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『翻訳と日本の近代』 未来の思考の足掛かりとして

 前の記事の最後に丸山眞男加藤周一著『翻訳と日本の近代』を足掛かりに翻訳について書いていきますと書いたのはいいものの、この本は実は非常に考えさせる箇所が多くて、どこを引用したらよいかもテーマによってだいぶ変わってきてしまうように思えるので、今回は簡単だと思っていた自分を今は殴り飛ばしたい気分でいっぱいです。

 

 私が学生の頃はこの本は大学一年生の教科書として使用されたりしたのですが、今はどうなのでしょうか。とにかく、近代に莫大な数翻訳された様々な著作は、現代日本の根幹として今も生きているし、その時どういう意図をもって翻訳されたかを考え直すことで、今私たちが置かれている状況について改めて考え直すことのできる良書だということは間違いありません。明治・大正期に〈哲学〉だとか〈教育〉だとか〈宗教〉という語がどんどん造語として作られ、あるいは漢文からの転用で西洋的な語や現代的な語としての変換をきたしながら、現代の用語として機能しているみたいな勉強をこれからしていく人たちにとって、この本を全部読んでみようと挑戦することはとても意味があることです。

 

 さて、前置きはこのくらいにしておいて、今回私はこの本をまずは近代の翻訳と日本での受容の姿勢について考え、次にそれを将来に生かすために私たちがどう考えたらいいだろうというスタンスで読んでいきたいと思います。古来中国から輸入された著作の翻訳も、実は各派によって翻訳の仕方が検討され議論されていたことなども大変興味深く面白く読めるのですが、その部分は省かせていただきます。

 

 

丸山 さて、さっきの矢野文雄の『訳書読法』にまた返るけども、あのなかで本の分類が非常に大事だといっていて、東洋の分類は粗(疎)であるというんだ。西洋の図書館の分類のように、もっと密でなければいけない。それでいろいろ図書を分類しているんですが、粗(疎)である証拠として、おもしろいことに、「仁・義・礼・智・信」があげられているのですよ。「仁・義・礼・智・信」というが、「仁・義・礼・信」は人間交際の関係であり、ルールだ。ところが、「智」というのは、物事を処理するために必要なんで、性質が違うという。それをいっしょにしてしまうのは、東洋の分類がいかに粗雑であるかという例である、といっている。

加藤 これはどの程度に普遍的かしらね。翻訳の影響という問題もあるし、翻訳の問題に固有な論点に関わってくるのですが、論点の一つは、まさにそういうことなのです。

 一つは原因論的な関係ね。因果律、たとえば、翻訳の文章では、「何故に」「何故ならば」とかいうのが増えてきていると思うのです。だいたい日本では、少なくとも明治前の文章では、そうやたらにbecauseにあたるものが出てこない。ところが、ヨーロッパ語ではのべつまくなしに出てくる。そこをどう訳したか。

 二つ目は、いまの「分類」だと思うのです、どういう分類をするのか。日本では、歌を分類しても詩を分類しても、大昔から、並列された分類の項目の内容が重なっていた。つまり❝mutually exclusive❞ではない。そういう分類の仕方は西洋人の嫌いなことで、アリストテレス以来の分類からみるとおかしい。中国でもそうだと思うのですが、日本の分類法は重なりを避けない。だから、「仁・義・礼・智・信」のうち「智」だけが性質がちがうじゃないか、という指摘はとてもおもしろいのです。そういう、厳密な分類の原則に反するものがどういうふうに処理されているか、という問題があります。

 三番目は、ジェネラリゼーションです。あるいは数のあらわし方。「すべての」と「若干の」「ひとつの」「任意のひとつの」ということについて、英語ではかなりの程度まで、冠詞を使って表し、それからallとかsomeとかいう言葉でも表すでしょう。それは日本語ではふつう言わない。「江戸時代の幾人かの侍が……」とか、「すべての侍は……」とは言わない。ただ「侍は……」と言う。冠詞がないのですから、わからないですね。これを、訳でどういうふうにしているか、というのはとてもおもしろいことだと思うのです。

