ミュシャ展【6月5日まで】閉設の前に

 《スラブ叙事詩》のプロジェクトが―非常に実り豊かで、多くの点で驚くべきものであったとしてもー当時、(選択的ではあったが)国際的な情報に通じていたチェコの芸術界にさほど大きな熱狂をもたらさなかったのは意外なことではない。ムハが雄偉を誇った時代は、モダニズムアバンギャルドの潮流の到来によって、明らかに終焉を迎えたように思われていた。19世紀後半に作られた国家概念の誇示を壮大な歴史スペクタクルに仕立て上げることは、間違いなく望ましいことではなかった。それは、あたかもムハが―彼の当初の目的は、同時代の絵画ジャンルの公式なヒエラルキーに対応すべく、歴史主題を描く画家になることであった―パリで収めた(しかし望んだ分野では獲得されなかった)大成功の「逆転」を経験することによって、ついに自身の目標に到達したかのような事態であった。しかし、故国に華々しく戻ってきたムハが飛び込んだ水は、この時すっかり変質していた。一方で《スラブ叙事詩》は、この傑作を鋭く分析したレンカ・ビジョフスカーとカレル・スルプの論考においてすでに指摘されているとおり、いわゆる「スラブ芸術」の伝統概念や歴史画の規範を判断基準とした保守派の伝統主義者の間でも、同様にはなはただしく否定的な反応を引き起こしたのである。したがって、ムハは二つの時代―19世紀と20世紀—のどちらからも着想を得つつ、その狭間で揺れ動いていたのだ。しかし彼は、同時代には評価基準のなかった作品を創出したのである。以上の見解が、《スラブ叙事詩》を考えられうる文脈の一つのなかに―より正確には、フランスにおける装飾画の問題という視点から―位置づけようとする私たちの試みの出発点となるだろう。

 

ミュシャ展』求龍社 p202 ドミニク・ロブスタイン、マルケータ・タインハルトヴァー「アルフォンス・ムハと装飾画の復興―フランス文脈を通して」より

 

 ミュシャ展がもうすぐ終了ということで、スラブ叙事詩が日本に次いつ来るかわからないので、ぜひ見に行っていただきたい気持ちから文章を書かせていただきます。もっとも私のブログに来ていただいている方ならもうご覧になっている方が多いかもしれません。

 

 日本ではミュシャの作品はアール・ヌーヴォー様式の人物画に自然を取り込んだリトグラフの印象が強く、私にとっても美しい女性を描く画家ナンバーワンの位置を占めているのですが、ミュシャ自身はそのことを決してよいこととは思ってはいませんでした。

 今でこそ、鑑賞する側にとってそのような作品と油絵に格差をつけて見るような風潮はないように思われますが、ミュシャが生きていた時代には油絵を描く画家が本当の画家で、そのほかは画家というよりどちらかというと美的な技術職のような扱いを受けていたようで、多くの名声を受けながらもそのことをずっとミュシャは気に病んでいたようです。

 そして、とうとう祖国の危機と自分の名誉のためにスラブ叙事詩の制作にかかったというわけですが、先に引用させていただいた通り、時代に取り残された形になって祖国では作品としての正当な評価を受けられることなく、ミュシャは亡くなってしまいます。

 2012年にプラハでスラブ叙事詩全20点が公開されて以降、スラブ叙事詩への評価が高まって私たちが日本でこの巨大なスペクタクル作品を目にできるようになったという、なんとも画家にとっては皮肉な話にも感じますが、芸術作品でそういった評価の受け方をしているものは結構たくさんあるもので、時代性と芸術作品の関係は思いのほか複雑なんだよなぁなんて思いを馳せることもできます。

 

 さて、ダラダラと前置きが長くなりましたが、行って見て私がまず感じたことは、よく戦っているなぁの一言で、宗教と国を守るという事がヨーロッパの真ん中ではどれほど難しい事だったのか思い知ることができます。それを知ることだけでも十分価値があると思います。しかし、スラブ叙事詩のすごいところはスケールの大きな絵画の中に様々な人間(や神々)が配置され、その一人一人を見つめて同化できるような物語を感じられることだと思います。絵画の物語はどの絵画にも見られるし、それが絵画の価値といえば価値なのですが、スラブ叙事詩の物語は少し違っています。叙事詩という題名通り、詩的な表現を通じて神話としての歴史性(あるいは歴史としての神話性)が表象されているのです。その表現を受けて、私たちは現実の中の夢のような場面に入り込んで、歴史とは、民族とは、国とは、神とは等々の多くの訴えかけに圧倒され、ただ怯えたり、一心不乱だったりする人々と重なり合い、我を忘れるひと時を過ごすことになります。

 私たちが生きているということは、これほどまでに様々なことに翻弄されているということだと改めて思い直すと、現代を生きることも少し違って見えるような気もします。私はむしろ今は何に守られてこんなにも怯えていないのか不思議な気さえ起こりました。守られている、守られていない、守られている…。揺れる心の中で今大切にしたいものを感じることもできました。

 

 と、私の感想はこんなところですが、絵画を見る時の人の気持ちはそれぞれで、あなたの世界を満喫できるのも、見ることからしか得ることができない情報量で物語を語る絵画の魅力であると改めて感じることのできる作品群です。

 

 ミュシャ展は6月5日(月)まで。とても残念ですが国立新美術館以外での開催はないようですね。まだご覧になっていない方で、ご興味を持たれていける方はぜひ見にいらしてみてください。