・礼・信」は人間交際の関係であり、ルールだ。ところが、「智」というのは、物事を処理するために必要なんで、性質が違うという。それをいっしょにしてしまうのは、東洋の分類がいかに粗雑であるかという例である、といっている。

加藤 これはどの程度に普遍的かしらね。翻訳の影響という問題もあるし、翻訳の問題に固有な論点に関わってくるのですが、論点の一つは、まさにそういうことなのです。

 一つは原因論的な関係ね。因果律、たとえば、翻訳の文章では、「何故に」「何故ならば」とかいうのが増えてきていると思うのです。だいたい日本では、少なくとも明治前の文章では、そうやたらにbecauseにあたるものが出てこない。ところが、ヨーロッパ語ではのべつまくなしに出てくる。そこをどう訳したか。

 二つ目は、いまの「分類」だと思うのです、どういう分類をするのか。日本では、歌を分類しても詩を分類しても、大昔から、並列された分類の項目の内容が重なっていた。つまり❝mutually exclusive❞ではない。そういう分類の仕方は西洋人の嫌いなことで、アリストテレス以来の分類からみるとおかしい。中国でもそうだと思うのですが、日本の分類法は重なりを避けない。だから、「仁・義・礼・智・信」のうち「智」だけが性質がちがうじゃないか、という指摘はとてもおもしろいのです。そういう、厳密な分類の原則に反するものがどういうふうに処理されているか、という問題があります。

 三番目は、ジェネラリゼーションです。あるいは数のあらわし方。「すべての」と「若干の」「ひとつの」「任意のひとつの」ということについて、英語ではかなりの程度まで、冠詞を使って表し、それからallとかsomeとかいう言葉でも表すでしょう。それは日本語ではふつう言わない。「江戸時代の幾人かの侍が……」とか、「すべての侍は……」とは言わない。ただ「侍は……」と言う。冠詞がないのですから、わからないですね。これを、訳でどういうふうにしているか、というのはとてもおもしろいことだと思うのです。

丸山 いや、訳だけではなくて……。自分のことを言ってはおかしいけれど、大学紛争のときに、全共闘の学生が「学生は……」というから、「あんたの言う学生とは、誰のことですか」と聞いた。安田城に籠もっている人たちなのか、別の学部に籠もっている反対派なのか、それとも参加していないノンポリなのか、と。ちょっと意地の悪い挑発だけどさ、一般的にはそういうことですよ。

 それがさっきの「すべての」にも関係するんです。「日本国民の総意」という日本国憲法第一条の政府原案にも関係する。この言葉で、日本人民が自由に表明した意思が象徴天皇制の根源だ、という「原文」の趣旨を表したのは非常な狡知です。悪い意味で意識的操作だけどね。非常に強い言葉でしょう。なぜなら、ふつう言わないから。満場一致で賛成するというときだけ「総意により」とはいいますが、ぼくは「総意」を入れたのは「一億一心」思想の連続であって、新憲法の原則からすればインチキだと思うんだ。ただ❝the sovereign will of the people❞に天皇の象徴的地位は基づいているとあるのを、「主権の存する日本国民の総意に基づく」と訳したのは、意識的に日本語の盲点を突いたと思うのです。もし、読者が敏感なら、なんで「総意」というのかと突き返すと思うのです。そのところをあまり突かなかったのね、「一人か」「大勢か」「すべてか」という……

  中略

丸山 石田雄君が論文を書いています。中村正直の『自由之理』をJ・S・ミルのOn Liberty の原文とくらべた。「J・S・ミル『自由論』と中村敬宇および厳復」というタイトルで、その後「日本近代思想史における法と政治」に入ったけれども。そこにぼくの記憶ではたしか、「人民の総体」とあるのは、もとは「総体」という言葉がなく、訳で「総体」とくっつけたとか、「人民」と書いて、「人民」すなわち「政府」のことなり、とある例だとか、つまり「人民」と「政府」との混同など、いろいろなことを指摘しています。……

  中略

丸山 複数と単数の区別がない、ということで思い出したのは民権のことです。「自由民権運動」は日本ではふつうの言葉だけれども、西洋人は訳すのに苦労する。いまでは、freedom and people’s rights movementという訳語が定着してしまったけれども、最初は非常におかしく感じるらしい。つまり、people’s rightsというのはないんだね。rightはあくまで個人の権利で、民権という意味にはならない。

 そこに気がついたのは、またしても福沢なのです。民権とはいうけれど、人権と参政権とを混同している、と福沢はいうんだ。人権は個人の権利であって人民の権利ではない、だから国家権力が人権つまり個人の権利を侵してはいけない、人民が参政権を持つべきだということを民権というとき、そこには個人と一般人民の区別がない、と福沢は言った。その感覚はすごいね。集合概念としての人民の権利と、個々人のindividualな権利。