丸山 いや、訳だけではなくて……。自分のことを言ってはおかしいけれど、大学紛争のときに、全共闘の学生が「学生は……」というから、「あんたの言う学生とは、誰のことですか」と聞いた。安田城に籠もっている人たちなのか、別の学部に籠もっている反対派なのか、それとも参加していないノンポリなのか、と。ちょっと意地の悪い挑発だけどさ、一般的にはそういうことですよ。

 それがさっきの「すべての」にも関係するんです。「日本国民の総意」という日本国憲法第一条の政府原案にも関係する。この言葉で、日本人民が自由に表明した意思が象徴天皇制の根源だ、という「原文」の趣旨を表したのは非常な狡知です。悪い意味で意識的操作だけどね。非常に強い言葉でしょう。なぜなら、ふつう言わないから。満場一致で賛成するというときだけ「総意により」とはいいますが、ぼくは「総意」を入れたのは「一億一心」思想の連続であって、新憲法の原則からすればインチキだと思うんだ。ただ❝the sovereign will of the people❞に天皇の象徴的地位は基づいているとあるのを、「主権の存する日本国民の総意に基づく」と訳したのは、意識的に日本語の盲点を突いたと思うのです。もし、読者が敏感なら、なんで「総意」というのかと突き返すと思うのです。そのところをあまり突かなかったのね、「一人か」「大勢か」「すべてか」という……

  中略

丸山 石田雄君が論文を書いています。中村正直の『自由之理』をJ・S・ミルのOn Liberty の原文とくらべた。「J・S・ミル『自由論』と中村敬宇および厳復」というタイトルで、その後「日本近代思想史における法と政治」に入ったけれども。そこにぼくの記憶ではたしか、「人民の総体」とあるのは、もとは「総体」という言葉がなく、訳で「総体」とくっつけたとか、「人民」と書いて、「人民」すなわち「政府」のことなり、とある例だとか、つまり「人民」と「政府」との混同など、いろいろなことを指摘しています。……

  中略

丸山 複数と単数の区別がない、ということで思い出したのは民権のことです。「自由民権運動」は日本ではふつうの言葉だけれども、西洋人は訳すのに苦労する。いまでは、freedom and people’s rights movementという訳語が定着してしまったけれども、最初は非常におかしく感じるらしい。つまり、people’s rightsというのはないんだね。rightはあくまで個人の権利で、民権という意味にはならない。

 そこに気がついたのは、またしても福沢なのです。民権とはいうけれど、人権と参政権とを混同している、と福沢はいうんだ。人権は個人の権利であって人民の権利ではない、だから国家権力が人権つまり個人の権利を侵してはいけない、人民が参政権を持つべきだということを民権というとき、そこには個人と一般人民の区別がない、と福沢は言った。その感覚はすごいね。集合概念としての人民の権利と、個々人のindividualな権利。

 翻訳の問題で困るのは、フランス民法を訳したとき、箕作麟祥だったかな、droit civil を民権と訳した。しかしそれは、財産権とかの民法上の私権のことなのです。自由民権論とは違う。同じdroit civil が、一方では、厳密な意味での人権と訳され、他方では、一般に通用するというのですべて民権にしてしまう。それも複数と単数の区別が日本語にないから。

加藤 人権というのは定着しないのでしょうね。

丸山 福沢は、民権論で国権論と妥協したというので、左翼から評判が悪いんだ。人民の権利については彼はややプラグマティックで、けっしてラディカルじゃないけれども、人権については晩年まで言い続けたのです、その言葉を使って。明治維新の初めから、こうした区別をしていた例は非常にすくない。

 むしろ、有名な明治十年代の「よしやシビルはまだ不自由でも、ポリチカルさえ自由なら」という流行り歌などは居直っている。civil rightはどうでもいい、politicalとは参政権のことですよ。こうなると、翼賛まで一歩なんだな。

