「羽生結弦」をめぐるあれこれ

1.詩とイメージ リンクに2か月間も立てなくなるほどの怪我を背負いながら、負傷後わずか4か月後の平昌オリンピックで見事金メダルを獲得した羽生結弦選手。世界中が固唾を飲んで見守る中での演技はまさに驚異的な鉄人としての彼を感じさせましたが、フリープ…

死者に手向ける花の話 (ブレードランナーとホライゾン 番外編)

手向けられた花 ホライゾン・ゼロドーンにはいくつかの収集アイテムがあるのですが、その中の一つに〈鉄の花〉というのがあります。鉄の花は機械が異常行動をし始めた頃から各所に見られるようになった文字通り鉄でできた一輪の大きな美しい花です。なぜか三…

ブレードランナーとホライゾン❷  ― 科学と精神の分離について ―

ホライゾン ゼロ・ドーンは狩場クエストクリアを諦めたので、その他のクエストは二月の頭には終了することができました。後半のストーリー展開はいよいよアーロイの出生の秘密に迫るものでしたし、様々な冒険を続け心ならずも英雄となってしまったアーロイの…

2018年の抱負  ― ルールとディシプリン ―

あけましておめでとうございます。 いつもきていただいてありがとうございます。昨年は実はインプットを多めにしたせいで考え込んでしまうことも多くなってしまい、なかなかブログ更新できない中、こんな内容のブログなのにたくさんの方に見に来ていただけて…

ブレードランナーとホライゾン❶ ― 情緒と生きやすさの問題 ― 

先日ツイッターでホライゾン・ゼロドーンのことを少しつぶやきました。 ダウンロードコンテンツ「凍てついた大地」の作中で、自分のことを神と崇める(可能性がある)人々に対して、人工知能であるシアンが彼らに自分の本当のことを言えないために不安感と違…

恋愛の業と芸術性について  ― 北畠八穂(と深田久弥)のお話❷ ―

生きるものとして存在すれば様々な環境下に晒されるのはやむを得ないことで、その晒され方によって私たち=自己の中に生まれる感情や精神の状態あるいはそれによって起こされる行動を人間性と呼ぶならば、私たちはそれとどのように付き合っていくべきでしょ…

『フクロウの声が聞こえる』 いつかがいつか❷

まだ『フクロウの声が聞こえる』を聞いていらっしゃらない方のためにあまり突っ込んだ書き方をしないほうがいいかなという思いもあったのですが、思いのほか読んでくださっている方が多くて、申し訳なかったです。 前回書かせていただいたものが「感想を聞か…

『フクロウの声が聞こえる』 いつかがいつか

皆さんお待ちかねの小沢健二さんの今年二回目の曲のリリースがありましたね。『フクロウの声が聞こえる』自体は去年からコンサートなどで歌われていたらしいのですが、今回リリースされたものはSEKAI NO OWARIとのコラボでとても賑やかで力強い…

恋愛の業と芸術性について  ― 北畠八穂(と深田久弥)のお話 ―

ひどい痛みの中から、私のみつけたものは、わが身がしみじみ生きているということだ。健康な時は、あるとは知らずつかっていた足が、確かに在るとはっきりしたことだ。生きている以上、足が在る以上、どんなに痛くとも、これからどうなってゆくかと、未来を…

恐怖の増幅器としての私と恐怖を忘却する私

恐怖は危険から回避するために備わったとても原始的でかつ貴重な感情です。しかし、人間は見通しを立てて生きるという、一見安全を確保するための最良の方法を選択しているようでいて、その実常に恐怖と向かい合わなくてはならないという危険を自らの内に抱…

『鏡のなかの鏡』 ―生存の意味と存在について―

先日ブログで読みますとご紹介したエンデの『鏡のなかの鏡』、3回読んで最終的には30あるお話の一つ一つの要約やキーワードを書き出して、やっと自分なりに自分のものにできたかもしれないと感じています。 まず、私はここではこの本をエンデが自身の中にあ…

『静寂 ―ある殺人者の記録』感想文 死と円環する生について 【ネタバレ注意】

【はじめに】 今回のブログ記事は、トーマス・ラープ著/酒寄進一訳『静寂 ―ある殺人者の記録』の読者モニターとしてゲラを読ませて頂き、東京創元社様に提出した原稿を一部変更したものを掲載させていただきます。 多大なネタバレ要素を含みますので、これ…

番外編 エンデ『AだからBという関係性を超えて』ブログの向こう側 ―いぶりぃさんに質問!―(3)

いつもブログを見に来ていただいてありがとうございます。 前々回の続きを掲載させていただきます。 いぶりぃさん④ お返事ありがとうございます。 バスチアンが読んでいる『はてしない物語』のファンタージエンが虚無に飲まれたとしても、ファンタージエンが…

ミュシャ展【6月5日まで】閉設の前に

《スラブ叙事詩》のプロジェクトが―非常に実り豊かで、多くの点で驚くべきものであったとしてもー当時、(選択的ではあったが)国際的な情報に通じていたチェコの芸術界にさほど大きな熱狂をもたらさなかったのは意外なことではない。ムハが雄偉を誇った時代…

番外編 エンデ『AだからBという関係性を超えて』ブログの向こう側 ―いぶりぃさんに質問!―(2)

前回の続きになります。 Ponkichi②続き さて、いぶさんのご指摘のあったアトレーユが命の水を飲むことで愛を知ったことについてですが、アトレーユとフッフールは眠っている間に泉に連れて来られた。冒険を続けてもバスチアンがファンタージエンに来ないかも…