 翻訳の問題で困るのは、フランス民法を訳したとき、箕作麟祥だったかな、droit civil を民権と訳した。しかしそれは、財産権とかの民法上の私権のことなのです。自由民権論とは違う。同じdroit civil が、一方では、厳密な意味での人権と訳され、他方では、一般に通用するというのですべて民権にしてしまう。それも複数と単数の区別が日本語にないから。

加藤 人権というのは定着しないのでしょうね。

丸山 福沢は、民権論で国権論と妥協したというので、左翼から評判が悪いんだ。人民の権利については彼はややプラグマティックで、けっしてラディカルじゃないけれども、人権については晩年まで言い続けたのです、その言葉を使って。明治維新の初めから、こうした区別をしていた例は非常にすくない。

 むしろ、有名な明治十年代の「よしやシビルはまだ不自由でも、ポリチカルさえ自由なら」という流行り歌などは居直っている。civil rightはどうでもいい、politicalとは参政権のことですよ。こうなると、翼賛まで一歩なんだな。

加藤 民権は、参政権というものに束になってかかるというか、そんな感じでしょう。これは平等は排除しないんじゃないかな。

丸山 もちろん。しかし自由と民権をつなげるときには問題があるんです。ぼくらの学生時代には、消極的自由、つまり「からの自由」と、積極的自由、すなわち「への自由」とがあった。ヨーロッパでは社会保障などで「からの自由」が強かったから、だんだん「への自由」が強調されてきた。そしてワイマール憲法ができると、「財産権は義務をともなう」という有名な条文があったわけです。あれがフランス革命以来の私有財産絶対に対して、明白に保留をつけた最初の憲法の条文なのです。それがナチの共同体思想の主張と合った。……

  中略

加藤 ヨーロッパ政治思想においては、人権があるのだからだれでも自由で平等である、とつながっているのだけれど、日本では切れたんだね。人権のほうが自由につながって、民権のほうが平等につながったと。いわば自由から切り離された平等と、人権から切り離された民権ができたわけですね。しかし一種の平等主義は前からあった。

丸山 一君万民というね。主君だけは別だけれど、あとは万民平等なんだ、貴族であろうと平民であろうと。中国の古典でいうと普天率土、あれが平等なのです。「普天の下、王土に非ざる莫く、率土の浜、王臣に非ざる莫し」(『詩経』)。あれは一君万民です。翼賛会時代には天皇と人民の間に介在して妨げるものを幕府的存在というのが流行ったけど、天皇さえ除けば平等思想は非常にあった。

加藤 現在の憲法で人権と平等を強調していても、定着の度合いの強いのは平等で、伝統からいってもそうなんですね。アメリカが押し付けたのでなくても人権のほうははじめからないから(笑)。翼賛会運動の民主主義な装いといえば、ナチはまさにそうです。個人的自由はゼロに等しい。自由主義と民主主義のコンフリクトを劇的に示した。

 

丸山眞男加藤周一 『翻訳と日本の近代』岩波新書 pp84~93

 

 また、非常に長い引用になってしまいましたが、一番初めの加藤の示した3つの論点のうちの2番目と3番目、東洋人の分類の重なりに対する問題と日本人にとっての数的感覚と翻訳の問題について書かれた部分です。

 

 

 3番目の日本人にとっての数的感覚と翻訳の問題についてこれを読むと、私たちが普段なにげなく使用している数的表現が、いかに私たちの根源から表象したものであり、その感覚がどのように私たちに影響しているかよくわかります。この部分を現在の私たちに当てることは全くやぶさかではなくて、個人の権利としての自由を受け入れていない、いや受け入れることにどことなく後ろめたさを感じて、何か(誰か)に不自由にされることに対する違和感が薄くなっている感覚を自らが持っている不思議に合致して驚きます。

 そのうえ、平等に対する考えも一致してしまう。私たちはあらゆる人が平等であるにもかかわらず、自分が受ける不平等さに関して、それは仕方のないことだと思ったり、平等であるはずなのに理不尽だと思うことはあっても、これを権利がはく奪されていると思ったりはしない。そのことが及ぼす自らへの影響について、考えが及ばないところがあります。過労死の問題やヘイトの問題など、様々な場面に照らして考えてみると、平等とは個々の権利だという事への関心の低さが及ぼしている問題ではないかと思えます。このことだけが問題であるかと言えば、そうではないですが、ひとつ私たちに突き付けられている問題であると言えると思います。

 