加藤 民権は、参政権というものに束になってかかるというか、そんな感じでしょう。これは平等は排除しないんじゃないかな。

丸山 もちろん。しかし自由と民権をつなげるときには問題があるんです。ぼくらの学生時代には、消極的自由、つまり「からの自由」と、積極的自由、すなわち「への自由」とがあった。ヨーロッパでは社会保障などで「からの自由」が強かったから、だんだん「への自由」が強調されてきた。そしてワイマール憲法ができると、「財産権は義務をともなう」という有名な条文があったわけです。あれがフランス革命以来の私有財産絶対に対して、明白に保留をつけた最初の憲法の条文なのです。それがナチの共同体思想の主張と合った。……

  中略

加藤 ヨーロッパ政治思想においては、人権があるのだからだれでも自由で平等である、とつながっているのだけれど、日本では切れたんだね。人権のほうが自由につながって、民権のほうが平等につながったと。いわば自由から切り離された平等と、人権から切り離された民権ができたわけですね。しかし一種の平等主義は前からあった。

丸山 一君万民というね。主君だけは別だけれど、あとは万民平等なんだ、貴族であろうと平民であろうと。中国の古典でいうと普天率土、あれが平等なのです。「普天の下、王土に非ざる莫く、率土の浜、王臣に非ざる莫し」(『詩経』)。あれは一君万民です。翼賛会時代には天皇と人民の間に介在して妨げるものを幕府的存在というのが流行ったけど、天皇さえ除けば平等思想は非常にあった。

加藤 現在の憲法で人権と平等を強調していても、定着の度合いの強いのは平等で、伝統からいってもそうなんですね。アメリカが押し付けたのでなくても人権のほうははじめからないから(笑)。翼賛会運動の民主主義な装いといえば、ナチはまさにそうです。個人的自由はゼロに等しい。自由主義と民主主義のコンフリクトを劇的に示した。

 

丸山眞男加藤周一 『翻訳と日本の近代』岩波新書 pp84~93

 

 また、非常に長い引用になってしまいましたが、一番初めの加藤の示した3つの論点のうちの2番目と3番目、東洋人の分類の重なりに対する問題と日本人にとっての数的感覚と翻訳の問題について書かれた部分です。

 

 

 3番目の日本人にとっての数的感覚と翻訳の問題についてこれを読むと、私たちが普段なにげなく使用している数的表現が、いかに私たちの根源から表象したものであり、その感覚がどのように私たちに影響しているかよくわかります。この部分を現在の私たちに当てることは全くやぶさかではなくて、個人の権利としての自由を受け入れていない、いや受け入れることにどことなく後ろめたさを感じて、何か(誰か)に不自由にされることに対する違和感が薄くなっている感覚を自らが持っている不思議に合致して驚きます。

 そのうえ、平等に対する考えも一致してしまう。私たちはあらゆる人が平等であるにもかかわらず、自分が受ける不平等さに関して、それは仕方のないことだと思ったり、平等であるはずなのに理不尽だと思うことはあっても、これを権利がはく奪されていると思ったりはしない。そのことが及ぼす自らへの影響について、考えが及ばないところがあります。過労死の問題やヘイトの問題など、様々な場面に照らして考えてみると、平等とは個々の権利だという事への関心の低さが及ぼしている問題ではないかと思えます。このことだけが問題であるかと言えば、そうではないですが、ひとつ私たちに突き付けられている問題であると言えると思います。

 

 2番目の問題は、この前の部分にも詳しく書かれているのですが、日本人としてよりも東洋人としてあること、日本の大陸(中国)からの影響について書かれています。当たり前といえば当たり前で、西洋からの知識が入ってくる前は大陸から輸入した知識を基に儒学や歴史が学ばれた。そのことが私たちに与えた影響は計り知れなくて、あいまいさは日本人の専売特許のように言われていますが、東洋的だと指摘されればなるほどと思います。

 ただ、後の部分で西洋の思想が入り込んできたときの中国の対応と日本の対応の違いが書かれた箇所があります。

 

