AだからBという関係性を超えて ―エンデの愛について―

 「遠い、遠い昔のこと、」と花咲くおばさまははなしはじめた。「わたしたちの国の女王幼ごころの君は、重いご病気で、もう死にかけていらっしゃいました。女王さまには新しいお名前が必要で、それをさしあげることができるのは人間世界のものだけだったのに、人間がもうファンタージエンにこなくなっていたからです。どうしてこないのか、だれにもわかりませんでした。もし女王さまがおかくれになれば、ファンタージエンはおしまいになってしまうのです。ところがある日、というよりある夜のこと、やっとまた人間がやってきました。小さい男の子でした。そのぼうやが、幼ごころの君に月の子(モンデンキント)という名をさしあげました。女王さまはそれでまたお元気になられ、お礼に、この国でぼうやの望みはなんでも実現させてあげると約束なさいました。—ぼうやが、真の意思を見つけるまで、なのだけれど。それからというもの、ぼうやは一つの望みから次の望みへと、長い旅をして、そのつど望みがみたされてゆきました。一つ望みがかなえられると、新しい望みが生まれました。よい望みばかりでなく、わるい望みもありましたが、女王幼ごころの君は全然区別なさいませんでした。幼ごころの君は何もかも等しくお認めになり、女王さまの国ではみんな同じように大切なのです。そして、とうとうエルフェンバイン塔が崩れおちることになったときでさえ、それを防ごうとはなさいませんでした。ところが、ぼうやは、望みが一つかなえられるたびに、自分の元いた世界の記憶を、一つずつなくしていったのです。といっても、ぼうやはもう帰る気持ちはなかったので、気にもかけませんでした。だから次から次へと望みを持っては進むうちに、とうとう記憶のほとんどを失ってしまいました。覚えていることがなくては、もう望むこともできません。こうしてぼうやは、もう人間というよりは、ほとんどファンタージエン人になってしまったのです。ぼうやはそれでもまだ、何が真の意思なのかわかりませんでした。今やそれが見つからないまま、残されたわずかな記憶までなくなってしまう危険が出てきたのです。もしそんなことになれば、ぼうやはもう自分の世界に帰れなくなるのです。そのとき、ぼうやは、やっと変わる家にたどりつきました。そして、真の意思が何なのか、それがわかるまでそこにいることになりました。というのは、この変わる家というのは、家そのものが変わるだけではなくて、家がその中に住む人を変えるから、そういう名前がついているのです。それは、ぼうやにはとても大切なことでした。ぼうやはそれまで、自分とはちがう、別のものになりたいといつも思ってきましたが、自分を変えようとは思わなかったからです。」

 

ミヒャエル・エンデ著 上田真而子佐藤真理子訳 『はてしない物語』 岩波書店 pp530~531

 

 先日いぶりぃさん(@iwri)のご厚意でエンデ読書会に参加させていただきました。その際にたくさんお話を聞かせていただけたのですが、ここでは私の関心事であった、エンデの作中で私たちが感じることができるにも関わらず実生活に生かしきれないなにか、そしてその何かが私たちを変えられる力であるということについて書かせていただきたいと思います。

 

エンデ (中略)

 ところがぼくのいう文化は、むしろね、タイフスタイル、価値観、—こういってよければ―生活態度の共通性のことだ。この共通性は、時代とか社会がもっているもので、この共通性において時代や社会が自分を再発見し、自分を表現したりもする。さて、こういう意味で文化を考えてみると、いまやぼくたちは世界史全体のなかでほんとうの跳躍点に立っていると思えるわけだが、ともかく文化は、マテリアリズム的な世界観のなかからは生まれてこない。ぼくたちの思考は―とりわけそれは自然科学的な思考でもあるわけだが―すべて、19世紀のマテリアリズムに染まっている。いま武器としてもちいている概念はみんな、ほんとうにあいかわらずマテリアリズム的色彩の濃いものだ。それは思考のかたちまで染めあげている。

 たとえば、純粋に因果関係の理論にしばられた思考が正当であるのは、いくらか決められた領域においてだ。物理学、それに化学だ。ところが人間というものを因果論的産物、因果関係にしばられた存在としか見ないとすれば、価値といったものがいっさい考えられなくなってしまう。文化とか、ライフ・クオリティについてのおしゃべりなんか、みんなむなしいきまり文句の行列になってしまう。