 2番目の問題は、この前の部分にも詳しく書かれているのですが、日本人としてよりも東洋人としてあること、日本の大陸(中国)からの影響について書かれています。当たり前といえば当たり前で、西洋からの知識が入ってくる前は大陸から輸入した知識を基に儒学や歴史が学ばれた。そのことが私たちに与えた影響は計り知れなくて、あいまいさは日本人の専売特許のように言われていますが、東洋的だと指摘されればなるほどと思います。

 ただ、後の部分で西洋の思想が入り込んできたときの中国の対応と日本の対応の違いが書かれた箇所があります。

 

丸山 ぼくはむしろ、日本には世界観がなかったと思う。中国と対比するとわかります。中国の厳復以降の進化論の影響は、決定的かつ革命的です。ハックスレーの『進化と倫理』Evolution and Ethicsを『天演論』と訳したでしょう。天が動くというのは驚くべきことなのです。中国の天の信仰といったら、昔からすごいからね。神様と同じで、永遠不動であって絶対の実存でしょう。それが動く以上、万物のすべては相対的である。厳復自身は易で説明しているのですが、朱子学以降は「太極」とか、「理」とかの究極実在―アリストテレスの純粋形相みたいなやつが「理」ですね―、万物の基で、動くものの背景に絶対不動の動かないものを置く。だから、「すべてが動くのだ」という厳復の紹介は、中国の知識人にとって、何千年の中国古典哲学を揺るがす事件なのです。日本は、日本儒教自身が「理」の契機が弱くて「気」の哲学になるし、万物流転のほうの考えも昔からあるので、永遠の実在にそうこだわらない。

加藤 そうそう、口だけね。

丸山 日本では、自然科学は何かのイデオロギーの補強の役割を演じた。実際、進化論は社会有機体説と結びついて、国体論の基礎づけになる。明治社会主義者も進化論だけれども、伝統的な考え方を革命するインパクトはなかったのではないか。

 ぼくは昔、「福沢に於ける「実学」の転回」という論文で書いたのですが、福沢は数学的物理学、つまりニュートンの力学体系を絶対に東洋になくて西洋にあるものとみて、これを西洋の学問の基礎にすえた。彼は「数理学」と言っています。いわゆる「実学」というのは江戸時代はたくさんあった。しかし、抽象的な数学的物理学の上に立った「実学」ではなく、日常生活の役に立つという意味での「実学」を出なかった。もっとも抽象的な「理」の上にヨーロッパ文明は築かれている、そういう実学概念を彼は最後まで展開している。だから幕末でいえば、いわゆる「物理」と「道理」の区別を重視した。伝統学問にはない社会や人間関係の客観的探究という考え方は数学的物理学からきているけど、ちっとも根づいていない。やっぱり道理の優越、修身の優越です。彼があんなに儒教を嫌がったのはそこなのですね。

加藤 存在の法則と道理とを混同したわけだ。

丸山 そう、東洋哲学は全部そう。「道」という言葉が全部そうだしね。「道」には両方混ざっている。「行くべき道」という「当為」と、客観的「法則」という意味と、両方ありますから。だから、福沢がさかんに「実学」を説いているといっても、抽象的思考の重要性もつねに説いているということです。

加藤 抽象的思考の役割を、福沢はどこで強調しているのですか。

丸山 初期から最後の『福翁百話』まで、日用から離れた「空理空論」の意味も強調している点は一貫して変わらないですね。それと卑俗な実用主義との区別です。ともかく、17世紀以来の自然科学の方法が西洋文明の秘密だということを見抜いた。

加藤 大変な明察ですね。

丸山 だけど、一般にはさっき言ったとおり、むしろ進化論についていうならば、少なくとも知識人に限っても、世界観的に思想の革命を起こしたのは中国だと思うな。

 

 同上 pp156~159

 

 これはあくまでも哲学的なインパクトの問題で、この後の物理学での日本人の活躍などを見ても学問への影響という点においては当てはまらない部分も多いと思いますが、湯川秀樹と梅棹忠雄の『人間にとって科学とは何か』などを読んでみると、日本人として科学的思考に入り込む楽さと難しさが書かれていて、比較すると面白いと思います。(機会があれば後程また別の記事で比較の文章を載せたいと思います。)

  中国でどのような思想的変化が起こったかは歴史に聞けば明らかですが、厳復の『天演論』が一世を風靡したほどの変化を受け止める土壌があったこと、それからいろいろな状況によってそれを受け止めきれずに現れた現実に学ぶことは多いと思います。

 

 

 翻訳文化は必ずしも独創を排除しない。徳川時代の文化の独創性は、「読み下し漢文」に依るところ少い浄瑠璃俳諧ばかりでなく、漢文の概念を駆使しての、儒者の思想的な仕事にもある。日本の学者は必ずしも同時代の中国の学者の後を追ったのではなかった。明治以降の文化についても、少なくともある程度までは、同じことが言えるであろう。

