恋愛の業と芸術性について  ― 北畠八穂(と深田久弥)のお話❷ ―

 生きるものとして存在すれば様々な環境下に晒されるのはやむを得ないことで、その晒され方によって私たち=自己の中に生まれる感情や精神の状態あるいはそれによって起こされる行動を人間性と呼ぶならば、私たちはそれとどのように付き合っていくべきでしょうか。

 

 相手がある場合(ほとんどの場合は相手があるものですが)、それによって双方の幸福が成立すればそれは安心で夢のある世界が開けることなのかもしれないし、双方が不幸ならば関係性が継続される限り地獄のような日々が続くのかもしれないし、片方が幸福で片方が不幸ならば有頂天になっている人がいきなり不幸になったり、苦しい人が苦しみから逃れるために不幸な人を作ってしまうかもしれません。しかしこれらは全て一過性のもので、関係性も時間の経過とともに変化していくのが普通です。人間性と呼ばれているものが素晴らしいものだといわれる理由は、その変幻自在さにあるように思われますが、他方、他者に対する配慮をもって周囲も自らも幸福であろうとする立場に生きる法則を人間性と呼ぶ人もあります。

 よりよく生きるという欲求を満たすために私たちは様々な行為を行っているわけですが、すべての人にその機会が平等にあり得るわけなどなく、しかも、どんな人物のどの行動に対してもそれに関わる他者の反応はまちまちで、それによって相手が幸福になるとか不幸になるとかいった予測は当てにならないことが多いものです。

 そのような状況で私たちは人間性と言われるものを抱いて生きているわけです。

 

 私は、業というものは自然発生的なものではなく、またカルマのような宿命的なものでもなく、この自らの内に生まれた人間性を自らの欲求を満たすために使用される意思の伴う行為によって生まれるものではないかと思っています。始めの意思自体はどこから生まれたのかも分からないですし、結果自分がどこへ行くのかも本当はわからないのですが、決定する意思によって得られる快楽的なもの(あるいは破滅的なもの)に私たちは魅せられてしまいます。

  恋愛と業との相性が良いのは、恋愛自体もどうしようもない感情から沸き起こるものであり、たちまち所有欲と相まって、いつの間にか人を違った環境に運び去っていくような、そういうものだからではないかと思います。

 人間性は人間を人間として存在させるため、その人にあらゆる思考や感情を生まれさせ、そして選択させます。選択することは移動することですから、移動することによって得たもの・捨てられたものが発生します。そしてその一連の意思の働きが業と呼ばれるものだろうと思うのです。

 

「なアによ、これ」

 歩けたウチョウテンの続きで、舌出しサンバの振りで手紙をヒラヒラさせた。振りむいた夫は、みるみるマキが20年近くの間、まだ見た例のない顔つきに変わった。血のひいたえぐれた、イビツな笑いだ。

(ンな、はずない)

(狂ったんじゃないか)

 二つが重なり、ななめに飛び交い、一つから一つが抜けて通って、かわりがわり抜けて、またならんで、むきあって、ぶつかった、その操作でマキは、急に中身をぬかれた半濁の、キミのないシロミばかりの卵になった。しかもカラまでブヨブヨする。半濁のシロミに、冷っこい臭いシラミがウジョとわいた。

 イビツな笑いを、別な方角のイビミに変えた夫は、ニカワでかたまる舌を、はがしでもするネバリで、

「マコに、知れるのが、こわかった」

(ペッ、マコって呼び方。声を出そう、私は消えそうだ)

「子供は」

貴方のかとは、喉につかえた。

「男の子だ。去年の、○月○○○日に生れた」

「―誰」

半濁のよどみの底に漂って聞く気遠さだ。

「久木の姉」

 もう一度マキは底を破った下にくぐらされた。

 久木は、マキが、サという場合、まして夫の友人達にも相談しにくい、こういう場合、頼りにしたい、とっときの青年だ。ものごとを、かみわけられる、わかりのいい、マキをも、よくわかってくれると思い込んで居た青年だ。シラミは黒くふえた。

 (非常扉がふさがった)

