『フクロウの声が聞こえる』 いつかがいつか

 皆さんお待ちかねの小沢健二さんの今年二回目の曲のリリースがありましたね。『フクロウの声が聞こえる』自体は去年からコンサートなどで歌われていたらしいのですが、今回リリースされたものはSEKAI NO OWARIとのコラボでとても賑やかで力強い曲になっています。

 曲の聞きどころや楽しみ方などはもうYouTubeにご本人たちが披露なさっているので特に言えることもないのだけれど、何も持っていないはずの「子ども」だけが持っているエネルギーが大人の私たちにさえ見せる魔法のような力と、それにさらに媚薬のような力を与える夜の森のざわつきが、夢と現実の狭間のような空間に浮かび上がる世界を作り出すさまが、美しく元気に表現されていると思います。

 私にとってこのような体験ができる作品に出合ったのは初めてではなくてJane Yolenさんによる絵本『OWL MOON』(邦題『月夜のみみずく』)を読んだときに得た静かなイマジネーションから、静けさと神々の音と星の声を引いて、明るさと混沌と神々の声を足したような感じでした。

 神々の音とは静けさと同じようなのですが、分かりやすく言うと静かな夜に聞こえるしーんという音のことです。あのしーんの中に聞いている音が本当にあるんだよっていうのは以前何かのテレビの番組で見たことがあるのですが、頭の中では聞き覚えのないその音に人は勝手に恐怖や美しさを感じて戦慄するものですよね。今回の曲はそうではなくて、それは神々の声になってたくさんの囁きを耳元に放って、それを聞き分けてくらくらと酔っているような印象をうけました。同じ恐怖や美しさでもなんだか色付けされてカーニヴァルのようにやってくるようで、その大きさによってだいぶ印象が変わるものなのだなというのが私がこの曲に持った大きな感想になります。だからなんだか混沌として、でもずいぶんと感情は豊かに揺さぶられて、子どもって本当はこっちの方を聞いているのかもしれないとも思いました。ひょっとしたら時代が変えるものもあるのかもしれない。(小沢さんのテンションの問題なのかもしれないw)

 時代といえば、『フクロウの声が聞こえる』もそうなのですが、最近聞いた曲、LUCKY TAPESの『シェリー』だとかPerfumeの『If you wanna』だとかみんな〈いつか〉の音楽だと感じています。〈いつか○○できたら〉とか〈もし○○だったら〉。最近に限らず、希望を曲にするというのはよくあることだとは思います。しかし、勝手な思い込みかもしれませんが、それがなんだか最近は大きな願望みたいにどんどん膨れ上がって、なんだか破裂しそうな勢いで、うまく消化できていないように感じられて少し怖いです。

 「子どもにとっては子どもである今がすべてで、私や君にとっても今はとてもとても大切で、夢は今を生きるための糧にはなるのだけれど、今を生きる実感からはどんどんと遠のかせてしまうんだよ。」なぁんて声が聞こえたりするのです。

 いつかがいつか。それは私にとっての約束事で、儚いものではなくて、目の前にあるいつかをこのやろうと手を伸ばしてぶんどってやろうとするようなものなら、いつかもいいかと思ったりはします。

 

 

Owl Moon

Owl Moon

 

 

 

 お友達に感想をと言われたのでサクサクっと書いたものになります。今回のことで気になって前は図書館で借りて読んだ『OWL MOON』を取り寄せてみました。絵本は素敵ですよね。小沢健二さんの詩も素敵なので対比したりできたらおもしろいかなと思っています。

 

 北畠八穂さんの続きはもう少々お持ちください(m(__)m)

 

恋愛の業と芸術性について  ― 北畠八穂(と深田久弥)のお話 ―

 ひどい痛みの中から、私のみつけたものは、わが身がしみじみ生きているということだ。健康な時は、あるとは知らずつかっていた足が、確かに在るとはっきりしたことだ。生きている以上、足が在る以上、どんなに痛くとも、これからどうなってゆくかと、未来を持てる探検欲を出せることだ。もっとはげしく、どんな風に痛むか、もし、死の中へ入ってゆくとしたら、それはまたいっそうどんなことか、まるきり興味なくもない。しかし、痛いのがいやだから、死にたいとは恐らく思ったことがない様だ。死をくぐりぬけても生きるつもりで、痛んでいる様だ。だから、テレて、笑ってしまったりするのだろう。

 死にたいと思うのは、うれいにたえきれなくなった時だ。このたえきれないうれいを一切なくしてしまいたいあまり、死という健康な方法を選むと思う位だ。痛んで身のおき所がない時は、おきどころのない身が次にはどういうおき所にどうしてあるかと、テレたりしてまで、興味がもてた私も、全く生きることにあいそがつきたためしが二度ある。そういう時間の切なさは、この世のうれいがすきまなくせめよせて、わが身を命から追いだそうとしているのを、ひしひしと痛まねばならないあえぎだ。私は、その時、いつしらず、にげ場をみつけていた。空にただよう雲をみつめることだ。この世に居場所のない私は、雲にのっていた。雲にいるうちの私の思いは安らいだ。雲に静養した私は、次第にすこやかな目をとりかした。その目でみたうれいは、すでにぬぎすて様としているシナビかけたカラであった。私は弱弱しいが、再び生まれなおした瑞瑞しさであった。うれいに冬ごもりしたのを、この瑞瑞しさを得るために、よかったと思うたくましさも出来た。それから私は、雲を古綿のなつかしさでみる。

 終日雲をみるまもなくすぎた夕方、ほんのひとすくいの雲に、夕映えがいまうすれようとするのをみつめて、神は無いと思われる程大いに健康な事実をみつけている病人だ。

 

  北畠八穂 『津軽野の雪』 朝日新聞社 pp120~121

  先日、作品の美しさを評するあまり作家の業を忘れてはいけないというようなツイートがタイムラインに流れてきて、普通はもっと有名な谷崎潤一郎太宰治なんかの作家が思い浮かんだり、残酷だけれどロマンチックな話を思い浮かべたりするものなのかもしれないけれど、私は真っ先に百名山で有名になった深田久弥と、その前妻で作家の北畠八穂のことが思い浮かびました。

 二人が亡くなって久しくなった今では、深田久弥は後妻の志げ子と仲睦ましい様子で登山するフィルムなどが百名山の特集等で見られることが多く、彼が有名になることになった文学作品が実は八穂の手によるもので、それは様々な方面から憶測されていたものの、久弥の不義により八穂の口からも洩れることになり、文壇を追われることになったということはあまり世間では取り上げられ無くなっているように思います。

 

 こちらには結婚の経緯もよく書かれています。

 

 八穂は幼い頃より病んでいることが多く、末娘であり病気がちということで津軽の実家ではとても大切に育てられました。特に幼少期の祖父母から得た愛情と津軽の自然が、生命の逞しさや自然への慈しみ、愛情によって人が育くみ・育くまれていくものなどについて、彼女の作品の根本に深く息づいて生き生きとした表現を作り上げています。

 とにかく、とても素直な人です。

 

 しかし、中には八穂のそのまっすぐな素直さが、時として大変残酷に見える作品もあります。まるで子どもの目から大人の世界を見、生活の苦しみを超越した美を賛美するあまりに、その片側にある苦々しい思いなど消し飛ばしてしまうような明るさが、その日陰にある人の痛みに辛く当たっているように思えるのです。