 翻訳文化はまたその国の文化的自立を脅かすものではない。むしろ逆に文化的自立を強化する面を含む。翻訳は外国の概念や思想の単なる受容ではなく、幸いにして、また不幸にして、常に外来文化の自国の伝統による変容だからである。外来の思想は、必ずしも知識層と大衆との間の溝を、長期にわたって拡げるようには作用しない。そのことを明治初期の翻訳者たちは―少なくともその一部は―あきらかに意識していた。もし文化的創造や改革的な思想が、知識人と大衆との深い接触を通じて成り立つものとすれば、翻訳文化は創造力を刺戟しても抑えはしないはずである。

 しかし外国語から日本語への翻訳は、その外国が中国であっても、西洋諸国であっても、常に文化の「一方通行」の手段であった。異文化間の接触が「両面通行」であり得るためには、日本語から外国語への逆翻訳が同時に行われるか、複数の文化に共通の言語、lingua franca がなければならない。逆翻訳は、江戸時代においても、明治以降近代においても、きわめて稀な例外でしかなかった。lingua franca(または国際語)は、中世のヨーロッパには存在したが、十九世紀から二〇世紀の前半にかけての世界には存在しなかった。かくして文化的「一方通行」は、鎖国の日本ばかりでなく、近代日本をも特徴づけることになったのである。

 文化の「一方通行」は、国際社会における孤立を意味する。その孤立を破り、国際社会において自己を主張するために、近代日本が採った手段は、まず軍事力であり、軍事力による自己主張の失敗の後には、経済力であった。しかし円滑なコンミュニケイションを伴わない経済力による自己主張には限界があり、円滑なコンミュニケイションは、文化的孤立の条件のもとでは成り立たない。

 現在の状況は、もちろん明治初期のそれとは大いに異なる。今ここでその詳細に立ち入ることはできないが、その一つは国際語としての英語の圧倒的な力である。二つの地域語としての英語と日本語の関係と、国際語=英語と地域語=日本語との関係はちがう。今日の日本は、明治初期の日本が解こうとした問題―翻訳と文化的自立、翻訳文化の「一方通行」と国際コンミュニケイションの要請というような問題を、異なる条件のもとで説かざるをえない、ということになろう。

 明治の翻訳主義の検討は、今日の視点からこそ殊に大きな意味をもつだろうと思われる。

 

  同上 加藤周一によるあとがき pp187~188

 

 このあとがきの部分を読まれて思うところがない方はおそらくいないと思います。1998年に書かれたこの文章は、現在置かれている日本の状況を言い当て私たちをおののかせる力があります。

 私は先日、海外の日本研究の場がどんどんと縮小されている話題を読んだばかりです。それは、日本という国に魅力がなくなったというよりは、日本の文化が「一方通行」の域を出なかった結果ではないでしょうか。今はこの文章が書かれた当時よりもはるかに英語を理解できる人が増えたと言えるだろうし、SNSの発達などによりコミュニケーション手段も格段に進歩しているはずです。

 それでもなお、文化の「一方通行」が私たちをむしばむ気配がするのは、私たちが閉鎖的であっても大丈夫という意識をどこかで持ち続けていて、そのことに別段問題意識を感じていないからではないかという気がします。この閉鎖的というのは、文化を輸出することに懐疑的だというのではなくて、私たちの心情として「両面通行」を受け入れない何かがあるのだろうということです。

 しかし、このことが問題として表象しているのは日本だけではなくて、いまや世界に広がっていることに不安を隠せません。世界的な文化の「一方通行」を押しとどめる方法を早急に見つけ出すことが、日本にとっても世界にとってもとても重要なことに思えます。

 

 この文章の刊行に間に合わずに亡くなった丸山眞男氏や、一人で世に出すことになった加藤周一氏の思いと功績に感謝して、ここにこの文書を載せたことで少しでも二人の思いが誰かに通じるきっかけになれたらうれしいです。

 

 

 

 

 

 

アーレント『人間の条件』と『活動的生』について

Das Wort „öffentlich“ bezeichnet zwei eng miteinander verbundene, aber doch keineswegs identische Phänomene:

Es bedeutet erstens, daß alles, was vor der Allgemeinheit erscheint, für jedermann sichtbar und hörbar ist, wodurch ihm die größtmögliche Öffentlichkeit zukommt. Daß etwas erscheint und von anderen genau wie von uns selbst als solches wahrgennommen werden kann, bedeutet innerhalb der Menschwelt, daß ihm Wirklichkeit zukommt. 