 久木の姉も、マキは見ないが知って居た。

 マキが病みついてから幾年かたつと、弱って死ぬかも知れないと、あとのことも気になった。夜、ならんでねて居る夫へ、

「ね、私が死んだらね。あとの奥さん」

「お、マコの御スイセンか」

おもしろそうに、夫は横顔で微笑した。

「ン、マキは死んだって、貴方の右の目と左の目に入っちゃうんだけど」

「そこで」

「久木さんの姉さんに来てもらって」

 トタンに夫の形相が、けわしく変わった。

「バカにするなッ」

 そんなはずではなかったマキは、

「だって、あの方、もう三十も半ばでしょ。も、いいんじゃない」

 オロオロととりなした。夫は、やっと、ふだんの、おだやかな夫になって、

「お前、どこかに世話して上げるンだナ」

 さアそれはと、マキは当惑してテレた。

 

北畠八穂 『東宮妃』収録「右足のスキー」 文治堂書店p101~104

 

 この場面は、まさに夫の裏切りを主人公のマキが知るシーンです。ここだけ書いてしまうと分かりづらいのですが、この場面は実はマキの回想シーンで、今マキはすでに無くなってしまった郷里の実家の敷地内にあった、かつての使用人の娘で霊媒師であるヌイの家にいます。ヌイの激怒と悲しみに触れ、マキはヌイには口にできないものの、かつて自分にあった出来事を想います。彼女が悲しみの淵にあった自分をその痛みと共に思い出している場面になっています。

 

 実は「右足のスキー」で本当に悲しいのはマキが夫に捨てられたことではありません。マキの幼少の頃思い描くことのできる楽園は、姑である祖母と母が仲睦まじく生活する〈健全家庭〉にこそありました。マキの父と長兄にはそれぞれ妾があり、すでに母は亡くなっているものの、それぞれの家庭は崩壊していることもあって〈健全家庭〉である自らの家をことのほか愛し、守り抜きたいと思っていました。そしてマキはその〈健全家庭〉の主である健全な夫のためなら自分のすべてを与えることを厭わない人でした。自らは病に侵されながらも〈健全家庭〉の女主人であることがマキの生きがいだったのです。そして、その〈健全家庭〉を周囲にも自慢にし、周囲も羨んでいました。なぜそこまで〈健全家庭〉にこだわったのか。それはたぶん居場所の問題なのだろうと私は思いました。

 

 25年前、テナーが初めてル・アルビに来て暮らしはじめた時、コケはばばなどではなく、まだ若かった。コケはひょいと頭を下げておじぎをし、この「若いお嬢さん」「白いお嬢さん」のほうを見て、にこっとした。オジオンの養女で、かつお弟子さんともなれば、直接口をきくのもはばかられる。とりあえずは最高の敬意を払って……というつもりらしかった。テナーはこの敬意がにせもので、その仮面の下に、嫉妬や嫌悪や不信が渦巻いているのを感じとった。どれも、自分がかつて高い位にあったとき、自分に仕える女たちからいやというほど見せつけられたものばかりだ。女たちは自分たちはなんの力もない庶民で、テナーは自分たちとはちがった特権階級の人間と見なしていた。アチュアンの墓所で大巫女の位にあったときも、よそ者でありながらゴントの大魔法使いの養女となってからも、テナーはいつもみんなから離されて上に置かれた。男たちはテナーに権力を与えた。男たちは自分たちの持つ権力を彼女と分ちあった。女たちは?女たちのなかにはそんなテナーに、ときに競争心をかきたてられる者があらわれはしたものの、おおかたはなんとなくばかにしながら、遠くから眺めていた。

 テナーは自分をいつも外に置かれた者、閉めだされた者と感じていた。彼女は陸の孤島のような墓所を支配する力から逃げだし、のちには自分を引きとってくれたオジオンが差し出してくれる学問の技や力からも身をひいた。テナーはこうしたものすべてに背をむけて、まったく逆の、女たちのいるもうひとつの部屋へ、その仲間になりたくて走った。テナーはそこで男の女房になった。百姓の女房になった。母親となり、女主人となった。そうやってテナーは女と生まれたからには誰もが引き受けることを引き受け、男たちの取決めによって女に与えられた権限を行使した。