エプラー もしも、ハンネ・テヒルのいったことを真剣に考えるとすれば、新しい道がどこへ通じているかが精確にわからないにしても、若者は新しい道を歩きつづけようとしている、ということになるだろう。そのことをぼくは、「踏みかためられて自然にできた小道」(エアハルト・エプラー『危険から脱出する道』〔1981年、ラインベーク〕に出てくる概念)という言葉でいったことがある。カタストロフが待ちかまえているのはどの方角であり、どの道なのか、ははっきりしている。だから道のない別な方向に歩きつづけると、踏みかためられて自然に小道ができる。そのときズボンが破れたり、指から血をだしたりするわけだけどね。こういう手探りの時期をへてはじめて、新しい文化が生まれる。

エンデ 現在も進行中だけど、ここ4,5年のあいだにはっきりしてきたこと。それはね、一般に考えられているよりはるかに深いところで進行している意識の変化なんだ。ぼくたちは、あるひとつの発達において、とうとう終点にきてしまったんじゃないか、というのが実感だね。とくにね、概念をもちいた抽象的思考にかんしてだが。現在ではまだ過激な発言ときこえるかもしれないけど、どうやらぼくの感じでは、ある種の思考、つまり、16世紀頃、ジョルダーノ・ブルーノやガリレオ・ガリレイニュートンなどとともにはじまった思考形態が、死んでしまったようなんだ。その種の思考は、単一の世界を引きさいて、客観的現実と主観的内面とにわけた。まるで、人間の意思なんかなくなったって事実の世界は存在するかのようにね。当時、「あたかも人間の意識などまったく存在しないかのように、やってみよう。そして、事物が『それ自体として』どうあるのかを調べよう」といわれたものだ。ところがその場合、見おとされていたことがある。「あたかも……かのように」式の発言には、すくなくともある種の人間の意識が必要なんだ。つまりね、人間の意識というものを排除して考えるなにかが必要だからね。リアリティというのはそれとはまるでちがう。ぼくたちの知っている唯一のリアリティというのは、人間をふくめたリアリティだ。16世紀はじめには、世界を客観と主観に二分するのは、なにか特定の研究をすすめるための、まったくのフィクションだということが、まだみんなの意識にのこっていた。ところが、時代がすすむにつれて、この二元論はフィクションにもとづいているという点が、すっかり忘れられてしまったようだ。今日ではほとんどの人が、客観的な世界と主観的な世界があるということを信じて疑わない。それどころか事態はもっと深刻で、「客観的」という言葉が「正しい」の同義語にされてしまっているんだ。新聞などでよくお目にかかる、なんとも結構な表現があるだろう。「それは客観的に正しい」というやつね。この表現が厳密にはなにを意味しているのか。これまでだれからも納得のいく説明をしてもらったことがない。逆にね、「主観的」というレッテルは、「錯覚」の同義語になってしまっている。というわけで、ぼくたちの思考は袋小路にはいりこんでいて、認識の発達などいっさい望めない状況だ。はなはだしくまちがった現実概念!このあやまった概念を克服できる方法は、ぼくの考えでは、ひとつしかない。つまり、二元論を捨てて、フィクションをフィクションとして再確認する。それから、人間の意識と世界とがわかちがたくひとつに結びついており、両者が一枚のコインの表裏でしかない、ということを理解する。それしか方法はないんだ。どんな認識だって、認識する意識というものを前提としている。いいかえれば主観が前提にある。そのことがわかれば、マテリアリストになんかなれないね。

エプラー それは反デカルトということだ。デカルトは「考えるもの(レス・コギタンス)」と「延長するもの(レス・エクステンサエ)」とにわけた。人間は「考えるもの」だが、動物は「延長するもの」であって、石ころとか金属とまったくおなじというわけだ。そういうふうに区別すると、もちろん、自然という概念がからっぽになる。今日、そういう区分が使いものにならないとわかれば、またひとつ別のことが指摘できるわけだ。現在ぼくらが直面している思考の激変は、いちばん手っとりばやいところでは、ルネサンスの思考の激変とくらべることができる。

エンデ そう、ぼくはときおりこんなふうに自問することがある。ソクラテスとともにはじまったヨーロッパの思考、いいかえれば、対話にもとづいた弁証法的な思考といったものが、いまや今世紀において終わろうとしているんじゃないか。と同時に、16世紀が経験したよりもはるかに鋭い変化が、はじまっているんじゃないか、とね。