 きっとそういうことが、生活に貧窮したとはいえ、久弥に自分の作品を提供してこれを使えばいいといった気持ちに繋がったのだと思うし、それまで幾日も自問自答を続けただろうと思われる久弥の思いに到達できなかった理由だと思います。

 無論、久弥の裏切りは許されるべきものではないし、八穂の作品を自分の作品だとして発表してしまった弱さが一番の罪であることは間違いありません。

 それは、人間としての正しさから遠く離れた、自分勝手でわがままな存在意義を求めた結果であり、そういう人が他方有名人であり続けられることに憤慨する気持ちももちろんあります。それほどのことをしたのなら、せめて山に逃げた記録ではなくて、その業そのものを文学作品に生かすくらいの強い人ならばよかったのにとも思います。

 

 そんなことを考えていた矢先に、夢を見ました。

 私は夫に裏切られ、先方には既に子どもがありました。

 どうしようもなく悲しい気持ちで、なぜそんな仕打ちをしたのか相手を責めました。

 そして、私が発した言葉は

 「どうして、どうしてもっと早く言ってくれなかったの?」

 というものでした。

 

 早く言ったところで裏切りは裏切りなのですが、きっとそんなになる前に言ってくれたら、もっとすっきりさよならできたように思うのです。恋愛感情の縺れなどどうしようもないとあきらめもつくように思うのです。相手の不義を許せない気持ちはもちろんありますが、女性にとって、ましてや母親になれないであろう体の八穂にとって、相手に子どもがあったことがどれほどの悲しみをもたらしたか、その時初めて思い知らされました。

 それは、未来に対する悲しみなのです。自分の決して手に入れられない未来に直面させられた希望の人が、いったいどうなったのだろう。

 私は泣いていました。こんなに残酷なことはあってはならないと思いました。そして久弥を恨みました。世界を恨みました。

 

 私はこんなふうに実に小心者なのですが、八穂は立ち直って世界を愛しました。それはその後彼女を支える白柳美彦という人の存在もきっと大きかったように思いますが、結局は雲の上に立つことで悲しみを脱ぎ捨てた八穂の生きる強さの勝利だったのです。実は私は夫の不義や代筆について外に言って歩ける強さもすごいなぁと思います。それが怒りからだったのか悲しみからだったのか、発狂しそうな自分を抑えるためだったのか、自分には想像しかできませんが、雲に飛ぶ自分と現実に走る自分を持つことが、その後の敗北者ではない八穂を作る大きな鍵であっただろうと思います。

 生きるというのは難しいことですが、その複雑さが単純化されない過程こそが人を人として生かす道であろうと感じています。

 

 このままだと全然芸術性に到達できていない文章ですので、次回のこの話題で北畠八穂の『右足のスキー』の感想と彼女の〈マンガ的〉という語の使用について考えていきたいと思っています。

 

 

恐怖の増幅器としての私と恐怖を忘却する私

  恐怖は危険から回避するために備わったとても原始的でかつ貴重な感情です。しかし、人間は見通しを立てて生きるという、一見安全を確保するための最良の方法を選択しているようでいて、その実常に恐怖と向かい合わなくてはならないという危険を自らの内に抱えて生きる、生存に適しているのかいないのか非常にわかりづらい生き方を脳に強いられているのではないかと思ったりしています。

 人間は、恩恵なしには消しがたい、生来の誤謬に満ちた存在でしかない。何ものも彼の真理を示さない。すべてが彼を欺く。真理の二つの原理である理性と感覚とは、それぞれが誠実性を欠く上に、相互に欺き合っている。感覚は偽の外観でもって理性を欺く。感覚が理性に持ってくるこのまやかしは、それと同じものを今度は感覚が理性から受け取るのである。理性が仕返しするのだ。霊魂の感情が感覚を乱し、偽りの印象を与える。彼らは競って嘘をつき、だまし合っている。

 パスカル『パンセⅠ』前田洋一 由木康訳 中央公論新社 p71

 

   とても幼い時から悪夢に悩ませ続けられ、なぜ自分だけがそんな目に会うのだろうかと思いながら起きる朝が続いていた頃、一方で私は怖い話を見聞きするのが大好きでした。それはたぶん恐怖というものに対して、恐ろしさ以上に興味関心が勝っていたためで、この恐ろしさ(の正体)はなんだろうという気持ちに対して目の前に現れる他人の恐怖が自分の感情に上書きされる度にある種の満足を与えられてしまって、「ああ怖かった。今回のは今までの中で一番怖さが心に残った。」とか「今回は気持ちが悪いだけだった。」とか「人の恨みは恐ろしいなぁ。」といった感想を持ちながら、自ら体験することはほぼない、というより現実的にはあり得ないような事象に取りつかれたようにのめり込んだものでした。今となってはそのうちに自分の見る悪夢が大したことのない経験だと思い込むことができると信じていたからかもしれないと思っていますが、悪夢が収まったのは引っ越しをして環境が変わってからでした。ちょうど多感な時期だったからかもしれませんが、今思い出せるものでももう二度と夢として見たくないなぁと思います。悪夢独特の空気がねっとりと絡み付く感じや、自分ではない自分が自分である感覚。その時の私の持った体験は特殊なものだとしても、多くの場合自分と関わりのない恐怖を欲する事は、私は自分と関わりのない場の恐怖によって自分の恐怖を克服しようとする心の動きではないかと思っています。

 パスカルが神の恩恵なしではどうしようもなく仕方がない存在として示した人間の有様。それは生きていく過酷さが他の動物以上に精神的苦痛として生命を食いつぶしていくことからどう逃れるかという切迫した危機感から自然に生まれた行いだと私は思うのですが、この私の行動一つを見てもその愚かしさは明確です。

 根本的な解決のためには恐らく恐怖の元凶であった何かを発見して取り除かなければならなかったのですが、私はその元凶から逃れるために別の恐怖を欲することにしました。そしていつの間にか、その元凶であった恐怖のことには触れなくなってしまっていたのです。この忘却された私にとって触れることのできなかった(untouchableな)恐怖とはいったい何だったのでしょうか。

 冒頭にも書かせていただいた通り、実はそのことは今までもたくさんの人が考えてきた、生きていることによって増幅する恐怖への恐怖であると私は思います。その恐怖からいかに逃げられるかも今まで多くの人たちに考え尽くされてきました。パスカルのように自分で何もかも処理できると考えてしまう人間に対して警告を与えた人もあったし、それは恐怖ではなく畏怖だと考える人も、それは科学的な反応でしかないと考える人もいました。そのすべては合理的であるような気もするし、不合理な気もします。しかし、根本的な解決になるためにはやはり個々の相当な努力と忘却の力が必要なのです。

 宗教のようにシステムとして組み上がった恐怖から逃れ強さを維持する方法も、それが強さである以上確立すればするほど他のシステムと対立し、その対立は恐怖の大きさに比例して深く、大きな溝を作り出してしまう。争いは無論恐怖の排除を試みるために行われるものですが、争いを避けるために構築されたシステムの中でさえ力があれば争いを産んでしまいます。ことことは過去の歴史を顧みてもおそらく避けられないことなのでしょう。なぜなら、それが他者のものであっても、自分の物であっても、力こそが恐怖の想像に繋がってしまうからです。

