恋愛の業と芸術性について  ― 北畠八穂(と深田久弥)のお話 ―

 ひどい痛みの中から、私のみつけたものは、わが身がしみじみ生きているということだ。健康な時は、あるとは知らずつかっていた足が、確かに在るとはっきりしたことだ。生きている以上、足が在る以上、どんなに痛くとも、これからどうなってゆくかと、未来を持てる探検欲を出せることだ。もっとはげしく、どんな風に痛むか、もし、死の中へ入ってゆくとしたら、それはまたいっそうどんなことか、まるきり興味なくもない。しかし、痛いのがいやだから、死にたいとは恐らく思ったことがない様だ。死をくぐりぬけても生きるつもりで、痛んでいる様だ。だから、テレて、笑ってしまったりするのだろう。

 死にたいと思うのは、うれいにたえきれなくなった時だ。このたえきれないうれいを一切なくしてしまいたいあまり、死という健康な方法を選むと思う位だ。痛んで身のおき所がない時は、おきどころのない身が次にはどういうおき所にどうしてあるかと、テレたりしてまで、興味がもてた私も、全く生きることにあいそがつきたためしが二度ある。そういう時間の切なさは、この世のうれいがすきまなくせめよせて、わが身を命から追いだそうとしているのを、ひしひしと痛まねばならないあえぎだ。私は、その時、いつしらず、にげ場をみつけていた。空にただよう雲をみつめることだ。この世に居場所のない私は、雲にのっていた。雲にいるうちの私の思いは安らいだ。雲に静養した私は、次第にすこやかな目をとりかした。その目でみたうれいは、すでにぬぎすて様としているシナビかけたカラであった。私は弱弱しいが、再び生まれなおした瑞瑞しさであった。うれいに冬ごもりしたのを、この瑞瑞しさを得るために、よかったと思うたくましさも出来た。それから私は、雲を古綿のなつかしさでみる。

 終日雲をみるまもなくすぎた夕方、ほんのひとすくいの雲に、夕映えがいまうすれようとするのをみつめて、神は無いと思われる程大いに健康な事実をみつけている病人だ。

 

  北畠八穂 『津軽野の雪』 朝日新聞社 pp120~121

  先日、作品の美しさを評するあまり作家の業を忘れてはいけないというようなツイートがタイムラインに流れてきて、普通はもっと有名な谷崎潤一郎太宰治なんかの作家が思い浮かんだり、残酷だけれどロマンチックな話を思い浮かべたりするものなのかもしれないけれど、私は真っ先に百名山で有名になった深田久弥と、その前妻で作家の北畠八穂のことが思い浮かびました。

 二人が亡くなって久しくなった今では、深田久弥は後妻の志げ子と仲睦ましい様子で登山するフィルムなどが百名山の特集等で見られることが多く、彼が有名になることになった文学作品が実は八穂の手によるもので、それは様々な方面から憶測されていたものの、久弥の不義により八穂の口からも洩れることになり、文壇を追われることになったということはあまり世間では取り上げられ無くなっているように思います。

 

 こちらには結婚の経緯もよく書かれています。

 

 八穂は幼い頃より病んでいることが多く、末娘であり病気がちということで津軽の実家ではとても大切に育てられました。特に幼少期の祖父母から得た愛情と津軽の自然が、生命の逞しさや自然への慈しみ、愛情によって人が育くみ・育くまれていくものなどについて、彼女の作品の根本に深く息づいて生き生きとした表現を作り上げています。

 とにかく、とても素直な人です。

 

 しかし、中には八穂のそのまっすぐな素直さが、時として大変残酷に見える作品もあります。まるで子どもの目から大人の世界を見、生活の苦しみを超越した美を賛美するあまりに、その片側にある苦々しい思いなど消し飛ばしてしまうような明るさが、その日陰にある人の痛みに辛く当たっているように思えるのです。

 きっとそういうことが、生活に貧窮したとはいえ、久弥に自分の作品を提供してこれを使えばいいといった気持ちに繋がったのだと思うし、それまで幾日も自問自答を続けただろうと思われる久弥の思いに到達できなかった理由だと思います。

 無論、久弥の裏切りは許されるべきものではないし、八穂の作品を自分の作品だとして発表してしまった弱さが一番の罪であることは間違いありません。

 それは、人間としての正しさから遠く離れた、自分勝手でわがままな存在意義を求めた結果であり、そういう人が他方有名人であり続けられることに憤慨する気持ちももちろんあります。それほどのことをしたのなら、せめて山に逃げた記録ではなくて、その業そのものを文学作品に生かすくらいの強い人ならばよかったのにとも思います。

 

 そんなことを考えていた矢先に、夢を見ました。

 私は夫に裏切られ、先方には既に子どもがありました。

 どうしようもなく悲しい気持ちで、なぜそんな仕打ちをしたのか相手を責めました。

 そして、私が発した言葉は

 「どうして、どうしてもっと早く言ってくれなかったの?」

 というものでした。

 

 早く言ったところで裏切りは裏切りなのですが、きっとそんなになる前に言ってくれたら、もっとすっきりさよならできたように思うのです。恋愛感情の縺れなどどうしようもないとあきらめもつくように思うのです。相手の不義を許せない気持ちはもちろんありますが、女性にとって、ましてや母親になれないであろう体の八穂にとって、相手に子どもがあったことがどれほどの悲しみをもたらしたか、その時初めて思い知らされました。

 それは、未来に対する悲しみなのです。自分の決して手に入れられない未来に直面させられた希望の人が、いったいどうなったのだろう。

 私は泣いていました。こんなに残酷なことはあってはならないと思いました。そして久弥を恨みました。世界を恨みました。

 

 私はこんなふうに実に小心者なのですが、八穂は立ち直って世界を愛しました。それはその後彼女を支える白柳美彦という人の存在もきっと大きかったように思いますが、結局は雲の上に立つことで悲しみを脱ぎ捨てた八穂の生きる強さの勝利だったのです。実は私は夫の不義や代筆について外に言って歩ける強さもすごいなぁと思います。それが怒りからだったのか悲しみからだったのか、発狂しそうな自分を抑えるためだったのか、自分には想像しかできませんが、雲に飛ぶ自分と現実に走る自分を持つことが、その後の敗北者ではない八穂を作る大きな鍵であっただろうと思います。

 生きるというのは難しいことですが、その複雑さが単純化されない過程こそが人を人として生かす道であろうと感じています。

 

 このままだと全然芸術性に到達できていない文章ですので、次回のこの話題で北畠八穂の『右足のスキー』の感想と彼女の〈マンガ的〉という語の使用について考えていきたいと思っています。