 

Vita Activa 2章7節冒頭 ドイツ語原文

 

先日、レートー・タトさんのアーレント『活動的生』試訳②7節(改稿)

https://note.mu/leethoo/n/n57a0e4c2f9fa

の、実際翻訳を検討する作業を観させ(聞かせ)て頂くことができました。

 

 この7節冒頭の箇所の読み方の難しさと、アーレントの(哲学的歴史の中で)考えたことを思って翻訳する、あるいは現象学全体を見渡して翻訳する、もしくは、自分のアーレントに対する思考を整理し翻訳をするというような様々な場面を検討する作業中に遭遇することができて、とても有意義な時間を過ごさせていただきました。

 

 一般的にこの部分がよく読まれているのは、ちくま学芸文庫の『人間の条件』によってなります。

 

「公的」という用語は、密接に関連してはいるが完全に同じではないある二つの現象を意味している。

第1にそれは、公に現れるものはすべて、万人によって見られ、聞かれ、可能な限り最も広く公示されるということを意味する。私たちにとっては、現われ(アピアランス)がリアリティを形成する。この現われというのは、他人によっても私たちによっても、見られ、聞かれるなにものかである。見られ、聞かれるものから生まれるリアリティにくらべると、内奥の生活の最も大きな力、たとえば、魂の情熱、精神の思想、感覚の喜びのようなものでさえ、それらが、いわば公的な現われに適合するように一つの形に転形され、非私人化(デプリヴァタイズ)され、非個人化(デインディヴィデュアライズ)されない限りは、不確かで、影のような類いの存在にすぎない。

 

『人間の条件』ハンナ・アレント著 志水速雄訳 ちくま学芸文庫p75(「第2章 公的領域と私的領域 7公的領域―共通なるもの」)

 

「公的」という語が表示するのは、密に互いに結びついているが、決して同一ではないという、二つの現象である。

「公的」とは、第一に、何であれ衆の前に現れる全てのもの[=現れ]が、誰にでも見て取れ、聞き取れるということである。そのことによって、できる限り最も広範囲な公示性が、その当のもの[=現れ]に属性としてあるのである。あるもの[=現れ]が現れ、そしてそのあるもの[=現れ]を我々自身と全く同様に他者によってもそのようなものとして知覚できるということ、それが人間世界の内部で意味するのは、現実性がそのあるもの[=現れ]に属性としてあるということである。聞かれ、見られることで構成される(sich konstitiert)そのようなその現実性と比べて、我々の内的生活の最も強力な力でさえ――心の激情であれ、精神の思想内容であれ、官能の快楽であれ――、定かでない影のような生活を営むのである。

 

レートー・タトさんのアーレント『活動的生』試訳②7節(改稿)

 『人間の条件』はアーレントが1958年にThe Human Conditionとして英語によって世に出したものです。その後ドイツ語版は1960年に『活動的生』(Vita Activa)として出版されましたが、その際英語版の翻訳本としてではなく、他者による訳を基にアーレントによって大幅に加筆・修正されました。志水訳は英語版の訳になるので、正確に言うとレートーさんの訳したものとは異なります。ただし、志水氏はアーレントとの対談等によってアーレントの言わんとすることを把握し、最大限翻訳に生かすことに努めていらっしゃるので、このことを考慮しても、英語版を軽んじたりこの訳を軽んじることはできないことが分かります。(そのことについては訳者解説に詳しくお書きになっています。)

 ただし、アーレントの母国語はドイツ語であり、彼女はドイツの文化を深く愛した人であること、そしてその言語によって表現できる言葉の広がりや意味が違うことを考慮に入れると、『活動的生』を読む意味はぐっと深まります。別に『活動的生』として森一郎訳が出ている意味も十分にあるのです。違う本だととらえた方が良いという考え方もあるようです。

 

※私は『人間の条件』しか読んでいないので、そちらについての解釈になってしまいます。そこのところは大変申し訳ありません。後程、また勉強できたら修正させていただくかもしれませんので、よろしくお願いいたします。

 

 

 『人間の条件』について一言で言うことはとても難しいし、先の話し合いであったのですが、私はこの本を形而上学的に読むことの意味について考えながら読んだことがなかったので(政治的・社会的な意味と関心を持って読んでいました)、翻訳の在り方とうよりももっと初歩的な、本の読み方の違いも思い知りました。

 人間の生き方の問題としてアーレントが解きたかったのは、政治的な人間であること(社会化)が人に及ぼす影響と、その影響から逃れる、というよりも自由でいられるためには、その前にあるべき段階を踏むことが重要であり、例えば〈私の存在意義=社会的な信用・価値〉というような考えに急速に及ぶようなあり方は、人をたやすく集団化して、私という私を殺してしまうというようなことであろうと私は捉えていたのですが、普遍的な意味合いでの人間の生としてそれを捉えるとなると、人間の生についてどう分類したらいいのかというところで既に手詰まりになってしまう気がしています。象徴的な意味合いを持たせるとなると、逆に『人間の条件』ではかなりアーレントが死んでしまうのではないかと思うのです。