 

 とてつもない恐怖に晒されると記憶を無くしてしまう話を聞いたことがあります。体験による恐怖に関する記憶は個人のものとして蓄積し、増殖を重ね人を蝕んでいく。私は実際記憶を失うまでの方にお会いしたことはありませんが、きっと増幅しつづける恐怖を脳では処理しきれないと判断されるほどになってしまったに違いないと思います。おそらくそこまで身体的に変化してしまうようなことはごく稀で、普通の体験においては自己防衛のためにその恐怖を記憶から排除しようと試みることが一般的だと思われますが、そのことには罪の意識が伴うことがとても多いものです。そしてその苦痛が人を歪めてしまうこともしばしばです。それが人間の悍ましさと感じるか人間らしさと感じるかは人それぞれです。ただし、歪められてしまった自分をどうするかということに直面した時に人はまた恐怖しなくてはならなくなります。知らないでいた自分に戻ることはできないので、知ってしまった自分とどう向き合うかという対応を迫られるのです。

 私はここできちんと向き合って結論さえ出せていれば、そのあとはもとの恐怖の記憶は、忘れても忘れなくても、もどちらでもいいのではないかと思っています。もちろんそんなに簡単に忘れられるものが恐怖の記憶になるはずがないので、忘れられないけれど記憶の片隅に追いやるという事ですが、そのくらいの行為が許されないようなら人はどうやっても生き延びられないように思うからです。

 都合よく記憶を書き換えることで乗り越えようとする人も中にはいますが、それはきっと歪められた自分を直視できずに情報に救いを求めた人たちなのかもしれないと思っています。そういう人たちは歪められた自分のまま、誰の目から見ても最も醜く、最後まで本当の自分との再会は果たせない人たちでしょう。個人的に自分の中だけで解決できればその人だけの問題になりますが、それを誰かに吹き込むことはあってはならないことだと思っています。厄介なのは都合よく書き換えられてしまった恐怖は、本当のことをいとも簡単に塗りつぶせるという事です。そういう人たちに対して、本当のことを尋ねるのはもはや無駄で、こういう忘却は生きるためのものというよりは、美しく死ぬためのものなのかもしれないと考えたこともあります。美しく死ぬことに対する欲望というものも恐らく人間特有のものだと思うのですが、それは死という究極の恐怖から逃れる手段です。将来やってくるであろう自らの死を美しく飾ることでその先の恐怖から逃れようとするのはとてもおもしろい行為だと思います。しかし、罪から逃れるためのそのような行為は時として人を好ましくない行動へと導きます。生きることから離れてしまった考え方である以上、それが未来への思考に通じないからです。未来への思考に通じなければ、よりよいことからは離れていきます。こうして手段に手段が重なってしまった時に過ちが犯されやすいことはいつでも同じで、結局は経験が影響する変化が何も与えられないまま、返って後退するようなことになってしまうのです。本来恐怖によって変えられるべきなのはよりよい生存への道筋なのですが、そうもいかないのはこうした理由があるためだと思われます。

 ただ、怨恨の類でこうなってしまうのはどうしようもないのかもしれないとも思っています。恨みを持った人が怖ろしく醜く映るのはそのせいで、何も悪いことをしていないのに一方的にとてつもない脅威に晒された場合も、悪いことをしているのに書き換えを行っている人の場合も、歪められた自分を乗り越えられないままという現実が変わらない以上、人から見た目は同じようになってしまう。それならば、いっそのこと忘れてしまうことで醜くならないで済むようにいようというのも悪くないように思うのですが、なかなかそれも難しいようです。怨恨という感情についてはまた深く考えていきたいです。

 少し本題から外れましたが、恐怖の増幅器としての自分があって、忘却する自分があることを私は忘れずにいたいと思います。そうすることで、いくらかでも自分らしくいられるような気がするからです。それを自由と呼ぶのは悲しい気もしますが、自由ということを考えるために必要な手段であるように思います。恐怖から少しでも自由であろうとすることが人間にとって大切なことは明らかです。そして、人間にとっては他者の恐怖を取り除くことが、結局は自分の恐怖からも遠ざける手段であることについて考えを深めていけたらいいと思います。

 

 独りよがりな感じになってしまって申し訳ないです。夏なので少し恐怖とは何だろうと考えてみたくなった次第です。夏はなぜだか恐怖に関する話題が多くなります。それは日本ではお盆という年中行事が死者を向かい入れるためのものであるからかもしれませんが、私は四季を通じて夏が一番生命力の強さを感じさせるからだと思っています。春の生まれ成長する生命力とは違って、夏の生命力は増殖や繁殖に繋がっていく。そしてそのことは逆に死を連想させます。死に対する恐怖が人のイメージに与える影響はとても大きくて計り知れませんが、夏には特に考えたくなります。私にとってはそんな感じなのですが、冬に感じる死のイメージというのも確かにありますね。それはまた冬に考えてみてもいいかもしれない。

 

 いつもブログを覗いていただいてありがとうございます。更新が遅れてしまって申し訳ないです。今いろいろと勉強中ですので、またそんなことも書いていけたらいいなと思っています。

 これからもよろしくお願いします!

 

 

 

『鏡のなかの鏡』 ―生存の意味と存在について―

 先日ブログで読みますとご紹介したエンデの『鏡のなかの鏡』、3回読んで最終的には30あるお話の一つ一つの要約やキーワードを書き出して、やっと自分なりに自分のものにできたかもしれないと感じています。

 まず、私はここではこの本をエンデが自身の中にある人物やものたちに物語を与え、その人物やものたちが自分の中にどう配置しているかを示しているのではないかという視点で読み、そのことに対して自分が受け取ったものの内で私がここで一番言いたいと思ったことを書かせていただいています。おそらくこの物語を読まれたことのある方なら誰しも様々な感想をあちこちのお話の断片から、そしていくつかの物語の共通項から持たれていることと思いますが、私もこのほかにもいくつも考えさせられる場面を持ちましたし、そういう風に万華鏡のように見える配置もこの物語の魅力であると思います。

 さて、それぞれの人物やものたちは、私たちにとってはエンデの著作の中で見かけたことがあるものや初めて出会うものであったりしますが、エンデにとってはどれもが古くからの顔馴染みのように思えます。それらがそれらであるところの自己の内の世界では、時間や空間は一定した規則性を持たないので、人やものは夢や幻のようにひょっこり現れてはまた消えていきます。しかしそれらの存在は私という存在のなかの存在であり、存在の外の存在ではあり得ない。ただし現実世界と同じように、同じ時間と空間に存在しそこで継続してあり続けているものだけが同じものであって、同一の形や名を持つなにかであったとしても同じ空間と時間にいなければ違う存在になります。そしてある物語の核心は違う物語では外縁へと遠のき、確定したと思われる出来事は実は別の物語への序章に過ぎず、今ここで初めて出会ったと思われたものはいつか知っていたものに過ぎないというような複雑な形で関係しあうようになります。

 まるで混乱し錯乱した世界のようですが、私たちの今生きるこの世界でも確定していることなど一つもなく、自分の目にしている世界はおおよそ自分の頭の中で工作され可視化された世界だという事実を思えば、そのことを受け入れられないと拒絶できる余地は少しもありません。

