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内省するサイコパスと夢の儚さについて

霜草蒼蒼蟲切切

村南村北行人絶

独出門前望野田

月明蕎麦花如雪

 

村夜 白居易

 

サイコパスと内省するサイコパス

  自分はサイコパスという人の話を今日は二度聞きました。

 

  私はふーんと考えながら、サイコパスには夢があるんだなぁと思っていました。

 

  国会はまさに自分の言うことこそ真実だと疑わないサイコパス達の巣窟で、昨日言ったこととは反対のことを言っているのに、その真実性を滔々と訴えていました。アメリカではそれを大統領補佐官によって〈オルタナティブ・ファクト〉と定義されたらしい。穴埋めする事実で私たちは本当のことを目隠しされようとしている。意識は理論に遠ざけられて真実は捻じ曲げられていく。もちろんアメリカではそんなことは許されない。日本では?

 

   そもそも真実の穴埋めは歴史によってなされていました。それが正しいか正しくないかが書き換えられることなど、どの時代にもあったことで、我が国を神の国だとする『古事記』がその代表格だといえます。私たちが遠い大陸から渡り着いた何種類もの人種による混血の集団であるという事実と、神の作りたもうた国の神の子だという〈オルタナティブ・ファクト〉は、私たちの血に既に両立する真実として刻印されていて、日の丸を見るたびに固有民族の固有国家というイメージを私たちに印象付けます。

  私は、そのこと自体に嫌悪感を持つほどの正義感は持ち合わせてはいませんが、事実と〈オルタナティブ・ファクト〉の両方を受け入れている自分は感じます。そして、そのことに対して別段危険は感じません。なぜならそれは、日本という国家に積み重ねられた歴史上の真実だと認識できるからです。そして、真実などというものは個人の思い込みで、事実とは異なるということを知っているからです。

 

  このことが皆に把握されている限り、そう危険はないはずだというのは私の思い込みで、実は〈オルタナティブ・ファクト〉だけが真実だと説く独裁者が現れ、そしてそれが一度皆の心理に受け入れられれば、生命の危険を回避できない経験を繰り返すという罪。その罪に自国が突進していくとは、よもや起こるまいと思っていたので最近の出来事は思いもよらぬことでした。まさに光の矢が自分に降ってきた感じも否めません。

 そしてそういうことこそが、サイコパスの罪だと私は思います。

 

 ヒットラーが自分の犯した罪について深く恐怖を抱いていたか知ることは、自害して果てた彼に聞くことはできないので無理ですが、いま日本でその事実を目にする限り、そんな恐怖を抱く者はいないように思います。むしろ恐怖を抱いているのは、戦争という体験を通して死を間近に感じた人達であろうかと思いますが、愛国心とは恐ろしいもので、人殺しをしても恐怖しない人を作ってしまう。そんな人達もサイコパスなのだろうなぁと思います。

 

 この人たちに内省する行動を強いることはできません。なぜならサイコパスだから。

 私が今日話を聞いた二人のサイコパスと自称するサイコパスは内省するタイプのサイコパスで、なるほどサイコパスには、というよりサイコパスという語には、夢があるのだなぁと感じました。

 

内省するサイコパスの儚い夢

  私の今日出会った内省するサイコパスには、共通の夢がありました。それは、「自分は異常者だから正常には成れない」という夢です。これのなにが夢かとお思いになる方もいらっしゃるかと思いますが、〈常に正常であること〉は通常かなり難しく、ふつうこの境地に達したいと思うなら出家するしかないよねというのが私の考えです。出家とは私の認識だと、この世から縁を切るということです。この世と縁を切るというのは、死ぬということでは決してなくて、世俗を離れるということです。

 

 人が世俗で正常であり続けるためには、普通は日常で受けた傷を癒す場が必要であり、それが家庭であるのが一般的とされてきたので、何かのサークルであったり、SNS内の別人格であったり、ゲーム内の別人格であったりすることで少し混乱は起きている気はしますが、人はその(まあ異常が許される)場をもってやっと正常が保たれるのです。だから、「自分は異常者だから正常には成れない」夢は夢であって、異常者になって夢が叶うならそれもありかなぁと思わせました。 

 

 私はこんな性格なのでサイコパスになる夢は持てなくて、今は隠遁の身でありますが、それでも家庭の私であったり、ツイッターの私であったり、勉強する私であったり、ブログを書く私であったりして私をやっと保っていけていて、そのために家族や私に手を貸してくださる方がいる世界と、たった一人ぼっちの私である世界の二つの必要性は感じています。

 

 内省するサイコパスたちもそのことは重々承知しているようで、それじゃあどこが異常なんだよということになると、まあ、サイコパスに夢を持つ異常なんだよってことですよね。それがいいのか悪いのかは人によって判断されにくいと思いますが、それが病的だと言えばそうだし、いや、今は一般論として普及しているのじゃないかという人もあるかもしれません。私はどんな夢でも夢を持つのは悪いことじゃないし、それで本人が救われてたり落ち込んでたりするのを楽しく拝見させていただいている方の性格異常者ですw

 

 ということで、あー今日も遅くまでこんなことをしてしまった。でもブログ読んでねって思っていますw(ちなみに4時だぁ)

 

 冒頭の白居易の詩はお気に入りなので載せただけで別段内容とは関係はございません。ツイッターにも載せましたが、今日ふと口に出て、本当に韻の美しさって偉大だなぁと思ったので載せました。読み仮名は振ってないのですが、興味のある方はぜひググって読んでみてください。秋の詩で季節外れですが、グッときますよ!

そうそうそうそう、むしせつせつ(うわ、ブルル)