 

ル=グウィン著 清水真砂子訳 『ゲド戦記Ⅳ 帰還』 岩波書店 pp50~51

 

 同じ子どもの本を書く人で、この気持ちを表現した人がいなかったかなぁと思い返して浮かんだのがル=グウィンの描くテナーの生活です。なによりも、自分の才能のすべてよりも、得ることを欲してしまうような〈居場所としての家庭〉というものの魅力について、そんな憧れを抱くのは女性ならではの価値観なのかもしれないと思うと同時に、この価値観の悲しみと生活というものに対しての人の有様について考えました。そして実はこの価値観こそが安住の地である家庭という夢を長いこと人に見させ続けている根源であるのだろうなと思います。

 

 マキは小説を一切読めなくなり、科学ものは味気なくなり、文化史と、道元の書と、知人の中で頭脳と言われる人の本しか読めなかった。

 人づてに、ある人が、

「マンガじゃないか。カカアは、カタワになって、テイシュの代わりに家業をやる。用がなくなったテイシュは、出来た金とヒマで、子を産ませる、バレりゃ、上がっちまって、処置ができない。アイコだねバカサ加減。」

 と苦笑したときくと、マキは、タダレに鹽をもみこまれて焼鉄を押っつけられたムゴさで、厚くたかったシラミの層の下に、性が生きた。マキの夫と誰より仲のいい友人が、

「お宅の女関係なら、ゾックリ知って居ますよ」

 ウフフと嘲った。マキのカサブタは、むけた。

 

北畠八穂 『東宮妃』収録「右足のスキー」 文治堂書店p133~134

 

 周囲の心ない言動によって傷つけられることにもはや耐えられなくなったことに加え、復員した夫の行動により拍車がかけられ、マキはとうとう耐え切れずに離婚を決意し、夫に申し出ます。

 しかし、離婚後もマキには穏やかな生活が訪れたわけではありませんでした。

 

 離婚してからのマキにも、この地獄の余波は、面相を変えて続いた。最下位のヤツラは、マキに夫という盾がないのに、つけこんだ。マキもまた、その盾の無さにとまどった。

 一丁と歩けないマキが、おぶさって用を足すと、

「あのザマで出歩くとは」と嘲られもした。

(これが健全家庭の妻なら)と、かむほど、ムダと知る歯をかんだ。

 

同上 p136

 

 他人からマンガだと言われ、私から見れば偽物の〈健全家庭〉も、マキにとってはとても大切な居場所であり、〈健全家庭〉にいられることが彼女にとってどれほど支えになっていたのかは明らかです。しかし、彼女にとっての〈健全〉を守ろうとしたあまりに彼女の目に映らなかった多くのものごとが、見えるようなったとたんに彼女をどんどんと追い詰めていく様子が、ここでは飾りっけなしに表現されています。〈健全家庭〉というマキの業が作らせた空間は、幸福を生み、また不幸も生みました。

 

 マキにとっては最終手段の、離婚という〈健全家庭〉を自ら放棄する方法を取った後にも、その傷がいえる間もなく世間はマキに冷水を浴びせかけます。それでもマキは小説家という仕事を武器に、なんとか自分の生活を軌道に乗せていきます。

 