 そして、そのいくつかの物語の中では子どもが重要な役割を果たしています。なぜなら、子ども(と自分のなかの子ども)はあるものを新しいものとして見ることができ、それを受け入れ、そして変えていくことができるからです。これは「知らない」という事だけが既成の出来事から自分を解放できるということに繋がっていきます。「知らない」ことは「見ない」ことではなく、「知らないことに忠実な私」=「子どものように物事を見ることができる私」ということであり、知ることを楽しむことで自分の世界を作っていくことのできる私であるわけです。子どもにとっての遊びとは、何かを受け止め、変形させ、自分の感情に届くものにして自己を満足させる行為のことです。その行為は、時には喜びとして、時には恐怖として、時には悲しみとして自分の中に残り心の中に蓄積していきます。そしてそれこそが人生を豊かにし、人生の救いになっていくのです。

 ところで子どもはいつか大人になります。自分の中の子どもも、もちろんひとしきり遊んで周囲に自分の世界を作った後、少年になり、外の世界を知らなければならならなくなります。そうしなければ世界はいつか現実とかけ離れ、そのことによって自身もろとも崩壊してしまう危険があるからです。そのために少年を外の世界に連れ出し少しずつ何かを教える者の存在が必要なのですが、エンデはいくつかの物語の中にその手助けするものを登場させています。父、兄弟、魔術師、ジンなどです。それらは少年への手助けをすることを運命づけられているようです。そしてその助けによって少年は外の世界に行く準備をします。大人へのステップを踏むこと、それは今まで作り上げた世界から飛び出し全く未知の世界(奈落)に落ちる行為であり、また思い切って空を飛ぶような行為でもあります。外への恐怖を和らげ、飛び立つための材料を持ち、そのために捨て去るべきものも知って、青年になった子どもは世界へと飛び出していくのです。

 無事に外へ飛び出したとしても、その先に青年を待ち受けるものは様々な誘惑と困惑に満ちた大人の世界です。そこで青年は挫折を知り、時には汚れていきます。そうした果てにやってくる感情が郷愁です。故郷へ戻るためにもたくさんの試練があり、その試練を乗り越えやってきた故郷も時には変わり果てています。しかしそこで何かを得ることでしか、彼は本当の目的を思い出すことができないのです。

 様々な場所を訪れクエストを完了したとしても、本当の自分を見つけ出すことなどできはしない。そう思って悲観に暮れた時、目の前に現れたものをどう捉えるか。チャンスを掴むために今までに培った経験を生かすことができるかどうかは、本人がまだ子どもの心を持てているかにかかっています。お話の中のいくつかの場面ではそれは母なるものを愛せるかということに繫っていきます。愛せなければ彼は決してその先に進むことはできません。けれども、彼女はすでにあなたの母親ではなく、あなたの目の前にいる一個の女性であり、彼女には彼女の過去があったり、彼女と言う存在のよい部分も悪い部分も含めてすべてを受け入れる勇気が必要だったりします。

 さて、これだけ書くとエンデは勇敢な冒険談を書いているの?と思われる方がいらっしゃるかもしれませんが、この物語で描かれているのはほぼ失敗した人たちのお話です。それぞれの物語中では、登場人物の置かれている状況も行動の段階もまちまちで、主人公たちの人格も立場も状況も違っていて、物語の終わりにどうなっていくのかも違っています。敗北者たちは絶望を突き付けられ傷つき暗く、酷い目にあったり殺されたりする場合もあります。それなのにそれぞれの物語には微妙に繋がりのあるアイテムが仕込んであり、これらがただ一つ一つの独立した物語としてあるのではないという示唆がなされています。つまりは私のなかには成功者ばかりでなく、実はそれ以上の不幸な敗北者がたくさん積み重なっているのだということが語られているのだと思います。

 私の読み方ではこれらのお話は、ある時点で私の中に生まれ、何かを体験し、結果私を形成していく私のなかの子供たちの物語で、つまり私が私であるために発生し私の中にある何人もの人たちの物語であり、私にとっての生存の物語であると同時にその子供たち一人一人の物語でもあります。そしてこの物語はそれら敗北者たちを含めた子供たちの存在を忘れないでいるための慰霊の物語ではないかと感じられました。本当の自分自身を発見するということなど所詮は実現不可能なことであり、生きるという事は変化する自分に戸惑いながら何でもないものとしての自分を生き続けるということなのだけれど、救いや希望を自身の中に発見し歩み続けることはできる。ただしそのために必要なものは数々あって、その発見と使用のためには自分のなかの子供たちに様々な体験をさせ、経験を促し、時には死んでしまうことも事も受け入れなければならない。そうしてそのことだけが、私たちが今ここにあるということの証明になるのだからということが語られているように思えました。

 そこにいるのは、まさに供物としての子ども、子供なのだなぁと思いました。

 ここまでが30の物語を通じて私が持った感想のうち一番言いたかったことになります。ただ、この文章はそれぞれに多くの示唆が含まれており、通じて読むことの重要性がどこまで望まれるものなのかは不明です。例えば展覧会の絵のように、1枚1枚をじっくり見て鑑賞することの方がこの展覧会を企画したキュレーターの目的を考えることより重要な時もあります。ただ、物語を真摯に自分なりに受け止め読み解こうとする姿勢で読んでいかなければ、この物語はただの悪夢の集まりになってしまいかねません。また、目眩を起こさせるような感覚を受けたり、打消しの効果で何も見えなくなったり、幾通りもの物語として見ることができるなど、独特な構造を作ることによってかなり凝った形式になっているので、どう捉えるかで読み方も読者によってだいぶ変わってくるのだろうとも思います。しかし実は読み解くために自分の原点に返ることを余儀なくされることによって、物語のその向こうに見えるのは、独特な郷愁(懐かしさと物悲しさ)さえ含んだなにかを私たちに見せてくれる世界です。これは読書体験ではよく語られる内容ですが、より内へ内へと入り込んでいくことによって、自分の中で忘れ去られていったなにかにぐっと近づいていく感覚を得られているように思います。

 迷うことを苦しく思うのも楽しく思うのも本人次第で、私が何とか楽しく読めるようになったのは、この物語を読むという事は自分のなかの子どもを駆使して彼に語らせ、大人の自分が聞くことで何とか聞こえる声を聞き取る作業なのかもしれないと思えるようになったからかなと思います。そしてそれは、なんのことはないファンタジーを読むときの私の本の読み方で、ここでもほらエンデに試されているのかと思わず笑ってしまったというのが私のなかのオチになります。

 『はてしない物語』や『モモ』を読むこととはかなり違った読書体験ができるということは受け合います。何かに迷っている時に読むのもいいかもしれません。ただし、そこに解決を見出そうという感覚で読もうとすることはお勧めできない本になります。私はいい挑戦ができたと思っています。(このくらいのことしか言うことができなくて申し訳ないです)

 

 

〈脱線します!〉

  先日BUMP OF CHICKENの「記念撮影」という曲を聴いたときに、この文章を考えている最中でもあり、時間の流れと自分の関係についてとても考えさせられました。『鏡のなかの鏡』は自分の内側から見た世界ですが、現実の世界で自分の過去と現在と未来に翻弄されることについて〈記念撮影〉という語を使ってうまく作られた曲だなぁと感心しました。曲の中に目眩が起きるような感覚も持つことができます。