 むしろ、彼女はもっと現実的な意味合いにおいて、実践的な生の有様を説いているのであって、それこそ彼女がそれまで受けた数々の経験がそうさせているのだろうと思います。

 

 現象学的な意味合いを持って読むのは、それは素敵だと思いました。

 

 本書の分析が示したのは〈「間文化経験という根本現象」を通り抜けることによって、《諸世界》という現象はどのように開かれるのか〉ということであった。《諸文化》は、その背景に遡ることのできない《世界性格》を露わにするときはじめて、現実的な《文化》としてのその自己理解を手に入れる。このことは、諸文化が《世界性格を伴って(welthaft)》行われる対話から生じてくるものとして理解されることによって、可能になる。このような意味において、《間文化性》は《間世界性(Intermundaneität)》へと移行することになる。間世界性は、間文化性よりも射程の広い、そして哲学的にはるかに精確な概念である。文化という概念はたしかに、人間存在の関わる文化的あるいは人類学的な事柄を明確に表すが、しかし《世界》の意味をつかむことはできない。根本現象としての《世界》は、単に文化の支配しているところで働いているのではなく、あらゆるところで働いている。だから、どの個人も―たとえ当人にはただ萌芽的に、あるいは予感という仕方で知られているだけだとしても―すでに一つの《世界》である。それでもやはり、《世界》にとって決定的に重要な根本動向の全範囲が、この文化的な事柄において、おそらくは最も印象深い仕方で、露出するかぎり、まさに《世界》というトポスは、とりわけ文化的な事柄を扱うのに向いている。

 

現代思想2010年5月号 特集‐現象学の最前線‐間文化性という視座 「間文化性と間世界性 要約と展望」ゲオルク・シュテンガー 神田大輔訳 

 

 今はマルクス・ガブリエルなどの形而上学的な展開を見せる現象学が注目されていますが(私見です。間違っていたらご指摘ください。)私はこちら側からの視座に立った現象学に面白味を持つ方なので、その点でいえばアーレントは実は先端を行っていたのかもしれないと思いました。間文化性では説明ができなかった間世界性の視点に立った私という存在について、アーレントを引用して説明することはとても意味のあることだと感じます。(先行研究、先行事例についての調査はしていません。すいません。)

 実際にこのシュテンガーの文章を読んでいただければ、その共通項について明確にご理解いただけることと思います。

 

 今後もレートーさんは『人間的生』についての翻訳は続けてくださると思うので、興味のある方はチェックしてみてください。注などもとても勉強になります。

 

 ここまでが長くなってしまったので、翻訳については、次回大学の1年生の授業で使用されることも多い(現在もかは不明w)丸山真男加藤周一の『翻訳と日本の近代』等を引用して、書かせて頂こうと思います。今だからこそ読む意味があるなぁと改めて思わされました。

 ガブリエルも岡本裕一郎先生のご本などを参考に絶賛勉強中です(はぁ~)。

 

 今後ともよろしくお願いいたします。

「彼らが本気で編むときは、」感想文 ― トランスジェンダーと母性 ―

「追い出して」と、サラはアブラハムに近づきながら声をはりあげた、「あの奴隷と子どもを追い出してください」

 アブラハムは妻のほうをむいた。

 彼女は夫の返事も待たず、しゃべりつづけながらやってきた。「あのエジプト人の荒々しいけもののような子が、イサクといっしょに遊んでいるのをみたのです。イサクをうやまおうともしないで。まったく。これでは将来が心配です、アブラハム、わたしはゆるせない。あの女奴隷の子は、わたしの子のイサクと同じように跡取りにしてはいけないのです」

 アブラハムは言った、「あの子もわたしの息子なのだ」

 サラはじっと立ったままアブラハムをみつめた。かすかな風が彼女の白髪をなびかせていた。サラが話すときの声はしゃがれていた。彼女は自分のやさしさと気づかいを言葉にこめた。「どちらの息子を主なる神はわたしたちに約束されたのでしょう。そしてどちらの息子を主なる神はおあたえになったのでしょうか」

 

ウォルター・ワンゲリン著 中村明子訳 『小説「聖書」旧約編』 徳間書店 p22

 

トランスジェンダーについて

 「彼らが本気で編むときは、」は気になっていながら、もたもたしていたらもうすぐ上映が終わってしまうということで、慌てて映画館に見に行ってきました。何が気になっていたかと言うと、「かもめ食堂」等の萩上直子監督作品であり、主演のトランスジェンダーの女性を生田斗真が演じ、その相手役が桐谷健太という、人気が出そうな要素が多いわりにそれほど注目されていないことでした。理由としては、ちょうど上映時期が重なってしまった「ラ・ラ・ランド」の影響が大きそうだし、それでもすごくいい映画だろうという直感が私にはありました。

