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エウレカセブンAOと今のゆくえ

 エウレカセブンAOも少しずつ物語が進んでいっていろいろ感じてくるところも多くなってきました。

 とにかく神話の世界からお話をぐっと現在に引き付けて、今の問題に食い込ませていったところに賛否両論出てくると思います。とりあえず、エウレカセブンでの敵は未来少年コナンでいうところのインダストリアのような国家で、支配という明確な目的を持って存在していたこと。対してAOの場合は国家=権力という形に反旗を掲げたものの、中国と日本という国家=(軍事)力に挟まれ、連合軍と言う名のアメリカからの圧力をかけられ、トラパー輸出という産業しか持てないオキナワの自由と精神とはという、何だか初めからすごく難しいテーマを持って、敵の見えない戦いから始まっているところが今を象徴しているように思います。

 そして、〈自然〉=力の象徴であるコーラリアンエウレカセブンのどこかユーモラスな異生物の群衆であるコーラリアンと巨大で一つの兵器のようなコーラリアン。この二つの違いはとても大きいように思います。〈自然〉=力の脅威を表現しようとするときに、生物的であり私たちに接触しながら私たちを侵すものから、機械的であり私たちに触れもせずにただ破壊するのものに代わったこと。これには震災、そして原発事故の影響を考えずにはいられません。
 そしてコーラリアンとの戦うニルヴァーシュもまた私には兵器にしか見えず、それを操るアオもまた少年兵に見えてしまうのです。

 今を象徴すること。ここには芸術の大切な役割があります。そういう意味で、ここまでのエウレカセブンAOは現代芸術的な様相を呈していると感じますし、その点では成功しているように思います。
 さて、エウレカセブンの評価されるべきは、どうやって自然の持つ神秘性や私たちに必要な精神的な統一性を物語に持ってこられるかです。
 人型コーラリアンであるアオが、人間と自然との懸け橋としてどうやって活躍できるのか。それはひとえにそこにかかっていると思います。そして、その時ナルはどうするのか。レントンとナルの違うところは、ナルが女性であり、より自然と近しい関係にあるところです。悩むよりも信じる。しかし同時にナルは死に近い存在に設定してあります。自然に近い=死に近いというのもよくできた設定であると私は評価しているところです。ひとつ越してしまえばそこには死がある。そういう環境でこそ人は自然に人として生きることができるのだろうと思うからです。

 まだまだ5回。これからが楽しみです!