 一方で小沢健二の「流動体について」の、「もしも間違いに気がつくことがなかったのなら 並行する世界の僕はどこらへんにいたのかな」と考えられるようになった自分もおもしろい。「神の手の中にあるのなら その時々にできることは 宇宙の中で良いことをする決意くらいだろう」といったあと、「無限の海は広く深く でもそれほどの怖さはない 宇宙の中で良いことを決意するときに」といえる辺り、この人はいったい何人の子供を殺して得ることのできた感覚なのかなぁと思わせてくれます。そのような考えを起こさせるに至る辺りがこの読書体験の成果なのだなぁと思います。

 この歌の歌詞には「だけど意思は言葉を変え 言葉は都市を変えていく」というくだりもありますね。実は『鏡のなかの鏡』で文字に関する示唆もたくさん受けているのですが、そのあたりはまたこんど違う機会にでも書かせていただけたらいいなって思っています。

『静寂 ―ある殺人者の記録』感想文 死と円環する生について 【ネタバレ注意】

【はじめに】

 今回のブログ記事は、トーマス・ラープ著/酒寄進一訳『静寂 ―ある殺人者の記録』の読者モニターとしてゲラを読ませて頂き、東京創元社様に提出した原稿を一部変更したものを掲載させていただきます。

 多大なネタバレ要素を含みますので、これからお読みになろうとしている方はご注意ください。

 

【本文】

 人はいったい何を求めて生きているのか。

 カール・ハイデマンは生まれつき人並外れた聴力を持ってしまったために、生まれる以前から音に対する極度な過敏によるストレスに苛まれていた。生まれた日から寝ているとき以外泣き止もうとしない息子の異常な聴力に気づき、彼のために地下室を生活の場へと移すことに決めた父の配慮によって、彼は人の生きる場ではなく、一人ぼっちで過ごすことのできる地下の部屋の中から生きる人々の暮らしを思うこととなった。彼の聴覚をもってすれば村人の生活は音によって赤裸々にされ、それは彼が理解する限り、醜く排他的で歪んでいた。

 母親は彼のあまりに奇怪な行動を理解できずに、心を病んで入水した。その時に母親に連れられて一部始終を見届けることになり、さらに母親に対して言葉を発しなかったカールが、必死で掛けた最後の一言によって入水を助長してしまうことになった。

「行け」

 それは彼にとっては父親との懐かしい思い出の中の一言であった。喜んでもらえるはず、そうであったはずなのに、幼な子の彼に詳細を説明できるわけもなく、また、そのことを母が知るはずもなく、彼女はその言葉に従い湖の奥に進み死んでいった。

 母親が水から上げられ、彼が母親の死体に見たものは、それまでの苦痛に満ちた生から解放することのできる安らかな死の美しさであった。そうして、カールの心の中に死への崇拝が巣食うことになる。

 物語前半のカールの殺人は、生の苦渋の足枷から人々を開放するために執り行われる儀式であり、白い殺人だ。なるべく痛みを伴わない方法で安らかに死を与えることが人々の上に幸福を与えることだと信じて執行されていく。白くぶよぶよした肉体の醜いカールが美しい白い殺人鬼であること。この醜さと内面の純真無垢さとの対比が実に印象的で、その無邪気さからつい大量殺人鬼である彼に優しい感情移入をしてしまう。そしてこの物語の中では、殺人事件の担当刑事でありながら、その殺人者に魅せられ、大人として救いの手を差し伸べ、逆に救われることになるホルストシューベルト刑事もまた魅力的な存在として描かれている。カールが彼を信頼していることは後々大きな形で現れる。この二人の関係性は、この物語をただの殺人鬼の話で終わらせない大きなターニングポイントになっているように思う。

 物語中盤、カールは最愛の人マリー・ポクロフスキと出会い恋に落ちる。全盲で無垢で美しい心の持ち主のマリーは、出会ってすぐにカールと意気投合する。しかしながら、マリーを守りたい一心でカールが行った行動が招いた不幸により、カールは許しがたい理不尽な仕打ちを受けることになり、死への信頼を失い黒い殺人鬼になってしまう。世間で悪党と呼ばれる人々に恐怖の鉄槌を食らわせるためだけの殺人。反抗期の怒りをぶつけるかのように殺人を犯し、痩せ衰えていく心と体。ついには逃避行の旅に出ることになる。

 逃避行の末にたどり着いた場所。そこは異国の小さな修道院であった。神聖な神の場でカールは再び変身をする。悲しいことにもちろん殺人鬼として。神の使いの美しい白い死神。そこでもカールは人々を苦しみから解放するために殺人を繰り返す。そして命の恩人であり、カールを死神と知りながら最後には自らの死を彼に欲し、最愛の人の元に旅立つようアドバイスした修道士パオーロ・モローダもまた、物語の中での重要人物だ。彼なしでは最後のカールは望めなかっただろう。

 最愛の人の元にたどり着いたカールは、思いを遂げ、また思いをかみ殺して最後の決断をする。

 

 この物語の主人公カール・ハイデマンは、いったい何人の人を殺し、何匹の動物を殺したかわからないくらいの殺害を繰り返す。しかし、彼の行為を薄気味悪い精神異常者の行動として見ることはできない。なぜなら、作中で彼が望むものは他者の幸福であり、自らに人々に苦痛を与えるものとしてではなく喜びを与えるものとしての役目を課し、そのことを徹底して執り行うからである。だから私たちは彼を無慈悲な殺人者としてではなく、時に迷える若者として受け入れ、時に美しい聖人のようにも思い、彼の殺人を肯定さえしてしまいそうになるのである。しかし、それこそが著者トーマス・ラープのこの作品に仕掛けた大掛かりなトリックであり、倫理観と正しいことの隙間を上手にすり抜けて、「彼(のやり方)は嫌い?」と読み手を混乱させる手法なのである。その技に私たちは翻弄され続けることになる。

 一方で、彼は暴力を嫌いながら自らが行使している暴力についてあまりに無自覚である。彼自身が命の重みを生ではなく死に寄せ過ぎているために、彼にとって死は暴力以上の美を持って迎え入れられる。しかし、死をもたらされた人々にとって、彼らに与えられた死は無尽蔵な暴力の果てに送り付けられた結果でしかなく、その事実は変えることができない。

 後半の要になる修道院での生活は、彼に彼の意志によって殺人を止めさせることのできる最後のチャンスであったが、彼はそこに死ねない人たちの苦しみに寄り添う殺人者としての道を切りひらいてしまう。彼はパオーロやほかの修道士たちに救われた自らの命について、なぜ救われたのか最後の最後まで理解できずにいたように思う。宗教の場で、彼が取りつかれた死への崇拝から救い出されることなく殺人者として再び生まれ変わることは、命の尊さを説く宗教の敗北を意味する。ここでも読者は試される。「彼のしていることは正しいことでしょう?」しかし、脱出する際に行われる行為によって、私たちは彼の本質に触れ正気に戻されることになる。彼にとって命の重みとは、死の安らぎを得るためにあるもの以外のなにものでもないのだ。

 最後に彼は愛を回復して、相手の命の尊さを思うことにより、初めて死よりも重い命について直視しなくてはならなくなる。この物語のクライマックスだ。そこで彼が何を得て何を失ったかを考えることは、私たち各々が持つ愛と命についての思いを振り返らせる。