丸山 ぼくはむしろ、日本には世界観がなかったと思う。中国と対比するとわかります。中国の厳復以降の進化論の影響は、決定的かつ革命的です。ハックスレーの『進化と倫理』Evolution and Ethicsを『天演論』と訳したでしょう。天が動くというのは驚くべきことなのです。中国の天の信仰といったら、昔からすごいからね。神様と同じで、永遠不動であって絶対の実存でしょう。それが動く以上、万物のすべては相対的である。厳復自身は易で説明しているのですが、朱子学以降は「太極」とか、「理」とかの究極実在―アリストテレスの純粋形相みたいなやつが「理」ですね―、万物の基で、動くものの背景に絶対不動の動かないものを置く。だから、「すべてが動くのだ」という厳復の紹介は、中国の知識人にとって、何千年の中国古典哲学を揺るがす事件なのです。日本は、日本儒教自身が「理」の契機が弱くて「気」の哲学になるし、万物流転のほうの考えも昔からあるので、永遠の実在にそうこだわらない。

加藤 そうそう、口だけね。

丸山 日本では、自然科学は何かのイデオロギーの補強の役割を演じた。実際、進化論は社会有機体説と結びついて、国体論の基礎づけになる。明治社会主義者も進化論だけれども、伝統的な考え方を革命するインパクトはなかったのではないか。

 ぼくは昔、「福沢に於ける「実学」の転回」という論文で書いたのですが、福沢は数学的物理学、つまりニュートンの力学体系を絶対に東洋になくて西洋にあるものとみて、これを西洋の学問の基礎にすえた。彼は「数理学」と言っています。いわゆる「実学」というのは江戸時代はたくさんあった。しかし、抽象的な数学的物理学の上に立った「実学」ではなく、日常生活の役に立つという意味での「実学」を出なかった。もっとも抽象的な「理」の上にヨーロッパ文明は築かれている、そういう実学概念を彼は最後まで展開している。だから幕末でいえば、いわゆる「物理」と「道理」の区別を重視した。伝統学問にはない社会や人間関係の客観的探究という考え方は数学的物理学からきているけど、ちっとも根づいていない。やっぱり道理の優越、修身の優越です。彼があんなに儒教を嫌がったのはそこなのですね。

加藤 存在の法則と道理とを混同したわけだ。

丸山 そう、東洋哲学は全部そう。「道」という言葉が全部そうだしね。「道」には両方混ざっている。「行くべき道」という「当為」と、客観的「法則」という意味と、両方ありますから。だから、福沢がさかんに「実学」を説いているといっても、抽象的思考の重要性もつねに説いているということです。

加藤 抽象的思考の役割を、福沢はどこで強調しているのですか。

丸山 初期から最後の『福翁百話』まで、日用から離れた「空理空論」の意味も強調している点は一貫して変わらないですね。それと卑俗な実用主義との区別です。ともかく、17世紀以来の自然科学の方法が西洋文明の秘密だということを見抜いた。

加藤 大変な明察ですね。

丸山 だけど、一般にはさっき言ったとおり、むしろ進化論についていうならば、少なくとも知識人に限っても、世界観的に思想の革命を起こしたのは中国だと思うな。

 

 同上 pp156~159

 

 これはあくまでも哲学的なインパクトの問題で、この後の物理学での日本人の活躍などを見ても学問への影響という点においては当てはまらない部分も多いと思いますが、湯川秀樹と梅棹忠雄の『人間にとって科学とは何か』などを読んでみると、日本人として科学的思考に入り込む楽さと難しさが書かれていて、比較すると面白いと思います。(機会があれば後程また別の記事で比較の文章を載せたいと思います。)

  中国でどのような思想的変化が起こったかは歴史に聞けば明らかですが、厳復の『天演論』が一世を風靡したほどの変化を受け止める土壌があったこと、それからいろいろな状況によってそれを受け止めきれずに現れた現実に学ぶことは多いと思います。

 

 

 翻訳文化は必ずしも独創を排除しない。徳川時代の文化の独創性は、「読み下し漢文」に依るところ少い浄瑠璃俳諧ばかりでなく、漢文の概念を駆使しての、儒者の思想的な仕事にもある。日本の学者は必ずしも同時代の中国の学者の後を追ったのではなかった。明治以降の文化についても、少なくともある程度までは、同じことが言えるであろう。