番外編 エンデ『AだからBという関係性を超えて』ブログの向こう側 ―いぶりぃさんに質問!―(1)

先日アップさせていただきましたエンデの著作を通じてエンデを知ろうとする試みですが、ブログにも書かせていただいた通り、元はいぶりぃさん(@iwri)の読書会でのお話からヒントを得、その後もいぶりぃさんにお話を伺ったり質問させて頂いたりして文章を書…

AだからBという関係性を超えて ―エンデの愛について―

「遠い、遠い昔のこと、」と花咲くおばさまははなしはじめた。「わたしたちの国の女王幼ごころの君は、重いご病気で、もう死にかけていらっしゃいました。女王さまには新しいお名前が必要で、それをさしあげることができるのは人間世界のものだけだったのに…

『翻訳と日本の近代』 未来の思考の足掛かりとして

前の記事の最後に丸山眞男・加藤周一著『翻訳と日本の近代』を足掛かりに翻訳について書いていきますと書いたのはいいものの、この本は実は非常に考えさせる箇所が多くて、どこを引用したらよいかもテーマによってだいぶ変わってきてしまうように思えるので…

アーレント『人間の条件』と『活動的生』について

Das Wort „öffentlich“ bezeichnet zwei eng miteinander verbundene, aber doch keineswegs identische Phänomene: Es bedeutet erstens, daß alles, was vor der Allgemeinheit erscheint, für jedermann sichtbar und hörbar ist, wodurch ihm die größtm…

「彼らが本気で編むときは、」感想文 ― トランスジェンダーと母性 ―

「追い出して」と、サラはアブラハムに近づきながら声をはりあげた、「あの奴隷と子どもを追い出してください」 アブラハムは妻のほうをむいた。 彼女は夫の返事も待たず、しゃべりつづけながらやってきた。「あのエジプト人の荒々しいけもののような子が、…

『騎士団長殺し』の考察 ― 二重思考と二重メタファーについての考察 追加 ―

人生は意図せずに始められてしまった実験旅行である。 フェルナンド・ペソア 『断章』107 二重思考と二重メタファーについて、先の文章では少し誤魔化していた部分があるので、ここで追加させていただきます。それは、二重メタファーは自身の中にあるもので…

『騎士団長殺し』の考察 ― 3. 二重メタファーと本当の悪である男のこと ―

詩人はふりをするものだ そのふりは完璧すぎて ほんとうに感じている 苦痛のふりまでしてしまう フェルナンド・ペソア 『断章』 1 二重メタファーについて …心 が〈 二重 思考〉 の 迷宮 へと さまよい こん で いく。 知っ て い て、 かつ 知ら ない で い…

内省するサイコパスと夢の儚さについて

霜草蒼蒼蟲切切 村南村北行人絶 独出門前望野田 月明蕎麦花如雪 村夜 白居易 サイコパスと内省するサイコパス 自分はサイコパスという人の話を今日は二度聞きました。 私はふーんと考えながら、サイコパスには夢があるんだなぁと思っていました。 国会はまさ…

『騎士団長殺し』の考察 ― 2.メタファーについて(2)芸術と存在 ―

いまの私は、まちがった私で、なるべき私にならなかったのだ。 まとった衣装がまちがっていたのだ。 別人とまちがわれたのに、否定しなかったので、自分を見失ったのだ。 後になって仮面をはずそうとしたが、そのときにはもう顔にはりついていた。 フェルナ…

『騎士団長殺し』の考察 ― 2.メタファーについて(1)『ねじまき鳥クロニクル』との比較―

人為的なもの、それは自然なものに近づくための道である。 フェルナンド・ペソア 『断章』16 村上春樹と暗くて深い穴について 村上春樹の本が好きなひとにとって『ねじまき鳥クロニクル』はおそらく特別な一冊になっていることと思います。私も、彼の本は勧…

『騎士団長殺し』の考察 ― 1.イデアについて ―

イデアとは何だったのか 『騎士団長殺し』の一番難解なところは、騎士団長であるところのイデアとはいったい何者なのかということに尽きると私は思っています。「私は(私の)イデアだ」というときのイデアだったとしたら、「私は私たらしめるもの自身だ」と…

小沢健二の新曲と新聞広告の幸福感について

小沢健二世代 小沢健二といえば、私の世代の人たちは大好きで、東大でバブリーで、ポップで、この上なく愛し愛された人というイメージで、時代の移り変わりにうんざりして、作詞もしなくなって、そうして日本を飛び出してしまったという感覚だったが、このた…

恋愛と結婚の愛について   ― リルケと「君の名は。」と「逃げ恋」と ―

あれは私の窓。私は今ちょうど うっとりと目がさめたところだ。 なんだか漂っているみたいだった。 どこまでがこのわたしの生身で、 どこからが夜なのだろう。 まわりのものはまだみんな 私自身みたいな気がする。 水晶の奥深くのように透明で、 ほの暗く、…

心はどこへいくのか

このところ何だか心に穴が開いてしまっているようだなぁと感じることがあります。感情がすぅーっとそこから漏れだして、自分の中に残るはずだった何かが遠くへ流れ出てしまっているような、そんな感じです。 ここにあるたくさんのものに囲まれて生活する私は…

「秋の底が抜ける」ことについて ―私と物質と二種類の想像力―

1 大森荘蔵の自然感 先日ツイッターで、今年は秋の話題をあまり聞かないという話をしたら、satoruさんがお知り合いの僧侶のかたが「秋の底が抜け始めましたなぁ」とお話しされていたという話題を教えてくださって、それはどういうことなのか考えたら、わりと…