赤ちゃんと私

 昨日仕事中9月に生まれたばかりの赤ちゃんを抱く機会がありました。そんなに小さな赤ちゃんを抱くのは本当に久しぶり。

 赤ちゃんはすぐに私がお母さんじゃないことを見破って訝しい顔をしました。「ごめんね。ちょっとだけ代わったよ。」と言うと私の顔をじっと見てまあいいかという顔。しばらくするとぐずぐず。そうかぁ、ぐずってたからお母さんがずっと抱いていたんだった。
 そうして、私の胸のあたりに顔を向けるとくんくんしてお口をんぐんぐ。「そうか!お腹がすいてるんだね。ごめんね。もう少し我慢してね。」少しだけ我慢してくれたものの、もう結構待たされているみたいで、ふんふんと今にも泣き出しそう。体をゆさゆさしてごまかす。
 そうこうしているうちに私も動かなくてはならずお母さんに赤ちゃんをお返しする。その間10分くらい。

 このほんの10分の間私はどれくらい赤ちゃんと会話しただろう。もちろん口のきけない人ですから、しゃべってるのは私一人。でも確かに赤ちゃんの声は聞こえるのです。私はそれに反応して答え、赤ちゃんはまたそれに答えて反応する。
 私にとっては懐かしい作業ですが、この濃密な関係の中で彼女の中にいったい何が生まれているのか、そんなことを考えていたのでとてもとても楽しい時間でした。

 言葉は自然に出てきました。でも彼女の言葉は言葉ではありません。その上彼女が身振り手振りで説明するわけでもないのです。わずかな動きと視線。泣き声。そして、触れる体。五感と五感で会話するのです。

 彼女はただ、生きるための要求を私にしてきます。私は彼女の要求になるべく副った行動をし彼女の満足を得ようと試みます。でもそれは単純に彼女を生かすためではなく、彼女を育てるため。彼女にできることが私にはこれだけあるよと提案している行動でもあるのです。
 彼女は自分の満足を計ります。そうしてこれは心地よい、これは心地よくないと選択します。

 このコミュニケーションの中で私の中は空想だらけです。でもそれはまんざら間違っていないようです。彼女の満足そうな様子でそれがわかります。

 昨日私が一番空想した瞬間はこの時だったろうと思います。本を読んだりゲームをしたり、映像を見たりもしましたが、この時が一番でした。
 それはなぜでしょう。
 赤ちゃんはお母さんの空想で育っているかしらとちょっと微笑んでしまいました。