 

 いざ映画館に行ってみると、9割がた女性客の映画館の客席では、序盤からずっとすすり泣きの声が止みませんでした。なぜなら、映画は終始切なさでいっぱいだったからです。

 

 トランスジェンダーで性転換手術を受けているヒロイン、リンコ役の生田斗真さんの演じるリンコは、何もかも一度受け入れてから自分の中で噛みしめて殺すタイプの女性で、緩慢な動きのなかにも優しさが溢れていて、とにかく性格がいいのです。それなのに、トランスジェンダーだということで理不尽な目に何度も何度も遭わなくてはならない。その理不尽さや、自分は本来の性に逆らうという罪を背負っているのではないかというそこはかとない後ろめたさを、ただただ編むことによって供養し、消化させる姿に、本当に心を打たれます。

 もちろん、そんな風に過ごしていられるのは、本人の性格の強さに加え、そのすべてを受け入れ守ってきた彼女の母親の溺愛と言えるほどの愛の支えや、桐谷健太さんの演じる恋人がいてくれるからです。

 

 それでも、世間から見れば(ただの女装した男性としての)異質の存在で、それは彼女がどんなに努力しても世間が変わらなければ変えられないことです。トランスジェンダーの方たちにとっては皆に当てはまるであろうその根本的な差別という問題を、残酷と思わせずに悲しいと思わる雰囲気がずっと作品の根底に流れています。

 

 そういう表現はおそらくそう簡単にできるものではないのですが、その悲しさを私たちに伝えられる力を持った作品に仕上がっていて、それゆえに、見せられる側はずっと泣かざるを得なくなるのです。

 幸せなはずなのにどこか悲しい。楽しいはずなのにどこか悲しい。優しいはずなのにどこか悲しい。つらいはずなのに悲しい。本当につらいはずなのに悲しい。

 

 切なくて悲しくて、こういう作品は初恋と同じでどこか愛おしくなる。脚本もご自分で手掛けた荻上監督の、トランスジェンダーを表現するのにこういった作風にできる実力にも、その難しい演技を見事に演じ切って作品に仕上げることにできた俳優陣の演技力にも、心を持っていかれたように思います。

 

母親について

 映画のパンフレットがすごくよくできていて、それだけで言いたいことのほとんどは語り尽くされている感じがしました。なので、私が言いたかったことを少しだけ。

 

 今回は作品を今までの作風のように癒し系にさせないために、監督が意図して作中に込めていること。それは母と子の親子間の壮絶な関係性を描くことです。母性はあるがままにしておけば子を縛り付け自由を奪いますし、母性が足りなければ愛情を欠くことになります。それに母親自身は人間なので、その時々の自らの置かれた環境によって、行動を制約できたりできなかったりします。

 

 作中に出てくる母親たちは、それぞれそれらの事柄に翻弄され、自らの不安定な立ち位置に戸惑いながら、常に何かを決定しながら生きています。その決定事項に子どもはもろに影響されてしまうのだからたまったものではありません。とくにこの作中では父親の影をわざと薄くしているので、余計にそういう構造になっています。

 

 主人公のトモの母親はシングルマザーで、仕事の忙しさもあって家事が行き届かず、コンビニのおにぎりを食べさせて子どもを育てています。そのうえ、家出をしてはあからさまなネグレクトを行使してしまいます。そんな親の元で育っていても、頼ることのできる大人である叔父の存在があるので、彼女は自身を何とか保つことができています。今回は叔父のもとに身を寄せるとそこにリンコが同棲していたために、リンコを通じて違う母性に出会うことになります。

 

 リンコはこの作中では、おそらく一番女性らしい母性を持ち合わせていながら女性の体を持つことができなかった、完成された不完全な母性の持ち主です。しかも、彼女は子どもを生むことはできません。トモを育てることになってその不条理を思い知ることになったリンコの母性も、また美しいようで歪んでいます。

 

 トモはそんな母親たちの母性の間を揺れながら、現実を受け止める子供です。大人が子育てについて夢見がちなのに、子供が現実的なんて不思議ですが、実際子どもを持った途端女性の母性は夢見がちになるかもしれないと経験から私も思います。そして、現実を見られなくなった母親にとって、子どもは子供になってしまう。

 

 そのことについても、トモに現実を生きさせながら、その母性の夢の残酷さを、これは現実的な痛みとして、また同じような悲しみとして表現しているのですが、その悲しみが子どもの柔軟性と第三者の与えてくれる喜びによって消化されていく様も美しく描かれています。子どもならではの抗い方も、トモの人間性を魅力的に見せてくれます。