 論証する思考というのは、じっさいソクラテスからはじまったわけで、ソクラテス以前の人たちはまだ知らなかった。彼らにとって重要なのは「すぐれたもの」つまり質のほうだった。ヘラクレイトスの思考は、今日の論理的な概念思考といったものよりは、アジア的思考、禅の思考にはるかに近いといえる。そもそもソクラテスの弟子たちの時代になってはじめて、論理的な論証で真理を手にいれることができ、手にいれたその真理をもちいて、なにか確かなもの、「客観的」なものをつかまえることができると考えられるようになった。こういう思想をへて、16世紀になって、すべてを量でとらえようとする思考が登場する。数えられるもの、計測、計量できるものだけが、正しいとされ、最後には、質にかんする現実までもがすっかり否定されてしまった。なにしろ質というものは、量的な思考ではとらえきれないからね。美というものは、たしかに測ることはできないが、にもかかわらず存在はしている。しかし美の知覚は、知覚する人と切りはなすことができない。とすると外もなければ内もないということになる。

 

M・エンデ E・エプラー H・テヒル 丘沢静也訳 『オリーブの森で語りあう』 岩波書店 pp36~pp40

 

 長い引用になってしまいましたが、ここでエンデは二元論的な存在論について否定的な意見を並べています。これはエンデが一貫して説いている言葉で、人間は自分から離れた自分にはなれないこと、つまり、自己が意識から離れて客観的な論理によって成り立つことなどあってはならない危険な行為であるという警鐘を鳴らし続けます。人が生きるということ、つまり存在を維持するということは、現実世界という自分でしか確かめられない何かを引き受けることであり、その際に必要なのは、自分の中にある世界と外の世界とを統合あるいは分割して考えられる力であって、決して現実的に測量できる何かと比較することではない。さらにそのような行為に至るには、ある種の抽象的な思考による(人間形成の)場が現実に作用する重要性を見落としてはならないというエンデの思想があります。このことは、人が自分で考えるというのはどういう事だろうという問いを私たちに突き付けます。

 

同じように教育論についても、子どもたちに対して正しいことを客観化して教え込むことに対して批判的に書いています。

 

 なにを学びとるにしても、子どもはあくまでも共感するから学びとる。学ぶ内容自体への共感か、それを教える者への共感である。どの子どもも、魂がまだ健全ならば、愛することも、感心することも、なにかを美しいと思うことも、大喜びすることもできる。端的に言えば、子どもは生きることの価値と、生きることの尺度をさがしているのだ。そして、教育者の課題はとどのつまり、この受け入れる姿勢を目覚めさせ、それを正しい道へと向けることにほかならない。ここで、重要な点に達したようだ。

 このことは、批判教育を提唱する誰もが避けている。おそらく、自分自身が愛せないことや、基準のなさを、程度の差はあれ、はっきりと感じていることが、その原因ではないか。なぜなら、純粋な主知主義は生きる価値も基準も生み出すことはできないからだ。だから、子どもたちに提供することでも、自分の人格をかけて責任を持つことができない。

 人は“正しいこと”を客観化したくてしかたがない。いわば個人ではなく、純粋な事実だけを、科学的に、価値観にとらわれずに伝えたいのだ。こうして致命的な矛盾におちいる。価値観にとらわれない生きる価値などないからだ。そこで、逆の道を試すことになる。子どもたちの目を”正しくないこと“へ向け、それに対して”批判的“であるように仕向けるわけである。だが、実際には自分の立場をしめせないから、真の否定をも与えられない。そのため、判断することを自分で学びなさいという言葉とともに、問題は結局、全部あっさりと教育の犠牲者、つまり子どもに押し付けられるのである。しかし、その判断する基準となるものは子どもに与えられない。その結果、そこから出てくるのは「子どもって、損だな」という、不平っぽい、ふくれっ面で、不機嫌な、あの、よくあるパターンだけなのである。

ミヒャエル・エンデ著 田村都志夫訳 『エンデのメモ箱』 岩波書店 pp155~156

 

 こちらの文章でエンデは主知主義批判と共感の重要性を説いています。主知主義については前述の引用文章からエンデの言いたいことが詳しくお分かりいただけると思います。そして、共感するということは、もちろん相手の気持ちになって考えることができるという事ですが、エンデの考えによれば、それはAだからBという思考の垣根を越えて相手のことを思うことができるということへの道筋なのです。そしてエンデはその到達点のことを愛と呼びました。

 