 カールは不幸だったのか。カールに殺された人々は不幸だったのか。それとも幸福だったのか。人にとって死とは永遠の幸福なのか、断絶の不幸なのか。

 このような問いに対する答えは一昔前ならば簡単に与えられていた気がする。しかし、善と悪についてこうも複雑になってしまった世の中にあっては簡単に答えが出せない。

 厳しい現実を見逃すことによってなんとか生きようとする私たちにとって、この物語は問題を直視できる場に緩やかに運んでいく船である。むごたらしい殺害による恐怖の中にではなく、美しいセンシティブな物語の中にある殺人に対して畏怖ともいえる感情を私たちに植えつけ、静けさの中にある二つの眼を見つめさせる。そして、その眼はもはやカールのものではなくなって、私自身のものなのかもしれないと気が付いた時に、改めて受けることになる衝撃は少なくない。死に対する私たちの感覚・感情は、間違っているのか、いないのか。死への恐怖が引き起こす誤った行為や生への執着が引き起こす他者への暴力的な態度が、彼のしていることとどれほどの違いがあるのだろうか。

 生き生きと生きることへの困難が引き起こす社会病理の中では、カールは常に私たちの心にあって私たちを死に誘う天使であり得るのだ。

 しかしながら、私たちがマリーやシューベルト刑事やパオーロ修道士といった人々との接触によって受ける感情は、カールのそれとは異なっていることもこの物語は教えてくれる。私たちは人の中で生まれ育ったのだ。たとえそれが混沌として美しいものでなかったとしても、そのことだけが私たちの感情に明かりを差し伸べ行く手を照らしてくれる術になる。それが私たちとカールとの確かな違いだ。

 カールは愛を受け、母親の愛を思い出し、死んでいく。初めから破滅への道であったとしても、そのことが私たちをどこか人間らしさへと回避させてくれる。そして物語の終わりは始まりに還っていくのだが、そういった手法も、新しい命を迎え、この物語の中にあっては特別のもののように思える。

 終わる命と始まる命。循環する生命。

 命を互いに支え合わせ繋ぐことのできる〈愛〉の存在こそが人の生きる意味なのだと。

 

【おわりに】

 いかがでしたでしょうか。なるべく作品の魅力をお伝えできるように書かせていただいたつもりですが、引用がないため本文の美しい文体がお知らせできていない旨はご容赦ください。しんしんと降り積もる雪のように穏やかに美しく、そしてそれゆえに私たちの心に消えない跡を残していくような文章です。原作者のトーマス・ラープ氏の才能と、それを見事に日本語に翻訳された訳者の酒寄進一氏のお仕事は素晴らしいものでした。

 6月13日に発売されて、すでに書店には出回っています。ご興味を持たれた方はぜひお読みになってみてください。

 

 

静寂 (ある殺人者の記録)

静寂 (ある殺人者の記録)

 

 

 

番外編 エンデ『AだからBという関係性を超えて』ブログの向こう側 ―いぶりぃさんに質問!―(3)

 いつもブログを見に来ていただいてありがとうございます。

 前々回の続きを掲載させていただきます。

 

いぶりぃさん④

 お返事ありがとうございます。

 バスチアンが読んでいる『はてしない物語』のファンタージエンが虚無に飲まれたとしても、ファンタージエンが保持されるべきとの解釈は興味深く読ませていただきました。一つ考えていただきたいと思う点は、ならばなぜファンタージエンの住人が虚無に飲まれると虚偽になるのか、という点です。ポンさんの解釈ですと、この虚偽はバスチアンにとってだけの虚偽ということになるのではないでしょうか。もっとも、一人ひとりの人間が自分のファンタージエンを壊すことで、虚偽を世界にまき散らしているという解釈もそれはそれで面白いかもしれませんけれども。また、水=失われた記憶を飲むという解釈も興味深いと思います。一方で、こう解釈した場合、アウリンは力をふるうと同時に自身の中に記憶をいわば貯蔵する装置のように解釈されるように思えます。そうすると、アウリンを身につけた時、バスチアンとアトレーユで異なる働きをしたことに対して、どう一貫した理解をするのかという点が問題になってきそうに思います。

 想像力の具現化ということですが、確かにモノとしての具現化はされていないと言えるかもしれませんが、この人間であることとファンタージエンの住人であることの差異は最も特徴的な仕方で示されているように思います。それが「名付け」、あるいは「新しい物語を語る」という行為です。これは生命の水を飲んだあとのアトレーユが、バスチアンに対して唯一驚異を示した能力でもあります。その意味で言えば、アマルガント図書館はある種の具体化と言えなくもないですが。

 もう一点、媒体の問題について一つ指摘させて頂きますが、ファンタージエンに行く媒体は本であるとは限らないと思います。事実、コレアンダー氏は最後の場面でのバスチアンとの会話の中でこういいます。「本だけではなく、ファンタージエンに行って帰ってくるほかの可能性も存在する。」また、ポンさんは簡単に行けるとおっしゃいましたが、ぼくにはそうは思えません。確かに、後半の大冒険に比べれば地味かもしれませんが、前半のバスチアンもある種のクエスト(冒険)を体験していると言えるように思います。そして、最後の最後の瞬間、エンデが言うようにバスチアンは無の中に飛び込むわけで、これを簡単に行けるというのはかなり疑問です。

 『モモ』についても一点指摘させて頂きます。ホラは時間を作ってはいません。あなたが時間を作っているの?というモモの問いにホラ自身「わたしのつとめは、人間のひとりひとりに、その人のぶんとして定められた時間をくばることなのだよ。」と語っています。

申し訳ありませんが、自己的・他者的な段階ということで、どういうことをおっしゃっているのかよくわからなかったので、よろしければもう少しご説明願えればと思います。永遠なものは常に降り注いでいる、とのご指摘には同意します。エンデも、もう一つの別の世界とは啓示のようにときに現れるものではなく、常にそこにあるものだといいます。問題は、常に降り注いでいるものを受け取るためには準備がいるということです。いわば、器を作るということであり、Bildungビルドゥング(教養/形成)ですね。エンデ自身、古典的な教養小説だと言っていますが、『はてしない物語』で言えば、バスチアンのファンタージエンを旅するクエストというのは、自己形成の道であって、それは必要な旅なわけです。単に、永遠なものは常に降り注いでいるというだけでは、あれらの旅はそれ自体不必要なものであるということになりはしないでしょうか。

 以上になります、説明不足な点等あればまたご指摘頂ければと思います。よろしくおねがいします。

 