 翻訳文化はまたその国の文化的自立を脅かすものではない。むしろ逆に文化的自立を強化する面を含む。翻訳は外国の概念や思想の単なる受容ではなく、幸いにして、また不幸にして、常に外来文化の自国の伝統による変容だからである。外来の思想は、必ずしも知識層と大衆との間の溝を、長期にわたって拡げるようには作用しない。そのことを明治初期の翻訳者たちは―少なくともその一部は―あきらかに意識していた。もし文化的創造や改革的な思想が、知識人と大衆との深い接触を通じて成り立つものとすれば、翻訳文化は創造力を刺戟しても抑えはしないはずである。

 しかし外国語から日本語への翻訳は、その外国が中国であっても、西洋諸国であっても、常に文化の「一方通行」の手段であった。異文化間の接触が「両面通行」であり得るためには、日本語から外国語への逆翻訳が同時に行われるか、複数の文化に共通の言語、lingua franca がなければならない。逆翻訳は、江戸時代においても、明治以降近代においても、きわめて稀な例外でしかなかった。lingua franca(または国際語)は、中世のヨーロッパには存在したが、十九世紀から二〇世紀の前半にかけての世界には存在しなかった。かくして文化的「一方通行」は、鎖国の日本ばかりでなく、近代日本をも特徴づけることになったのである。

 文化の「一方通行」は、国際社会における孤立を意味する。その孤立を破り、国際社会において自己を主張するために、近代日本が採った手段は、まず軍事力であり、軍事力による自己主張の失敗の後には、経済力であった。しかし円滑なコンミュニケイションを伴わない経済力による自己主張には限界があり、円滑なコンミュニケイションは、文化的孤立の条件のもとでは成り立たない。

 現在の状況は、もちろん明治初期のそれとは大いに異なる。今ここでその詳細に立ち入ることはできないが、その一つは国際語としての英語の圧倒的な力である。二つの地域語としての英語と日本語の関係と、国際語=英語と地域語=日本語との関係はちがう。今日の日本は、明治初期の日本が解こうとした問題―翻訳と文化的自立、翻訳文化の「一方通行」と国際コンミュニケイションの要請というような問題を、異なる条件のもとで説かざるをえない、ということになろう。

 明治の翻訳主義の検討は、今日の視点からこそ殊に大きな意味をもつだろうと思われる。

 

  同上 加藤周一によるあとがき pp187~188

 

 このあとがきの部分を読まれて思うところがない方はおそらくいないと思います。1998年に書かれたこの文章は、現在置かれている日本の状況を言い当て私たちをおののかせる力があります。

 私は先日、海外の日本研究の場がどんどんと縮小されている話題を読んだばかりです。それは、日本という国に魅力がなくなったというよりは、日本の文化が「一方通行」の域を出なかった結果ではないでしょうか。今はこの文章が書かれた当時よりもはるかに英語を理解できる人が増えたと言えるだろうし、SNSの発達などによりコミュニケーション手段も格段に進歩しているはずです。

 それでもなお、文化の「一方通行」が私たちをむしばむ気配がするのは、私たちが閉鎖的であっても大丈夫という意識をどこかで持ち続けていて、そのことに別段問題意識を感じていないからではないかという気がします。この閉鎖的というのは、文化を輸出することに懐疑的だというのではなくて、私たちの心情として「両面通行」を受け入れない何かがあるのだろうということです。

 しかし、このことが問題として表象しているのは日本だけではなくて、いまや世界に広がっていることに不安を隠せません。世界的な文化の「一方通行」を押しとどめる方法を早急に見つけ出すことが、日本にとっても世界にとってもとても重要なことに思えます。

 

 この文章の刊行に間に合わずに亡くなった丸山眞男氏や、一人で世に出すことになった加藤周一氏の思いと功績に感謝して、ここにこの文書を載せたことで少しでも二人の思いが誰かに通じるきっかけになれたらうれしいです。