Nさんへ

 お手紙に示されたご信頼に、お礼申し上げます。ご質問にお答えするのは、たやすいことではありません。まずひとつ書いておきたいことがあります。それは、愛することができない、とあなたが思われる事実が、実はすでに、あなたのなかに愛する強い能力がひそんでいる、いちばんの証拠なのだということです。この能力をいかにしてめざめさせるかという問題は、簡単なレシピでお答えするわけにはいかないでしょう。「隣人を愛せよ」とか「人びとを愛せよ」と、説きつづけてやまない人たちは、わたしには、まるでストーブに対して薪や石炭を入れずに、「あたたかくなれ、あたたかくなれ」と呼びかけているように思えるのです。このたとえでわたしが言いたいのは、人のなかに、その人を愛したいと思うものを見ず、はっきりととらえることができなくては、言うまでもなく、ひとりの具体的な人間を愛することはできないということです。

 それには、たしかに少なからぬ努力がいります。もっぱら優越感にひたり、冷たいふりをする人間の仮面のうしろに、とほうにくれたさまや傷つきやすさを見るには、創造的な努力が必要なことだってあります。

 わたしたちの目に入るのは、まずは、人の悪い面であって、ほんとうの愛すべきものを見るためには、それを見ようとしなければなりません。このことはもちろん、その瞬間には自我を忘れなければならないことを意味します。

 宗教的な観念について、Nさんがどのようにお考えか、わたしは知りません(また、お手紙からもわかりません)。なぜそれをたずねるかと言いますと、「永遠という観点のもとで」人を見ないかぎりは、人のなかになにか愛すべきものを見つけられるとは、とても思えないからです。今日の自然科学が人間について言えることだけが、事実人間なのだとする人には、私見では、愛は不可能です。まったくとおりいっぺんの敬意でさえ不可能だと思うのです。

 人間の魂が、ほんとうに「脳と神経系における電気化学的プロセスの総和」にすぎないのでしたら、この「電気化学的プロセスの総和」のささいなちがいに注意をはらう理由はありません。

 しかし、この見方は、本とは実は紙と印刷インクでできた大量の複雑なしみにすぎないと主張するのと五十歩百歩のりこうさです。わたしにできる助言は、適切な読書か、あなた自身の思考を通して、あなたがあなた自身の心とあなた自身の魂のために必要とするものを、あなたのなかに知覚できるようにしてくれるような人間像をさがすようにおすすめすることです。

 

ミヒャエル・エンデ著 ロマンホッケ編 田村都志夫訳 『誰もいない庭』 pp384~386 岩波現代文庫

 この手紙には、愛することができないと感じている人こそ愛する力が隠されていて、愛するためには、自我を忘れて愛したい誰かのことをみようとしなければならないこと、そのためには永遠という観点が必要であると書かれています。そして永遠の観点を得るために必要なのは、自分自身の思考を通して心と体に必要な人間像を自身の中に知覚することだと言っています。

 

 エンデは『はてしない物語』の中で、まずアトレーユという〈心と体に必要な人間像〉をバスチアンに示します。エンデは「人は誰でも自分の探すものに変身する」(エンデのメモ箱p51)と言っていて、私はアトレーユはバスチアンの捜し求める自分自身の姿であると思っています(このことについては『「はてしない物語」辞典』においてホッケも言及しています)。上述の「Nさんへ」にある〈あなたのなかに知覚できるようにしてくれるような人間像〉です。作中バスチアンはアトレーユから様々な愛を受け取りますが、それを理解するためにはアトレーユと共に様々な試練を受け、彼を信頼し、友情を築き、いとしく思い、裏切り、傷つけなければなりませんでした。

 そして彼と別れ一人きりで愛を得るための経験を積み、やっとの思いで愛する人を思い出します。作中で、バスチアンが最後に父親に命の水を持ち帰りたいと願った気持ちは、相手が父親だからとか、自分の保護者だからという理由からではなく、彼を愛する気持ちを自分のなかに感じ、そして愛したいと欲した時に生まれました。〈愛したい〉というそのことこそが、バスチアンがファンタージエンを訪れた本当の理由であり、変わる家はバスチアンにそのことを気づかせて枯れていったのです。空想の世界と現実の世界の関係をエンデはそのように捉えていました。空想世界での経験は現実世界に生きる糧になるものです。しかし、空想世界を形作るものもまた、現実世界の持ち物でしかないのです。(この相互性の重なりについては次回詳しく書かせていただきます。)

 

 同時にエンデは、抽象的な思考と現実は別なものであり、そのことに本人が気付かない限り人は成長しないという事も説いています。現実の記憶を失い、抽象的な世界から出られなくなったファンタージエンの元王たちの行く末は惨憺たるものでした。