 

 振返ると、扱っている内容が内容なので、難しくないようで難しい作品だったと思います。でも、映画のいいところは、それを難解にせずに私たちの中に残る形で見せてくれることができるところなので、改めて映画鑑賞の素晴らしさを感じることができる作品でした。

 

 映画館で見られるのもあとわずかみたいなので、ご興味があれば是非足を運ばれるといいと思います。その際はハンカチとティッシュをお忘れなく。

『騎士団長殺し』の考察 ― 二重思考と二重メタファーについての考察 追加 ―

人生は意図せずに始められてしまった実験旅行である。

 

フェルナンド・ペソア 『断章』107

 

 

 二重思考と二重メタファーについて、先の文章では少し誤魔化していた部分があるので、ここで追加させていただきます。それは、二重メタファーは自身の中にあるものであり、二重思考は組織によって無理やり強制されていたものであるという違いです。

 

 つまり、ビッグ・ブラザーは初めから党の本部が洗脳のために存在させていた一個の個体(客体)であり、そのビッグ・ブラザーの存在を許さなかったために苦悩に合うことになったウィンストン(主体)とのビッグ・ブラザーの関係性と、始めから関係しているかどうかわからないまま、主人公の空想の中で主人公の行為を〈知っている〉あるいは〈そうさせた〉と思わせた白いスバル・フォレスターの男との関係性は、似て非なるものであるということです。

 端的に言えば、二重思考と二重メタファーでは、それに対峙する人間の立ち位置が内か外かで全く逆であるということができるのです。その説明がとても難しいので、先日のブログアップ時には意識的に省いてしまったのですが、そこはやはりきちんとさせておきたいと思い、追加させていただくことにしました。

 

 『1984年』の中でのビッグ・ブラザーは当初からウィンストンの外の人でした。であるからこそ、ウィンストンは彼を受け入れるため二重思考を作り出し、それを飲み込もうとしました。その苦悩が『1984年』のテーマであり、最終的に彼のすべてを受け入れてしまったウィンストンにとってそれは中の人になってしまったのです。

 それに対して『騎士団長殺し』の白いスバル・フォレスターの男は、その存在こそ実在しているものの、実在する人は全く主人公に関与しているはずのない人であり、ただ主人公の内でのみ主人公のあらゆる可能性を否定し悪事を働かせる人として存在し、それは絵に描かれることで表象して目に見えるようになった内の人であるのです。

 

 このことは、実は非常に重要で、なぜ村上春樹が二重思考でなく二重メタファーという語をわざわざ使用したかに深く関連します。

 

 『1984年』でウィンストンにとってビッグ・ブラザーが二重思考をさせる悪人であるうちは、ウィンストンは人間性を保っていられた。しかし、ウィンストンが彼のすべてを受け入れ、彼の髭の下の微笑まで見てしまったときに、二重思考は二重メタファーになって内に入り込みウィンストンを飲み込んでいった。その『1984年』の出来事を踏まえ、なぜ『騎士団長殺し』の白いスバル・フォレスターの男は全てを描かれることがなかったのかを考えてみます。するとそれは、白いスバル・フォレスターの男が『騎士団長殺し』の主人公の内でのビッグ・ブラザーになりきっていなかったからだということができます。白いスバル・フォレスターの男の拒絶はつまり、主人公自らの拒絶であった。こう考えるとすごく整理しやすくなります。

 

 さて、ここまで凝ったことをなぜ村上春樹が行ったのかと言えば、村上春樹がこの小説の中で救いたかったのは、雨田具彦氏だけでなく、ウィンストンの魂もだったのかもしれないと私は思います。『1984年』を読んだ方なら誰しも、ウィンストンが未来に託したものの重要性に心を打たれたと思います。しかし、同時に人にはオブライエンの持つ権力への信仰や他者よりも強いことへの憧れがあり、これは拭いされるものではありません。そういったものを乗り越える人の力とは何かを追求したら、普通の人が二重メタファーというものに打ち勝つ姿が浮かんできたに違いないと思います。

 

 ここまででいったん『騎士団長殺し』の考察としての二重思考と二重メタファーの違いについてを終わらせていただきます。

 

 しかし一方で、〈心の外にある何か〉が〈心の内にある何か〉に変化することとはどういうことか、〈心の中で二重メタファーにつかまる〉というのはどういうことかという疑問が残ります。前回のブログの最後でほのめかし、ツイッターで少しつぶやかせていただいたこの〔心についての課題〕は、また後程、別の仕立て方で書かせていただきたいと思います。

 

フェルナンド・ペソアの引用について

ここで使用させていただいているペソアの引用は

澤田直訳 『不穏の書、断章』2013年 平凡社ライブラリー

を使用させていただいています。