 津軽の昨今と、マキの住む鎌倉の観光話が、ひとしきりあってから、ヌイの息子が、

「や、巫女様」

母親の杯をみたし、

「それ、いつでもマコさまを残念がってる、あすこ、しゃべれスナが(言ったら如何)」

と、けしかけた。くぐもり笑いをしたヌイは、

「ンス。ワレ思うんだ。マコさまがよ。バカみたいにつくしたのに、カタワにして、ああした目みせて、ヤソ様、見殺しにしたネシ」

 間が悪げに嫁が、煮つまった貝焼に鉄ビンの湯をさした。マキはヒジを起こした。

「ンや、ヌイ、ンばかりでも無い」

「ンで無いこと無いス」

 おだやかだけにヌイの非難は根深げだ。

「ヤソ教ではよ。ヌイ、一切、親玉に任せてあるのよ。親玉がやることを摂理ってナ」

「何ず事だべ。オカシコテ(めいわくな政事をする)大臣か、その親玉」

 ヌイは鰊のムシリ身をつまみかけた箸をつままずにふった。たじろいだマキだが、よんどころなく、

「ヤソの親玉はよ、ヌイ、出来ないものなしよ。出来ないものなしの為ることは、人のモノサシで測れない。ンだな。人からみれば、ツジツマの合わないこともある、けどもよ」

「無理だネシ、ヤソは」

 ヤソのわからずを憤ってヌイは鰊をつつく。

「なってないと見えてもよ。ヌイ、親玉が何か為る途中のスジミチだってば」

 息子が煙草の灰をはたいて応じた。

「ン、工事中ネシ、足場組むこともあるシ」

 不満げにヌイは鰊から箸をはなし、

「途中?途中は尺に合わなくてもいいスか」

「尺って人の尺だもの。ヤソの親玉は、尺いらず、ノビ、チヂミ自在にユウズウきくンでないかヤ。親玉の仕事の途中でな、ハカリかねる切ない場を支えた者は、つまり親玉が大事にしてる人だと約束があるのよ、ヌイ」

 ンッとクソいまいましげなヌイだ。マキは当惑だが、マキなりに、ヤソを背負わなければならない。

「ワレアよ、ヌイ、ワレにもツジツマの合わない摂理ってスキーを右足にはく。左足にはたのしみのスキーをはくんだ。左足のはよ。ワレの息の根止める十字架が能る度によ。その苦しみで今までにない根性がつくたのしみよ。」

「ワイハ、足もと悪いマコさまだエ、ドシラと乗ったら誰か引っぱって蹴るソリさ乗せたいネシ」

 マキの舌足らずな解説は、ヌイを納得させるどころか、とんでもない危険な方向へツンのめらせた。

「わからねエ、わからねェ、してもマコさま、どうしても、その片方ずつ、ヤソのスキーはくのだベシ、ワレア荒行ス」

 マキはあわてた。霊媒巫女が荒行するのは腹イセの呪いの時だ。

 ―相手を殺しちゃえば、つまんない―

 では、このヌイは収まるまい。

 

同上 pp144~146

 

 多くの傷を負いながらも自立への道筋を整え、マキはなんとか郷里に行けるまでの元気を取り戻し帰郷します。迎えるヌイはマキの味方であり続けてくれる身内であり、彼女の郷里は彼女をそのまま包み込んでくれる現実として存在していました。

 ところが、ヌイはマキを傷つけるすべてのものを憎しみの対象としたため、マキの信仰するキリスト教にまで恨み言をいいます。苦しみのあまり神を呪う物語はたくさんありますが、この場面のマキの反論、両足に履くそれぞれのスキーに自らの信仰生活と実生活の在り方を例えた例は、苦しみから抜け出せたからこそ言うことができる力強い言葉になっています。

 私がおもしろいと思ったのは、この物語の題名がたのしみのスキーである左足ではなく、摂理のスキーである「右足のスキー」であることでした。ヌイにははっきりとは言えなかったものの、信仰は確かに彼女の支えとなっており、何かを与えるというよりは、どんな自分であっても許しを乞える相手がいるということが彼女の支えになっているのではないかと私は勝手に思っています。絶対的な摂理の前にまごうこと無く立つことのできる右足のスキーは、誰が何といおうと自分の支えになるものです。信仰の尊さではなく信仰による強さとはどんなことかが私はここから読み取れました。

 この後の文章では意外な展開でキリスト教徒とはかけ離れた血の成す技としての救いについて書かれています。ユーモラスな表現の中にも私は少し怖いなぁと感じたのですが、ご興味を持たれた方は是非お読みになってみてください。

 