Ponkichi④

 いつも鋭いご指摘ありがとうございます。とても勉強になります。

 いぶりぃさんの初めのご指摘ですが、なぜファンタージエンの住人が虚無に飲まれると(現実世界の)虚偽になるのかというのかということについて私なりのご説明をさせていただきますと、ファンタージエン自体は今まで蓄積された誰かの想像力によって維持されてきた世界であり、その世界の次なる創造主として入ることになったのがバスチアンだと思っています。そして、ファンタージエンが虚無に飲まれている理由は、ファンタージエンのような想像の世界に入り込んで、その世界で遊ぶような人間がいなくなってしまったという事になります。ただし、ファンタージエンという世界自体は〈はてしない物語〉という本を媒体として入り込めるもので、本は選ばれた人間の手に渡るようになっているのだろうと考えていました。しかし、今までのいぶりぃさんとのお話を通じて、ファンタージエンへの道筋は本を通してだけとは限らないかもしれないとは思いました。ただし、このお話の中心に幼ごころのきみがいて、彼女が王国の創造主を選択して働きかけていると考えると、やはりそれは限定されたものにならざるを得ない気もします。例えばこのお話ではファンタージエンの世界だけれども、このような世界が複数あって想像世界と人間世界を繋ぎ、お互い支え合うようにできていると考えていることもできそうですし、ファンタージエンがすべての想像世界の核であると考えるとすると、もっと複数の人が協力してこの世界を支えるお話にするほうが説得力もある気もしています。もうお分かりかもしれないと思いますが、私はファンタージエンはバスチアンの国でありバスチアンが完結しなければ終わらない世界だけれど、いろいろな想像主の国同士は想像の世界で繋がっており干渉しあっていると考えます。そして、この部分においてはモモの世界とは完全に解釈が違っています。なぜなら、モモの世界の表現では、モモの行き来が多大に現実に関りを持つ部分や、他者が影響を受けている部分を垣間見ることができるからです。バスチアンの世界で変わったのはバスチアン自身であり、父が変化することも、本やの主人が変化することもありませんでした。ただ、バスチアンが変化することで彼らの対応も変わったというお話になっています。現実世界から見ると、はてしない物語は英雄が世界を救う物語ではなく、バスチアンが自分自身を救う物語であるので、はてしない物語とモモの二つの物語はその意味合いにおいては別のものです。ただし、ファンタージエンの世界でバスチアンがファンタージエンを虚無から救ったこと自体は、想像世界同士が繋がりを持って広く現実世界と関りを持つとすれば、バスチアンの想像世界も現実世界に影響を持つのは当然ですから、そう考えることで私はバスチアンの行動は現実世界においても重要であったと考えています。

 そうご説明させていただければ、いぶりぃさんのご質問にはだいぶお答えできると思います。アトレーユは前にも言わせていただいた通り私の考えではバスチアンが自分の理想の人として設定した人物ですから、同じアウリンをかけたとしてもバスチアンの理想の人としての行動をするはずです。

 さて、なぜ私が泉の水を想像力と考えるのか、そのことについて詳しくお話させていただきます。以前頂いたいぶりぃさんの論文からノヴァリースの一文を引かせていただくと「自己形成〔教養〕の最高の課題は、先験的〔超越論的〕自己を我がものとし、同時に自己形成の主体たる自我の自我となることである。」と言う部分の、並列性によって成り立つ自己というのに自分なりに拘っているからだと思います。〈先験的自己〉という場合、それはカントでいえば認識論的立場であり現象ですね。現象としての自己。この部分において聖なるものの存在はとても重要で、私という現象を正しい道に導いてくれる道しるべです。しかし、この部分だけでは現象としての自己で収まってしまいます。現象としての自己が私としての存在を確定的にするには、別にどうしてもそれを実行できる経験の中の私が必要になります。それが〈自己形成の主体たる自我の自我〉になり得る自己であるように思うのです。つまり、先験的自己と経験的自己との両立がなければ、実体的な自己は存在しえないという考え方です。その考えが私の中心にあってエンデの物語を読んでしまうので、いぶりぃさんとは意見が異なる部分が多くなってしまうのだろうなと感じています。そういう読み方で行くと、あの場所に成長できる私がいるためには、聖なるものと目に見えない〈現象的な私〉と目に見える〈経験的な私〉が必要になってしまいます。この部分は私の私見によるところが大きいので、エンデの正しい読み方から外れてしまっているかもしれません。もしそうならば、是非ご指摘をお願いいたします。

 モモの時間のお話も、まず自分がいなければ時間もないというところで、マイスター・ホラが時間を作れない理由はすごく納得していますし、個人の時間を個人に与えるとはそういうことなんだなぁと改めて考えました。

 自己的・他者的という表現は適切でなかったと反省しています。この部分はまだ自分で考えが纏まっていなかったので申し訳なかったです。おそらく自己的=現象的、他者的=経験的という説明がしたかったのだと思います。

 また分かりづらいかもしれませんが、ご指摘よろしくお願いします。

 

いぶりぃさん⑤

 お返事遅くなってすいません。Skypeでお話したことの繰り返しになると思いますがご了承ください。

 ファンタージエンの多世界説というのは、確かに興味深い解釈であるように思います。また無理のない解釈にすることも可能なような気が致します。しかし、現状のポンさんのご説明だと多少無理があると思える点がいくつかあるように思います。まず、前回の虚偽についての質問と関係するのですが、「バスチアンのファンタージエン」という独立した世界で生まれた虚偽が、(場合によってはバスチアンと無関係な)他者に影響を及ぼすということをどう説明するのか、という点です。また、これも以前指摘したことですが、作中でバスチアンが旅するファンタージエンに、はるか昔シェイクスピアが旅をしていたことが暗示されているということです(バスチアンはおそらくシェイクスピアを読んだことはなかったのではないでしょうか)。要するに、ポンさんがいうところの「バスチアンのファンタージエン」が、バスチアン以外の人間とのかなり明確な繋がりを感じさせる箇所を、各ファンタージエンの独立という発想とどう折り合わせるかがポンさんの解釈の難点であるように思います。

もう一点、挙げるとすれば幼心の君の存在です。ファンタージエンとは、幼心の君によって/通して存在し、幼心の君とはファンタージエンそのものですらあると作中では語られていたと思います。さて、多世界的なファンタージエンにおいて幼心の君は一人なのでしょうか、複数いるのでしょうか。一人だとするならば、彼女の王国とは一体なんなんのでしょうか。貫世界的な存在として幼心の君が存在すると言えそうな気もしますが、そうすると病に蝕まれる幼心の君とはなんなのかという疑問も同時に出てくるようにも思えます。もう一つ付け加えると、ポンさんはバスチアンを創造主とお書きになっていますが、ファンタージエンの創造主は幼心の君であることが明確に書かれています。その点で、改めてバスチアンというより、人間の子どもの力(名付けの力)と彼らの望み/意志をファンタージエンの中で実現する幼心の君の力とを区別したほうが良いように思います。

 アトレーユとバスチアンの二人にとって、アウリンの作用が異なるという点ですが、もしアトレーユがバスチアンの理想像であるがゆえに、アトレーユがあのように行為できるというのであれば、アウリンの有無は何か意味がある違いになるのでしょうか。例えば、化け物の国ではアトレーユはアウリンを持っていませんでした。しかし、グモルクと対峙したときも、アトレーユはやはり―ポンさんの言い方でいいますと―バスチアンの理想像であるように振舞っていたのではないでしょうか。単に、バスチアンの理想像であるからということでは、この作用の違いを説明できないように思います。

