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下町今昔梅事情

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 向島百花園の梅は五分咲き
 (2016年2月16日現在)
 ここいらではどこからでも
 スカイツリーが顔を出します







 
 東京の下町、私が育った辺りは、家と家の隙間がないほどびっしりと民家が立ち並び
お宅に梅の木があるよなんて家は少なかったように思います。

 それは戦後焼け出された人たちが焼け野原になった土地にバラックを建てて住みだして、
そのまま一軒建ってたところに何十軒と家を建てて、
一家中空襲で死に絶えたという噂の土地になぜか大家ができて借地にして、
都市に出てきたベビーブーマー達にまで切り刻んだ土地に土地代とって住まわすなんてことしたもんだから
とうとう情緒もなんもなくなってしまったのではないかと思われますが、
江戸時代には梅といえば亀戸の梅屋敷か向島の百花園と謳われていたそうでございます。

 大店の旦さんが歌舞伎役者や俳人なんかの文化人と一緒になって花を愛でたその庭も、
片や地震や大水で跡形もなくなり、
片やお役所に寄贈されて生き残ることとなりました。
おかげで今も江戸情緒の面影を少しだけ垣間見ることができます。

 ところが、私が小さいころの押上界隈といったら、
東向島は玉ノ井、鳩の街
青線の色濃く残る地域であり
自転車でどこでも行ってしまうやんちゃ者
親からはあっちには決して行ってはならないときつく言われておりました。
それでも、一度だけ河に遊びに行った帰り道、大雨降って仕方なく立ち寄ったそこいら辺りの印象は
おっかない街、それ以外はなくて、
夕方の暗い雨のせいなのか、
それとも街の印象そのもののせいなのか、
それからは、河に行きたくなったら江戸川へ
隅田川、十間川界隈にさえ行かなくなったのでありました。
※中川はハゼ釣りにはちょうどいいのに、土座衛門が上がったのを見た友達がいたからいかない

 浅草に電車で行くときは乗換駅
それでも気持ちが悪くって速足で乗り換え
そんな娘の様子を怪しんだ親から理由を尋ねられ
あとでこっぴどく叱られましたとさ。

 そんな時代も遠の昔
今はどこもかしこも同じ高い建物になり
かろうじて残る廃墟のような鳩の街には
あのころの街の全部が紫煙に包まれたような怪しさも
どこからか感じる視線も
何もかもがどこへやら

 向島百花園は平日の午前中はお年寄り天国で
カメラを下げたおじいさんやら
梅そっちのけでおしゃべりをするおばあさんやら

 雀の子が、ばかねぇ何も変わらないよとちゅんと鳴いた
ひよどりは我が物顔で梅の散るのも知ったこっちゃと大暴れ

 そうだねぇ変わったのは私たちかいって
空を見上げてつぶやいた

 空は青空
あんときとはえらい違いだねぇ