 話される言葉に対し、書かれる言葉は、思考と夢が反響しあう抽象的なこだまを喚び起こすという大きな強みをもっている。口で語られる言葉はわれわれからあまりにも多くの力を取りあげ、あまりにも多くの現前を要求し、われわれの緩慢さを完全に支配するゆとりを与えない。われわれを、限定されない静かな反省へと誘い込む文学的イメージが存在する。そのとき、イメージ自体に深みのある沈黙が合体するのが認められる。もしもわれわれがこの沈黙と詩の合体を研究しようとするなら、朗読にそって、休止と爆発の単純な線的弁証法を用いるべきではない。詩における沈黙の原理は、隠れたる思考、隠密の思考であることを理解しなければならない。イメージのもとに身を隠すことの巧みな思考が物陰で読者を待伏せるやいなや、喧騒は抑圧され、読書が、緩やかな夢見がちな読書が始まる。表現的な沈殿物の下に隠された思考を求めてゆくうちに、沈黙の地質学が発展してゆく。リルケの作品には、一字一句あの深い沈黙の数多くの例が見出されるが、この沈黙によって、詩人は読者をして耳に達する喧騒から遠く離れ、昔の言葉の古い呟きから遠く離れて思想に耳を傾けしめる。かくして、人が奇妙な表現的な息、告白のもつ生の飛躍を理解するのは、この沈黙がうまれたときである。

 

ガストン・バシュラール著 宇佐見英治訳 『空と夢』法政大学出版 pp376~377

 

 文学作品となった人間性は、喧騒から離れ、イメージの深層へと送り込まれ、生の飛躍の理解へと送り込まれていきます。そこで私たちが見るものは、もはやスキャンダルにまみれた非社会的な言動ではなく、生の存在があった証であり、様々に照らして思うことのできる表現世界の大空間に浮かぶイメージです。

 

 ところで、作家が現実的に体験した出来事、ここで私が引用した、マキの幸福な空間作りが引き起こすことになった業の深さや、マキの夫が妾を作り子を成したという業の深さを、読者である私たちはどうやって消化したらよいのでしょうか。

 このブログ記事の表題なのでこの部分を追求しなくてはならないのですが、ここまで書いてみて私には作品にしてしまった時点で作家にとって現実はとうに過去のことになっていて、事件そのものについて正確に話すことのできる人はいなくなってしまっているのだよなぁと感じました。当事者が過去にしてしまっているものを、作品から憶測して実際にあったことをどうこう考えるのは少し違うのではないかとも思います。

 研究者ならば、作家の人生や生い立ちを調べて作品に照らして研究することは意味のあることですし、作家に興味のある人は同じように作家自身について考えることもおもしろいでしょう。

 

 ただ、恋愛の業について、作家の恋愛の業をいくら調べたところで、自らが知らないことはわからないのではないかと思うのです。作品による疑似体験はあくまで疑似体験であって、疑似体験の業の深さに死にたくなるようなことがあってはならないし、あったとしても偽物だとしか思えません。

 一方で、恋愛の業はあるという感覚を持つことは大切なことだと思います。今回の「右足のスキー」の場合の夫の業とマキの業。そのどちらも感じることが必要で、それを感じることのできた感想を持つことには意味があったと感じています。

 

 自らの業や自らが体験することになった他者の業について、それを作品にすることも業であるならば、その業は作家や芸術家という職業が持つ特殊な業であり、作品は業によって作られたいわば人間性の縮図なのですから、芸術作品というものは業の形であり、芸術家は業に形を与える人々だということもできるように思います。

 

 そんなことをした人を許せないという気持ちを持ったり、それは人間であるから仕方のないことだと思うことは、こちら側の判断でしかないのですから、当の作品の作家にとっては大きなお世話でしょう。それは作家として受ける批判ではなく人間として受ける批判であるべきだと思います。そして、そこを分けて考えることは、芸術を芸術として成り立たせるためにはとても大切なことでしょう。

 同じ人が作っている以上、受け手から見れば難しい事かもしれないとは思いますが、そうでなければ豊かな芸術作品と呼ばれるものは生まれなくなってしまうように思われます。

 

 そこに業があった。それは私の知るもの(知らないもの)であった。その業はある場所を焼き尽くして、そして違う場所に違う形で再生させた。

 

 作品が生むものがたりを身近に感じ、それが私たちの奥深いところに語り掛ける静かなイメージを持つことが私たちにとって芸術体験と呼ばれるものであるならば、実は業は作品のコアな部分で心音を立てる心臓のような役割を果たしたりしているのかしらと思いました。