 ノヴァーリスの断章の解釈については置いておきますが(ちなみに、その断章は「であるからには、他者に対する感性や理解が十全でないのも、異とするにはあたらない。完全な自己理解がなければ、他者を真に理解することはできないであろう。」と続きます。)、ぼくがポンさんのお考えをきちんと理解できているかわかりませんが、Skypeで伺ったお話と今回のお返事を合わせて考えたとき、こう言えるのではないかなということを書かせて頂きます。ポンさんがおっしゃるような「現象的な自己」は「鏡の中の鏡にはなにが映るか?」という古老の問いにおける鏡ではないでしょうか。この自己を追いかけて行くと、合わせ鏡のプロセスの中で無へと解消されてしまうようなものとしての鏡です。しかし、エンデにとってはこのプロセスの中、この無の中に飛び込むこと、この無の中にこそ真に人間の本来的な力があるわけです。その意味では、エンデ自身の考えとの比較という意味においては、ぼくの見解では「現象的自己/経験的自己」というだけでは、道具が足りないかなという印象です。

 以上、繰り返しになるので簡単ではありますが、お返事させていただきます。

 

 いかがでしたでしょうか。私の考えは少し飛び超えすぎていているかしらと思いつついぶりぃさんにご質問させていただいたのですが、さすがにすぐにエンデに話を戻して収集していただけたので助かりました。こういうところが長時間きちんと取り組まれている方との違いだと思います。実はいぶりぃさんのお話の通り、最後のお返事の前に2時間ほどお話しさせていただいてたくさんのお話を聞くことができたので、今はその流れで『鏡のなかの鏡』を読んでいるところです。もうお読みになっていらっしゃる方ならお分かりかもしれませんが、これがまたすごい曲者で、30篇の作品が鏡に映る鏡のような関係性を保ちながら連なっていくというものです。一篇一篇の意味を追いながら前後の関係や全体の関係を読み解くのはなかなか大変で苦戦しています。またお話を伺いながら少しでもエンデを理解できるといいなぁと思ってるところです。

 

いぶりぃさん(@iwri)のブログも更新されました!

http://d.hatena.ne.jp/iwri/20170611/1497194138

 

何かを理解するための道のりというのははてしないなぁと思います。

 

 

ミュシャ展【6月5日まで】閉設の前に

 《スラブ叙事詩》のプロジェクトが―非常に実り豊かで、多くの点で驚くべきものであったとしてもー当時、(選択的ではあったが)国際的な情報に通じていたチェコの芸術界にさほど大きな熱狂をもたらさなかったのは意外なことではない。ムハが雄偉を誇った時代は、モダニズムアバンギャルドの潮流の到来によって、明らかに終焉を迎えたように思われていた。19世紀後半に作られた国家概念の誇示を壮大な歴史スペクタクルに仕立て上げることは、間違いなく望ましいことではなかった。それは、あたかもムハが―彼の当初の目的は、同時代の絵画ジャンルの公式なヒエラルキーに対応すべく、歴史主題を描く画家になることであった―パリで収めた(しかし望んだ分野では獲得されなかった)大成功の「逆転」を経験することによって、ついに自身の目標に到達したかのような事態であった。しかし、故国に華々しく戻ってきたムハが飛び込んだ水は、この時すっかり変質していた。一方で《スラブ叙事詩》は、この傑作を鋭く分析したレンカ・ビジョフスカーとカレル・スルプの論考においてすでに指摘されているとおり、いわゆる「スラブ芸術」の伝統概念や歴史画の規範を判断基準とした保守派の伝統主義者の間でも、同様にはなはただしく否定的な反応を引き起こしたのである。したがって、ムハは二つの時代―19世紀と20世紀—のどちらからも着想を得つつ、その狭間で揺れ動いていたのだ。しかし彼は、同時代には評価基準のなかった作品を創出したのである。以上の見解が、《スラブ叙事詩》を考えられうる文脈の一つのなかに―より正確には、フランスにおける装飾画の問題という視点から―位置づけようとする私たちの試みの出発点となるだろう。

 

ミュシャ展』求龍社 p202 ドミニク・ロブスタイン、マルケータ・タインハルトヴァー「アルフォンス・ムハと装飾画の復興―フランス文脈を通して」より

 

 ミュシャ展がもうすぐ終了ということで、スラブ叙事詩が日本に次いつ来るかわからないので、ぜひ見に行っていただきたい気持ちから文章を書かせていただきます。もっとも私のブログに来ていただいている方ならもうご覧になっている方が多いかもしれません。

 

 日本ではミュシャの作品はアール・ヌーヴォー様式の人物画に自然を取り込んだリトグラフの印象が強く、私にとっても美しい女性を描く画家ナンバーワンの位置を占めているのですが、ミュシャ自身はそのことを決してよいこととは思ってはいませんでした。

 今でこそ、鑑賞する側にとってそのような作品と油絵に格差をつけて見るような風潮はないように思われますが、ミュシャが生きていた時代には油絵を描く画家が本当の画家で、そのほかは画家というよりどちらかというと美的な技術職のような扱いを受けていたようで、多くの名声を受けながらもそのことをずっとミュシャは気に病んでいたようです。

 そして、とうとう祖国の危機と自分の名誉のためにスラブ叙事詩の制作にかかったというわけですが、先に引用させていただいた通り、時代に取り残された形になって祖国では作品としての正当な評価を受けられることなく、ミュシャは亡くなってしまいます。

 2012年にプラハでスラブ叙事詩全20点が公開されて以降、スラブ叙事詩への評価が高まって私たちが日本でこの巨大なスペクタクル作品を目にできるようになったという、なんとも画家にとっては皮肉な話にも感じますが、芸術作品でそういった評価の受け方をしているものは結構たくさんあるもので、時代性と芸術作品の関係は思いのほか複雑なんだよなぁなんて思いを馳せることもできます。

 

 さて、ダラダラと前置きが長くなりましたが、行って見て私がまず感じたことは、よく戦っているなぁの一言で、宗教と国を守るという事がヨーロッパの真ん中ではどれほど難しい事だったのか思い知ることができます。それを知ることだけでも十分価値があると思います。しかし、スラブ叙事詩のすごいところはスケールの大きな絵画の中に様々な人間(や神々)が配置され、その一人一人を見つめて同化できるような物語を感じられることだと思います。絵画の物語はどの絵画にも見られるし、それが絵画の価値といえば価値なのですが、スラブ叙事詩の物語は少し違っています。叙事詩という題名通り、詩的な表現を通じて神話としての歴史性(あるいは歴史としての神話性)が表象されているのです。その表現を受けて、私たちは現実の中の夢のような場面に入り込んで、歴史とは、民族とは、国とは、神とは等々の多くの訴えかけに圧倒され、ただ怯えたり、一心不乱だったりする人々と重なり合い、我を忘れるひと時を過ごすことになります。

 私たちが生きているということは、これほどまでに様々なことに翻弄されているということだと改めて思い直すと、現代を生きることも少し違って見えるような気もします。私はむしろ今は何に守られてこんなにも怯えていないのか不思議な気さえ起こりました。守られている、守られていない、守られている…。揺れる心の中で今大切にしたいものを感じることもできました。

 

 と、私の感想はこんなところですが、絵画を見る時の人の気持ちはそれぞれで、あなたの世界を満喫できるのも、見ることからしか得ることができない情報量で物語を語る絵画の魅力であると改めて感じることのできる作品群です。

 

 ミュシャ展は6月5日(月)まで。とても残念ですが国立新美術館以外での開催はないようですね。まだご覧になっていない方で、ご興味を持たれていける方はぜひ見にいらしてみてください。