したがって、最後はいよいよ現実に戻らなくてはならないのですが、バスチアンはその前に自分の名も失った状態になってしまっていました。自らが現実世界のものをなにもかも失った状態では命の泉のある現実世界への門は開きません。さて、バスチアンはどのように現実に戻れたのでしょうか。この辺りが映画とはだいぶ違っています。ぜひ『はてしない物語』は本を読んでエンデの愛を感じとっていただきたいと思います。

 

〈参考〉

 二元論による存在論に異議を唱え、超えていこうという試みはいろいろなところでなされています。ここではモルによるそれを参考として載せさせていただきます。

 

 客体を様々な視点の焦点として理解することから、様々な実践において客体がどのように実行されているのかを追うことへの移行は、科学がいかに表象するかという問いから、科学がいかに介入するかという問いへの移行を示唆している。過去数十年にわたり、多くの哲学者が、知識を得るための近代における有力な方法としての、介入の重要性を強調してきた。認識論は、とうの昔に、思考のための妥協性を失っている。しかし、干渉が重視されたとしても、干渉することは論点ではなかった。客体と関連づけることについての重要な問題は、客体を知るようになるということだった。本書は、脱身体化された思考から離れて、さらなる一歩を進んでいる近年の研究潮流の一部である。これは、客体を見ようとするまなざしを追うことを止めて、代わりに客体が実践のなかでまさに実行されているさまを追うことを意味する。つまり、強調点が移行している。観察者の目の代わりに、実践者の手が、理論化の焦点になるのだ。

 したがって、本書は、知識を主に指示的なものとして扱うことを止めた哲学的な移行に貢献するものである。知識はもはや、実在についての言表ではなく、他の実践に干渉する一つの実践だとされる。こうして、知識は実在に参与する。これに続いて、様々な別の移行が生じる。その一つは、諸科学の間の関係の性質を再考しなければならないということである。19世紀以降、(物理学、化学、生物学、心理学、社会学といった)科学の様々な部門は、(それより前に考えられていたように)主に方法によってではなく、研究対象によって異なると理解されるようになった。そして研究の対象は、本質的に所与であるとされた。それらは実在において筋の通った形でつながっており、存在論は、この一貫性を明らかにする哲学の一部門であった。そのために、しばしばピラミッドのイメージが使われた。それぞれの対象の領域は、小さくて比較的単純なものから、もっとも大きくて複雑なものへと序列化された対象のピラミッドのなかの一層のようなものだとされた。そして、それぞれの科学には、そうした層の一つに位置づけられている存在を研究するという課題があった。こうして、ピラミッドの底では最小の粒子とその力場が物理学の対象領域を形成し、頂点における人間集団間の複雑な社会関係は社会学によって研究されるものだとされた。この存在論的一元論に付随した夢の一つは、結局のところ、最小の粒子の振る舞いについての完全な知識が、他のすべてのことを説明するというものだった。物理学が化学の法則を説明し、化学が生体に起こることを予測し、生物学が心理学的な気質と社会関係を説明することができるというわけだ。誰もがこの見取り図に同意したわけではなかった。二〇世紀を通して、この存在論的ピラミッドにおける敷居の存在を確立するために、少なからぬ努力が捧げられた。無機物と有機体との間の敷居。有機体は無機物とちがって病気になったり死んだりすることができる。さらには、性差、肌の色、疾病についての生物的事実と、そこから生じるのではない、社会的な出来事の間の敷居。したがって、後者は特別な、社会学的な用語、ジェンダー、文化、病い、を用いて説明されなければならない。

 

アネマリー・モル 浜田明範・田口陽子訳 『多としての身体 医療実践における存在論』 水声社 pp214~216

 モルは本書によって(動脈硬化症患者の)実在の多重性について、実践誌的アプローチを使用して説明する試みをします。とても興味深い試みで、私はまるでドキュメンタリーを見ているような印象をうけましたが、ここではモルが実在論的一元論について説明する部分を引用しました。

 この引用で実存への科学の介入が変化していることは理解できますが、実存が科学に対して変化している様は伺えません。そのことについて、エンデの文章を読み解くことは、おそらく私たちの未来に大きく貢献してくれるだろうという事を付け加えておきたいと思います。

 

 次回はエンデの芸術論と遊びについて書かせていただく予定です。

 ブログ掲載にあったて、いぶりぃさんに多くのことをご教授頂きました。引き続きご協力をお願いする予定です。更にエンデの詳しいことをお知りになりたい方はこちらのブログをどうぞ。http://d.hatena.ne.jp/iwri/

 こちらとは別世界の奥行きの深い世界が展開されています。